チャンスの女神は前髪しかないから、後ろ髪は引かれない

文字数 4,220文字

 (ひど)いことをしたと思う。
「はぁ」
「どしたの、萌黄(もえぎ)
 隣に座るアイ子が顔をのぞき込んできた。
「こっちまで憂鬱になるから、ため息禁止」
「ごめん。……憂鬱って漢字で書ける?」
「……今、チョー憂鬱になったぞ」
 ジト目でにらむアイ子をスルーして、もう一度ため息をつく。
 中途半端なエセ家庭教師ごっこは、あの子のためにもならない。
 そう決めて切り出した「終了宣言」だった。
 だけど、もうちょっと優しいやり方があったのではと、ずっと後悔している。
 あの日、別れの直前に向けられた「どうして」と問う羊介(ようすけ)くんの目が忘れられない。
 雨が降ってきちゃったから、羊介(ようす)くんのお母さまが出てきちゃったから、というのはただの言い訳。
 雨が降っても降らなくても、きっとあんなふうにチケットを押し付けて、背中を向けたんだと思う。
 最初は同情もあったかもしれない。
 どんな悪口にも黙ってうつむいている背中を、ペアを組んだときの嬉しそうな顔を、丸ごと守ってあげたいと思った。
 だけど、純粋に慕ってくれる様子はくすぐったいほど可愛くて。
 「勉強を教えてくれる人の時間を無駄にしたくない」と宣言していた姿には、感動して足が動かなかったほどだ。
 だというのに、同時に羨望と嫉妬を抱いている自分にも気づいてしまった。
 新しい知識を得て、自信をつけて、見違えるほど強くなった羊介(ようすけ)くんに。
 そして、怖くなった。
 勉強を教えて、慕われていい気になっているけど、自分はあの子の出会いや成長を邪魔しているだけかもしれない。
 羊介(ようすけ)くんのキラキラした瞳を向けてもらえる価値なんて、自分にあるのだろうかと。
萌黄(もえぎ)ってさ、ショタコンなの?」
 ゴギっ!
 突然のアイ子の衝撃発言に、英訳をしていたシャーペンの芯が折れた。
「な、な?!」
「だって、定期演奏会で萌黄(もえぎ)がもらった花束って、あの少年からでしょ、夏休みに会った。あれから、ずっとデートしてたんだって?」
「ばっ」
 か言ってんじゃないよと続けようとして、静かな自習室に響いた自分の声に口を閉じる。
「誰がそんなこと言ったのよっ」
 声を落として詰め寄ると、アイ子は片頬を(ゆが)めて笑った。
「そりゃあ、未練たっぷりのイッチーじゃん」
「うわぁ」
 いまだに、三日に一回はメッセージアプリに連絡を入れてくる元カレの名前を聞いて、心底うんざりする。
 ブロックしたいけれど、卒業までは何かと顔を合わせるだろうから、我慢しかない。
「相変わらず復縁したいみたいじゃん。許す気はないんだよね?」
「許すも何もないよ。怒ってるわけじゃないもん」
「決定打は推薦の件でしょ?秘密にしてたの、萌黄(もえぎ)にだけじゃないらしいけど」
「そんな、その他大勢と同列視されるのが、カノジョって言えるの?」
 何を言われても反論できる、その頭の回転の速さを。
 何があっても揺るがない自信ある態度を。
 好ましいと思っていたこともあるけれど。
 羊介(ようすけ)くんと再会して、交流を深めるうちに気づかされたのだ。
 彼とは、本当の意味でケンカをしたことがないと。
 相手から言いくるめられるか、不機嫌な態度が面倒くさくて、こっちが気持ちを飲み込むか。
 どちらにしても、相手を刺激しないようにやり過ごす自分は、かつての羊介(ようすけ)くんと同じだ。
 彼が予備校を黙ってやめたときも、推薦が決まる前に連絡が途絶えたときも。
 合格を人づてに聞かされたときでさえも。
 言いたいことは山のようにあったのに、”理解あるカノジョ”を演じて心を殺した。
 けれど、羊介(ようすけ)くんはもう違う。
 相手をまっすぐ見据えて、理不尽と戦う道を選べるようになった。
「市島くんはね、自分のオモチャを取り上げられそうになって、駄々をこねてる子供と同じだと思う」
「ほぅほぅ」
「思い通りにならないことが許せないだけだよ」
「ほぅほぅ」
 右手でシャーペンをクルクル回しながら、アイ子はフクロウと化してうなずいている。
「独占欲というか、執着ってことね。たださ、あの少年にだってあるんじゃない?」
「なにが?」
「独占欲」
「あの子に?」
「まさかって顔だね。……あの花束、お年玉つぎ込んだらしいよ。小学生がさ、相当、背伸びした感じじゃん?萌黄(もえぎ)のために」
「えっ、ナニそれ、誰から聞いたの?ちょっとアイ子さん、コーヒー(おご)るから顔を貸しなさいよ」
「”贅沢(ぜいたく)ミルク”がいいなぁ」
 予備校の自動販売機のなかでもお高めの銘柄を指定されたが、うなずいてアイ子の腕を引っ張った。
「ほら、早く!」
「やだあ、萌黄(もえぎ)さんったら必死~」
 コイツめ。
 あとで消しゴムにシャー芯を仕込んでやる。
 極太の。
 じろりとひとにらみして、アイ子を置いて自習室を出た。


「受付の2年が聞いたんだって。”すごい花束ね、お母さんと選んだの”って」
 ニヨニヨ笑いながら「贅沢ミルク」を片手に話すアイ子が小憎らしい。

「今日は誰と来たの?」
 白シャツにチノパン。
 スマートカジュアルな装いで、大きな花束を抱えて上目遣いをする少年に身悶(みもだ)えながら、受付係の二年女子は声をかけた。
「え、えと、ひ、ひとりで、来ました。あの、これ」
「ひとりできたの?えらいねぇ!誰か知り合いが出演するの?」
「はい」
「うっわ、カワイイね。将来イケメンになりそうじゃない?」
「ほっぺが真っ赤」
 受付に立つ女子高生ふたりは、(つつ)き合って(ささや)き合う。
「花束はその人に?」
「すごくステキね。お母さんと選んだの?」
 とたんに少年の顔が険しくなった。
「自分で、選びました。ちゃんとお年玉使って。モエギ色のイメージにしてくださいって言って」
萌黄(もえぎ)色?」
 少年の腕のなかの花束を、受付係のひとりがまじまじと見つめる。
 鮮やかな緑のラッピングペーパーに包まれているのは、オレンジ色のバラを囲むカスミソウと、レモングリーンのデンファレ。
 アクセントのグリーンにはドラセナに、くるんとカールさせたミスカンサス。
 明らかに高価そうな花束の色合いに、受付の女子高生はピンとくる。
「もしかして、雪下(ゆきした)先輩に?」
「そ、そうです。モエギおね……。雪下(ゆきした) 萌黄(もえぎ)さんに」
「やっぱり。呼んでこようか?」
「いっ、いいです!」
 少年の大きな声に、今にも受付を出ようとしていた2年の足が止まった。
「高校最後の演奏会なんでしょう?ジャマ、したくないから。手紙入れたから、大丈夫です」
 花束を渡してきた少年を見送って、ふたりはすぐに顔を寄せ合う。
雪下(ゆきした)先輩の親戚のコかな」
「……すごい花束だよねぇ」
「お年玉貢ぐカレシとか」
「……雪下(ゆきした)先輩、まさかの年下好み?」
「あ、だからイチ先輩と別れたのかな」
「……温かく見守ろう」
「いや、キャッキャ言って見守りたい」


「てな感じでね?」
 アイ子はニヨニヨ笑いを今すぐやめるべし!
 「知らなかった……」
 花束に差し込まれていたカエルデザインの手紙で、羊介(ようすけ)くんが来てくれたことはわかっていたけれど。
 そんなことになっていたとは。
 どうりで受付担当だった後輩たちが、あれから物言いたげな目で見てくると思った。
「手紙、何が書いてあったのぉ?」
 三日月目のアイ子をジト目でにらむ。
「個人情報でーす」
「ほぅほぅ、少年個人の連絡先が書いてあったと」
「ぐほっ」
 飲んでいた缶コーヒーが口の端から垂れ流れて、慌てて手の平で拭き取った。
「やだぁ、萌黄(もえぎ)さんったらお行儀わるーい」
「ちっ」
「舌打ち?舌打ちされたの?少年憧れのお姉さんが舌打ち?!」
「お黙りなさい」
「そんなに大事なのに、どうしてもう会わないの?」
「会わないって、どうしてわかるの?」
「でなきゃ、あんなため息つかないでしょ。最初イッチー関係かと思ったけど、そっちはとっくに、過去の遺物になってるみたいだからね」
 まったく、この親友は鋭くて嫌になる。
「……羊介(ようすけ)くんはね、すごく優しくて、我慢強いの。だから、スイミングでも学校でもターゲットになっちゃってるみたいで、自信のない子だった。夏に会ったのは本当に偶然。あんな近くに住んでるって知らなかったし。それで、遅れ気味の勉強をみてあげたら、砂が水を吸収するみたいって、あんな感じかな。テストの点数も取れるようになって、もう私がいなくても大丈夫なんだよ。ちゃんと同年代の友達を作ったほうがいい。保護者は家族がいれば十分だもの。……お母さま、優しそうな方だったし」
「保護者、ねぇ」
 「贅沢(ぜいたく)ミルク」を飲み終わったアイ子は、空き容器を隣のゴミ箱に滑らせた。
「無理やり感ありありだけど。……ねえ、写真取ってたじゃん、花束の。もう一度見せてよ」
「なんで?」
「いいから」
 こういうときのアイ子には、何を言っても無駄なことは嫌というほどわかっている。
 抵抗は早々に諦めて、制服のジャケットからスマートフォンを取り出すと、羊介(ようすけ)くんが贈ってくれた花束の写真を開いた。
「ふーん。オレンジ色のバラが9本か。……はぁ~あ」
 アイ子のわざとらしいため息に、若干イラっとする。
「ねぇ、萌黄(もえぎ)
「なによ」
「バラの花言葉って知ってる?」
「え?愛情、とかだっけ」
「出たよ、このパサパサ系」
「パサパサ?!なによ、人を乾パンみたいに。せめてサバサバと言って?」
「乾パンとはまた古いじゃないの。今は缶詰パンとかが主流だよ、非常時だって。受験勉強ばっかしてるから、脳がパサつくんだよ」
「失礼だね」
萌黄(もえぎ)がな」
「いつアイ子に失礼なことした?」
「アタシにじゃないよ。その、羊介(ようすけ)くんて子にだよ」
 思わず口をつぐむと、アイ子がしたり顔になった。
「自覚があるんだね。相当、思いつめてる感じだったってよ。何やっちゃったのさ」
「……いきなり、もう会えないって言っちゃったんだ。受験だから」
「うん。それで?」
「それっきり、なにも。手紙の返事も出してない」
「返事がいるような内容だったのなら、せめてそれはしないとね」
 立ち上がったアイ子の顔を見ることができなくて、手の中の缶コーヒーをぎゅっと握りしめる。
「……そうだね」
「諸々すっきりさせとかないと、受験の神様も逃げてくよ。こないだの模試、判定ランク落としたんでしょ?」
「……うん。ねえ、受験の神様って、どんな髪型かな」
「なんの話?」
「チャンスの女神は前髪しかないって言うからさ」
「ああ、そうだねぇ……。ハゲてんじゃない?」
「つかむとこないじゃん」
「それで苦労しているワケですよ、ワタクシたち受験生は」
「ふふっ。なるほどね」
 アイ子から少しだけ勇気と元気をもらった私は、すっかり(ぬる)くなったコーヒーを無理やり飲み干して、自習室へと戻った。
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