雀じゃなくても飛び跳ねる

文字数 4,417文字

 ジャワジャワジャワジャワ。
 ミンミン、ジィジィジィジィ。
「あ~、もぉ」
 ひとり言さえ消されちゃうほどのセミの大合唱。
 そのなかでもクマゼミはひどい。
 ただでさえ暑いのに「暑いよな、なー、暑いよなあー」って、あおってる気がする。
「呪ってやるぅ」
 そんなつぶやきを漏らす僕が歩いているのは、(のぼ)りの急坂。
 時間は猛暑のお昼前。
 お腹は空いてるし、直射日光で脳が煮えそうだし。
 ……ユーウツなことがあったこんな日は、なにもかもがイヤになる。

「イモ関取がうぜーんだよ」
 今日、最後のタイムを計った僕が、プールサイドに上がった直後。
 同じ特訓コースにいる同級生が、思いっきり肩をぶつけてきた。
「コーチにコビて級を上がるとか、キモっ」
 すれ違いざまに投げつけられた捨てゼリフは、もう何度目かわからない。
 夏休み直前の進級テストで特訓コースに合格してからは、学校でもプールでも、顔を合わせればずっとこんな感じなんだ。

「コビてなんかない」
 今ごろ、こんなとこで言い返したって、そんなものは兄ちゃんが聞いてるロックバンドよりうるさいセミバンドにかき消されてしまう。
 確かに、しつこいくらいにコーチをつかまえては、アドバイスをもらったりしたけど。
 そんなことで級を上げてくれるような甘いシステムじゃないって、わかってるくせに。
「……ザマミロ……」
 最後のタイム測定で、僕に抜かされたと知ったときの、あの同級生の顔ったらなかった。
 なかったけど、でも、ちっとも気分は晴れない。
 ……夏季スクールにも来ないんだな、おねえさん。
 駅から家までの道のりはアップダウンが激しくて、もうホントにクタクタ。
 その最後の(のぼ)りに差しかかったとき、遠くからにぎやかな声が聞こえてきた。
「部長もさあ、開始30分で帰るって、なんだよ」
「予備校優先は仕方ないよ、受験生なんだから。一応、謝ってたじゃん」
「サックスのパート練習、しつこかったねぇ」
 ちらっと目を上げると、丘の上にある高校の制服を着た集団が坂を下ってくる。
 「あなたもあの高校に行けるといいのいねぇ。せっかく近いのに」ってお母さんも言っている、有名校の制服がまぶしい。
 勉強が苦手な僕はなんとなく気が引けて、道路の端っこに寄った。
「でも、サックスが一番完成度高いよ」
 ……あれ?
「粘着パートのせいで全体練習が削られたんだぞ。イミねぇだろ」
「勢いだけで雑って言われてるペットには、あのパート練習はいい刺激じゃない?」
 ……あれれれ?
 聞いたことのある声だ。
 絶対そうだ!
 顔を上げてみると、前から来るのは高校の制服を着たお兄さんとお姉さんがふたりずつの四人組。
「合わせられたの、たった二回じゃんか。副部長の仕切りがヘタクソなんだよ」
「言いすぎ」
 いた!見つけた!
「おねえさん!」
 傾斜のキツイ坂を、僕は全速力で駆け上がった。
「誰」
「小学生?」
「えぇ?……なんで?」
 顔を見合わせている高校生たちのなかに、ちょっと困った顔をしているおねえさんいる。
 迷惑だったかなって足が止まりかけたけど、おねえさんが集団の前に出てきてくれたから、全速力のパワーを上げた。
「ひ、久しぶりだね。あの、もうプールには来ないの?」
「プール?ああ、ゆっきー、春休みにクロール習いに行ったんだっけ」
「え、そうなの?なんでまた」
「クロール50mでタイム二本取らないと、3年の単位やらないぞってセシモが言ったんだよね、2年の終わりに」
「女子の体育はセシモなんだっけ。単位なしとか、相変わらずエグいこと言うなあ」
「エノモトアニキのほうが良かったのに。男子はいいよね」
 小柄なお姉さんとメガネをかけたお兄さんが話す後ろから、集団で一番背の高いお兄さんがずいっと前に出てきて、おねえさんの横に並ぶ。
「にしたって、スクールわざわざ行くとか、バカじゃねぇの」
「じゃあ、どうすればよかった?補習日の候補も何日かあって、

調

の理由なら免れないのよ。私がカナヅチって知ってるでしょ」
「あぁ、全然泳げねぇもんな、おまえ」
 おねえさんがにらんでもニヤニヤ笑ってる

は、すっごくヤな感じ。
「緩やかに前進しながら沈むんだよな」
「誰にも迷惑かけてないでしょ。放っといて」
「オレに迷惑かかってんだろ。ドタキャンしやがって」
「春休み前に言っておいたよね?」
「はいはい、夫婦ゲンカしないしない」
 メガネのお兄さんが、おねえさんとソイツの間に手刀を振り下ろした。
「にしても、通ったのって、春休みの短期コースだけなんでしょ?よく覚えてたね、クラス違うのに」
「目立ったんだろ。チビッコに混じってんだから」
 ニコニコしているメガネのお兄さんと違って、ソイツはジロリと僕を見下(みお)ろしている。
 ……見下(みくだ)すってほうが正しいみたいだけど。
「同じクラスだよ、僕とおねえさん。おねえさんって、どこの中学だったの?」
 高校の制服を着ているってことは、春休みは中学3年生だったのかな。
 だって、ジュニアクラスは中学生までなんだから。
「まさかのキッズクラス?ダセー」
「キッズじゃないよ!ジュニアだよ!」
「ホント、いい年してなにやってんだよ」
 ちゃんと訂正したのに、ソイツは僕を無視して笑っている。
「おねえさん、全然泳げなかったのに、最後はちゃんと泳げるようになったんだよ。十日間で級も上がったんだ。すごいんだから!」
「あー、はいはい、すごいなー」
 棒読みでふざけるソイツから顔をそむけて、おねえさんは大きく一歩、後ろにずれた。 
「……私、忘れ物してきちゃった。アイ子ごめん、先に帰って」
「え、そうなの?ゆっきー、今日は予備校は?」
「休講なの。だから、忘れ物取ったら

勉強する」
「そっか、じゃあ先に行ってるね」
「またねー」
「……ちっ。正真正銘のドタキャンかよ」
 舌打ちしたソイツが坂を下りだしたのと同時に、おねえさんは競歩してるみたいに坂を(のぼ)り始める。
「待って!あの、同じクラスって言ったら、ダメだった?」
 置いていかれないように、僕は小走りでおねえさんを追いかけて並んだ。
「ダメじゃないよ。ホントのことだもん。私こそ、高校生って黙っててごめんね。事情を話して無理やり入れてもらったから、言い出しにくくて」
「……じゃあもう、ジュニアクラスには来ないんだね。あのね、僕、特訓コースに上がれたんだよ」
「えぇ、ほんとに?!」
 少し足を緩めて、僕のほうを向いたおねえさんの目が「感心した!」っていうみたいに丸くなってる。
「すごいじゃん!すっごく頑張ったね!」
「う、うん……」
 家族よりもほめてくれるおねえさんに、なんだかくすぐったい気持ちになった。
「あのね、春からジョギングとかして、今年の運動会では、初めて徒競走で一位も取ったんだ」
「おぉ~!」
「3か月半でイルカ初級から特訓コースに上がったから、今は出世魚って呼ばれてる。……コーチからだけど」
 夢中になって話しているうちに、あっという間に高校の正門が見えてくる。
 校門脇の大きな桜の木が広い影を作っていて、丘を抜ける風がちょっぴり涼しい。
「まだ、嫌なこと言われてるの?」
「デブとグズは言われなくなったよ。……キモイは、言われるけど」
 肩をぶつけてきた同級生を思い出したら、とたんに気持ちがしぼんでいく。
「キモいなんて、アホくさい言葉だと思わない?」
「え?」
「こないだ、家にゲジゲジが出てね」
「ゲジゲジ?」
 いきなりのゲジゲジに、僕の頭の上には「?」が浮かぶ。
「チョー気持ち悪かったけど、そのゲジゲジは、ゲジゲジ界だとイケメンモテ男かもしれないじゃない?」
「……ゲジゲジのモテ男……」
「逆にさ、ゲジゲジからみれば私なんか、”足が少なすぎてキモっ”って思われてるかも」
「……足がいっぱいのおねえさんは、イヤだなぁ……」
「私もヤだよ」
 僕とおねえさんはお互いにちょっと考え込んでから、目を合わせて大笑いをした。
「だから、キモイなんて言ってくるヤツはゲジゲジなのよ」
 そう言われると、急に同級生がゲジゲジに思えてくる。
「そっか、ゲジゲジならしかたないね」
「そ。キミみたいに悪口を言わない子は、」
「さっき、悪口言っちゃった」
「え?」
「ザマミロって。キモいって言ったやつのタイムを、今日抜かしたから」
「ぷっ」
 おねえさんが吹き出して、くすくすと笑いだした。
「それは悪口じゃなくて、ホントにザマミロじゃない!」
「でも、ザマアミロって悪口だよ?」
「うーん。その”ざまあみろ”は、因果応報ってことだね。自分がやったことは自分に返ってくる。悪口じゃなくて真実」
 ……おねえさん、相変わらずムズカシイこと言うなあ。
「自業自得ならわかる?ウサギとカメの話は知ってる?」
「うん。油断したウサギがカメに抜かれて……。あ」
 本当だ!
 同級生は、昔話のウサギみたい。
「それに、相手に直接は言ってないでしょう?キミのことだから」
「うん。なんでわかるの?」
「キミは我慢強いもの。

んじゃなくて、

んだよ。悪く言われる人の気持ちがわかってるから」
「……!」
「キミのことを大切に思わないヤツに何を言われようが、そんなのただの雑音だから。気にしなくていいし、負けちゃだめだよ!」
「うん。……ありがと」
 差し出されたおねえさんの手を、僕はぎゅっと握った。
「どういたしまして。じゃあね、気をつけて」
 僕の手を離して、おねえさんはさっさと校門のなかに入っていこうとする。
「あの、待って!」
「ん?まだ何か用事?」
「えと、用事っていうか……」
 用事はないけど、このままサヨナラはイヤだよ。
 せっかく会えたのに。
「そうだ、名前、名前教えて!僕んちすぐそこだから、また会うよ、きっと」
 春期スクールの点呼で苗字は知ってるけど、フルネームが知りたいんだ。
「え、まさかのご近所?!」
「うん。僕は木場野(きばの) 羊介(ようすけ)、小学6年生です!」
「えーっと、雪下(ゆきした) 萌黄(もえぎ)。……高3でぇす」
「モエギおねえさん。……え、高3なの?」
 名前がわかって嬉しくて、でも同時にがっかりした。
「じゃあ、僕が入学しても、とっくに卒業しちゃってるね」
「うちが志望校なの?」
「うん」
 そう決めたのは、今だけど。
「そうなんだ。なら、スイブに入ったら?OB訪問で会えるかも」
「スイブ?」
「吹奏楽部。長期の休みになると、卒業生が指導名目で遊びに来るの。楽器を続けてる人が多いから」
「必ず入るよ!」
 握りこぶしを作って見上げると、おねえさんがくすくすと笑ってくれる。
「いいガッツだねぇ」
「そ、そう?」
「うん。こっちも元気もらった」
 おねえさんの笑顔は木漏れ日よりもキラキラしていて、胸がムズムズとくすぐったい。
 もうなんだか、おねえさんの周りをピョンピョン飛び跳ねたくなる。
 ジャワジャワジャワジャワ。
 相変わらず、頭の上ではメインボーカルクマゼミがシャウトしているけれど。
 その声はもう、うっとうしいことなんかなくって、お祝いの歌みたいに聞こえたんだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み