会うは別れの始めだけど、今度は二度と逃がさない

文字数 4,250文字

 棒のように突っ立っているアイツを半眼でにらみながら、アイ子さんが腕を組んだ。
「ゆっきーのお父様ってば、次官になったんだっけ」 
「まさか、そこまでは。何やらご出世あそばしたようだけど、最近は顔も見ないから。詳しくはわからない」
「相変わらずお忙しそうだね。……ふーぅん、なるほど」
 アイ子さんの右足がタンタン、タンタンと軽快に床を打つ。
「どうして、しつこくゆっきーを追い回すのかと思ったら、そういうこと?」
「私が何を言おうと、忖度(そんたく)する父ではないけどね」
「そんなことはないよ」
 今までの勢いはどこへ行ったのか。
 床に目を落としたアイツの声は、ずいぶんと弱々しい。
「霞が関で、雪下(ゆきした)の親父さんに会ったよ。”娘がお世話になったみたいだね”って、すれ違いざまに言われた」
「え……。父とあなたは知り合いなの?」
「高1の文化祭のとき、たまたま案内したんだ。”娘に嫌がられるから、内緒で吹奏楽部の演奏を聞きたい”って言われて。似てたから”雪下(ゆきした)さんですか”って聞いたら、”そうだ”って」
「うそ……」
「2年のときも見かけたよ。会釈したら笑ってた」
「笑った?……父が?」
「オレとつき合ってたことも、薄々知ってたみたいだった。……だから……」
 口を閉ざしたアイツを眺めながら、萌黄(もえぎ)さんは長いため息をついた。
「市島くん、場所を移そう。私も聞きたいことがあるけど、さすがにこれ以上は現役に失礼だわ」
「場所移すって、どこ行くつもり?人目がないとこに行くのは賛成しないよ、ゆっきー」
「アイ子の心配もわかるけど……。このすぐ上、3-Eの教室ならどうかな」
 萌黄(もえぎ)さんの提案に、アイ子さんが仕方なさそうにうなずく。
「じゃあ、メーちゃん連れてって。市島、その子が一緒なのが条件だよ」
「なんでだよ。こいつはカンケーねぇだろ」
 顔を上げて、三白眼でにらむアイツをアイ子さんは鼻で笑った。
「関係ない?よく言うわ。誰の手紙を燃やしてくれたんだよ、市島。アタシがついて行くって言わないだけましでしょ」
「べつに盗み聞ぎする趣味はないんで」
 俺はカバンからワイヤレスホンを取り出して、片耳に挿し込む。
萌黄(もえぎ)先輩にヒドイことしないように見張らせてもらえるなら、教室のすみっこで、音楽でも聞いてますよ」
「よろしくメーちゃん。ところで、メーちゃんって何聴くの?」
「う~ん、何でも聴きますけど、今の気分は……、デスメタルかな」
「そのカワイイ顔でかっ。ギャップ萌えにもほどがあるよ」
 アイ子さんの豪快でヘンテコな笑い声に送られて、俺たちは音楽室を後にした。


 それからすぐに、OB隊を引き連れたアイ子さんは、さっさとお茶だか飲みだかに行ってしまったらしい。
「結果は心配じゃなかったのかな、アイ子さん」
羊介(ようすけ)くんのことを信用したんだと思うよ」
「それは嬉しいけど……」
「私たちは行かないって言ったし、みんなもいるからね。あとは、アイ子自身が待ちたくなかったんだと思う。あれでアイ子って好きなのよ。飲み会というか、お酒が」
「あれでって?見たまんまだけど」
 苦笑いする俺は、3年ぶりに萌黄(もえぎ)さんと一緒に自宅へと向かっている。
「そう?黙っていれば、清楚系美人でしょ?」
「……どう見てもバフォメットだけどなぁ。てか、酒好きならバッカスか」
 どっちにしろ底知れない、人ならざる者って感じだ。
「それにしても、ごめんね?羊介(ようすけ)くんのイメージ、私のせいで悪くしちゃって」
「ねえ、萌黄(もえぎ)さん」
「ん?」
 数歩先の萌黄(もえぎ)さんがくるりと振り返れば、傾き始めた太陽がその姿を照らしていて、もうなんだか、後光が差してるみたい。
 ……天使かな?
「再会するまで、俺のイメージってどんなだった?」
「そうねぇ……。優しくって、我慢強くって、素直で可愛くて」
「それ、小学生の俺だろ。萌黄(もえぎ)さんに出会ったころの俺。そっから変わったんだよ。アイ子さんが言うように、(ゆが)んじゃったとこもあるかもだけど」
 萌黄(もえぎ)さんが悲しそうな顔をするから、俺はわざとフザケタ笑顔を作った。
「でも、それでよかったんだ。だって、萌黄(もえぎ)さんのことを守れたんだから。だろ?」


 3-Eの教室の隅に立つふたりが、具体的にどんな話をしたのかはわからない。
 俺は本当に、耳に音を放り込んでいたから(デスメタルではなかったけれど)。
 ただ、ときどきアイツが萌黄(もえぎ)さんに手を伸ばそうとするたび、威嚇に教室の壁を蹴とばしてやった。
 ダメンズが、俺の萌黄(もえぎ)さんに触らないでほしい。
 ……まだ、俺のじゃないけど……。
「おい、あの番犬ってか狂犬をどうにかしろっ」
「可愛いもんでしょ、あれくらい」
 萌黄(もえぎ)さんが自分の耳に両手を当てて、ワイヤレスホンを外すジェスチャーを送ってくる。
「終わった?」
 イヤホンを制服のポケットにしまった俺がすぐ後ろに立つと、萌黄(もえぎ)さんは一歩下がって、横に並んでくれた。
「市島くん、これで私たちは、一切関係のない他人同士。父であろうと誰であろうと、あなたについての話をすることはない。邪魔はしないけれど、応援もしない」
「わかった。でも萌黄(もえぎ)
 この瞬間に、俺のガマンがプチっと切れる。
 ドガっ!
 横の壁に思いっきりケリを入れると、アイツの肩がビクリと揺れた。
「……雪下(ゆきした)
「なにかしら」
「つき合ってたころは、オレのこと好きだったんだよな?」
 こ、コイツ……!
 ガマンにガマンを重ねた(こぶし)を壁に貼りつければ、ブルブルと震えてくる。
 まったく、なんちゅー性格の悪さだ。
 最後だというのに(もう会わせるつもりはないぞ)、そんなことを萌黄(もえぎ)さんに言わせようとするなんて。
「過去を冒とくするようなことをなんで聞くの?」
 萌黄(もえぎ)さんが手の平を差し出してくるから、俺は出番がなかった(こぶし)を素直に預けた。
 ぱっと見、ラッキーの「お手」みたいになっちゃったけど。
「そんな気持ちもあったかもしれないけど、この子に痛みを与えた時点で消滅してるわ。かんっぜんに黒歴史。あなたが将来、何かやらかしてニュースネタになったら、喜んでモザイク掛けられて証言するわよ。”そうですねぇ、当時からやりそうな、ズルい人でしたねぇ”って」
 ボイスチェンジャーで変えた声マネが上手で、ちょっと笑ってしまった。
「帰って。二度と羊介(ようすけ)くんを傷つけないで」
「……そんなに大事かよ」
「大事よ」
 即答した萌黄(もえぎ)さんに悶絶する。
 そうだそうだ、早く帰れ、市島。
「あなただって、家族を傷つけられたら怒るでしょう?」
 か、家族?
 ……うん、さっさと帰って、市島。
 ちょっと萌黄(もえぎ)さんと、じっくり話し合わないといけないから。
「くくっ、おーやおや、ご愁傷サマだな。それじゃあ雪下(ゆきした)、……元気でな」
 最後までイヤな顔で(わら)われたけど、萌黄(もえぎ)さんに「元気で」と言った顔だけは、心から懐かしむものだったと思う。
 反省はしてなさそうだけど。
 それから、アイツが完全に姿を消してから音楽室に戻ると、ひとりぽつんと部長が待っていてくれた。
「お、お帰り~、なさい。ゆっきー先輩と木場野(きばの)クン」
 あれ?
 部長はいつも「木場野(きばの)」って呼ぶのに。
「どうししたんですか?部長」
「水臭いなぁ、サエちゃんでいいよ、木場野クン。え~っとそれで、ご機嫌はいかがかな?怒ってない?」
「何がですか?べつに怒ってないですよ」
「あ~、そう!良かったぁ~。いやあ、さっき驚いちゃったからさ。木場野(きばの)クンって、怒るとハンパないんだね」
「いや、あんなになるのは滅多にないです」
「だよねぇ!火事場のなんとかだよねぇ!」
「そうですよ。逆鱗に触れられなきゃ、大人しいもんですよ」
「ちなみに逆鱗ってどこ?」
「毎回違うから、よくわかんないです」
「全身逆鱗だったりしない?」
 なんて情けなさそうに笑うサエちゃん部長に(さすがにサエちゃん呼びはできない)すべて解決したことを伝え、俺は萌黄(もえぎ)さんと帰路についたのだった。


 そうして今、高校から住宅地へと曲がっていく角に、ふたりして立っている。
 ここは家から走ってきた俺が、校門で待っている「モエギおねえさん」の姿を、最初に目にする場所なんだ。
「それとも、俺が粗暴になっててがっかりした?」
「粗暴?他人を傷つける代わりに自分ばかり痛める人を、粗暴とは言わない」
 壁に擦り過ぎて、うっすら白くなった俺の右手を、萌黄(もえぎ)さんの両手が包んでくれる。
「”僕”が”俺”になっても、声が低くなっても背が高くなっても。優しくて我慢強い、あのころのままの羊介(ようすけ)くんだよ」
「……うん」
 萌黄(もえぎ)さんこそ昔っから変わらない。
 俺のホントをすぐに見つけてくれて、全部受け止めてくれるんだ。
 泣きそうになるのを我慢して笑うと、萌黄(もえぎ)さんも柔らかく微笑んでくれる。
「その顔も同じだね」
「え、どんな顔?」
「ほめると、いっつもその顔になってた。すごく可愛い顔」
「……もう小学生じゃないから、カワイイは封印したい」
 ほかのヤツにどう思われてもいいけど、萌黄(もえぎ)さんにだけはダメだ。
「でも可愛いもん」
 クスクスと笑いながら歩きだした萌黄(もえぎ)さんを追いかけながら、長期戦でも別にいいやと俺は思う。
 伊達に3年間、諦め悪く待っていた男じゃないからな。
 意外に威嚇もイケるみたいだし、これからは遠慮はなしにしようと思う。
 萌黄(もえぎ)さんを傷つけようとするヤツがいたら。
 萌黄(もえぎ)さんを奪おうとするヤツがいたら。
 俺のすべてで排除する。
「あ、お母さまに会ったら、なんてご挨拶したらいいのかな。雨に日に逃げ去った雪下(ゆきした)ですって、言えばいい?」
「カ、かの……」
 ジョですって言えばいいじゃん、という言葉は、喉に引っ掛かったまま出てこない。
「かの?」
「か、

つて

先生ですって、……言えばいいじゃん……」
 カッコいい告白のシミレーションをさんざんしてたのに、なんてヘタレなんだ、俺は。
 妄想どおりにはいかないなあって、ちょっと絶望する。
「俺の成績上がったの、母さんすごい喜んでたんだよ。お礼したいって、ずっと言ってた」
「ふぅ~ん、そっか。不審がられないかな。こんな年の離れた……、友人?先輩?」
 「私って、羊介(ようすけ)くんの何だろう」、なんてつぶやいている萌黄(もえぎ)さんがもどかしい。
 でも、それはこれからたっぷり思い知ってもらう予定だからな。
 俺が萌黄(もえぎ)さんの何になりたいのかをわかってもらうまで、もう絶対に、その姿を見失ったりしない。
「ほら、早く行こう!これ以上遅くなると、ラッキーがすねて暴れちゃうからさ」
 いや、ラッキーは賢いから、そんなことしないんだけど。
 おやつのジャーキーをはずむからと心の中で謝りながら、俺は萌黄(もえぎ)さんの手を取って走り出した。 
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