第15話

文字数 3,425文字

 週末の午前。テオはオリヴィアの学校近くの喫茶店にいた。対面には、もちろん彼女が座っている。
「じゃあ、勉強は問題ないんだな」
「はい、手続きで休んでた分も取り戻せてるし、大丈夫だと思います。図書館もあるし、先生も質問したら答えてくれますから」
「そうか、よかった。さすが、オリヴィアは頭がいいな」
「いえ、そんなことは……」
 謙遜してうつむく従妹に、もっと胸を張れと冗談めかして言うと、彼女は困ったような顔をした。そういう性格の少女ではないことは、テオも十分理解している。
「寮の生活はどうだ。困ってることとかはないか?」
 本当は、友達ができたかと聞きたいところだが、そこはこらえた。従妹はええと、とまた困った顔をする。けれど、少し頬に赤みが差した。視線を逸らしたり合わせたりと落ち着きがない。せかさずに待っていると、オリヴィアは小さな声で、けれどはっきりと口にした。
「友達が、できました。
 寮とか、学校のこととか、いろいろなことを教えてくれる、子で。その、今日も、午後から、ケーキを食べに、行きます。誘ってくれて。初日に、食堂で話しかけて、くれた子がいて、それで、その子が、おいしいケーキ屋が、あるから、一緒にどうかって。人間の友達なんて初めてだから、たまに困るけど、別に嫌じゃなくて、だから、えっと、大丈夫、です」
 真っ赤になって早口で報告する少女に、自分の口元がゆるむのをテオははっきりと自覚した。
 オリヴィアはずっと、人と目を合わせることや、長い会話が苦手だった。もっとも親交の長いテオですら、彼女と長く会話が続いたことは、これまでほとんどなかった。
 はじめのきっかけがなにか、従妹は相変わらず話してくれない。だが、そのことに不満はない。ただ、いい変化をもたらしてくれたそのなにかに、テオは心から感謝した。
「よかったな、オリヴィア」
 少し緊張しながら頭に手を伸ばす。力が入りすぎないように気をつける。こんなことは初めてで、いまいち加減がわからない。
 オリヴィアは少し体をこわばらせたが、振り払わなかった。ただ、恥ずかしさに顔をうつむかせる。それを見て、やはりこれはやりすぎだったかとテオは手を引っ込めた。
「悪い、さすがに嫌だよな。もうそこまで子供でもないし」
「それは、その、えっと、はい。でも、ものすごく嫌というわけではない、です。少し恥ずかしい、だけです。
 ……あの、テオ兄さん」
 彼女の、髪と同化しそうな顔色が、深呼吸で少し戻る。そのままオリヴィアはしばらくうつむいていたが、勢いをつけてテオを見た。翡翠色の視線がはっきりとテオの目を見ている。
「ありがとう、ございます。転入のことだけじゃなくて、いつも、いままで、ずっと、えっと」
 もう一度、彼女は大きく息を吸い込む。一瞬うつむきそうに頭が揺れたが、目線はあったままだ。
「いつも、私を心配してくれて、ありがとうございます」
 言い終わったとたん、オリヴィアはぱっと顔を伏せる。そんなことをしても、髪が短い彼女では表情を隠すのは難しいと、どうやらまだ気づいていないらしい。再び髪色と顔色が同化しそうになっているのを、テオは呆然と見ていた。
「したくて、してることだ」
 どうにか絞り出せた一言で無性にのどが渇いて、テオは一気に紅茶をあおる。カップをテーブルに戻しても、彼女はうつむいたままだった。テオの方から話題を出さなければ、このまま店を出る時間になってしまうだろう。
 じんわりと熱を持ちそうな顔に気づかれないように、息を整えてから声をかける。
「あー、えーと。今日の午後からケーキ食べに行くんだったか。何時からだ?」
「一時に待ち合わせです」
「……いま、十一時を過ぎたくらいだが。おまえ、昼食はどうする気だ? 一度戻るのか?」
「いえ、ケーキを食べます」
「栄養が偏るぞ」
 思わず呆れると、オリヴィアが言葉に詰まったのがわかった。自覚はあるらしい。思わず笑って、さらに言葉を重ねる。
「待ち合わせ場所はどこだ? 俺はこの後の予定もないし、そこまで送ろう」
「いいんですか?」
「ああ、気にするな。それに、」
 最近は昼でも危ないからな。そう言いかけて、慌てて口をつぐんだ。せっかく友達と遊びに行こうという従妹の気持ちに、水を差すような真似はするべきではない。
「いや、なんでもない。それで、場所は?」
「ありがとうございます。場所は――」
 素直に場所を口にするオリヴィアにテオは、やはり変わったなと改めて実感した。

 オリヴィアが待ち合わせ場所に着くと、トリシャはすでに来ていた。学校指定ではない緑色のコートを着て、なぜか帽子を手に握っている。
「あ、きた。オリヴィア、こっち!」
 オリヴィアに気づいたトリシャが、帽子を持ったまま、軽く手を挙げる。オリヴィアはおずおずと手を振り返して、隣を歩くテオに、友達です、と小さく告げた。少しだけ足を早めて彼女に近づく。
「朝ぶりだね、オリヴィア。そちらの方は?」
「従兄のテオ兄さん。テオ兄さん、この子はトリシャ。その、友達です」
「ああ。はじめまして、トリシャ。オリヴィアの従兄のテオだ。よろしく」
「トリシャです。オリヴィアにはこれからお世話になる予定です」
 屈託なく笑うトリシャに、テオが安心したように微笑んだのがわかった。なんとなく、オリヴィアは嬉しくなる。
「トリシャ。オリヴィアからケーキ屋に行くと聞いてるが、近くなのか?」
「はい、ここから十分くらいです。あっちの通りの先にあるお店です」
「……そうか」
「どうかしましたか、テオ兄さん」
 考え込むような素振りを見せるテオを見上げる。彼は一度オリヴィアを見て、次にトリシャを見て、よし、と呟いた。
「ついでだ、店まで送ろう」
「いいんですか?」
「どうせ暇だからな。まったく問題ない。トリシャも、かまわないか?」
「送ってもらえるなら、ありがたく甘えさせてもらいます」
「なら決まりだ。先を歩いてくれ」
 テオに促され、帽子をかぶりなおしたトリシャが、オリヴィアのコートを軽く引っ張った。少女二人が前を歩き、一歩後ろに騎士が控える。人と店に溢れる華やかな通りを三人連れだって進む。
 トリシャは時折、店を指して、雑貨屋や服屋、パン屋などのおすすめの店をオリヴィアに紹介した。たまにテオも相槌を打って会話に入る。
 街並みと同時に、オリヴィアはそっとトリシャの服装を観察した。いつもの銀縁眼鏡。帽子はコートと揃いの緑色。きれいな金髪を白いリボンでまとめて、左の肩から胸元へ垂らしている。斜めがけしているクリーム色のポーチには花柄の刺繍が施されている。裾が広がる形のコートは、オリヴィアがいままで見たことのないデザインだ。そこから生える黒いタイツに包まれた足が、キャラメル色のローファーに収まる。コートの裾からなにも見えないので、きっと、いま流行っているというミニスカートをはいているのだろう。
(都会だからおしゃれなのかしら。それともトリシャだからおしゃれなのかしら)
 劣等感を刺激されたが、オリヴィアは考えに蓋をした。フィンレイに出会ってから多少はましになっているが、やはり自分は卑屈だ。悪い考えにとらわれそうになって、オリヴィアはそっと目をつむった。いつだったか、君の悪い癖だよと自分をたしなめた竜の声を思い出す。
(ありがとう、フィンレイ)
 気持ちが浮き上がる。新しい友達の弾んだ声を聞きながら、その指さすものを眺める。同じ冬でも、故郷と違って明るい街だ。
 ふと、オリヴィアはどこかから視線を感じた。どこからだろうかと首を巡らせようとして、テオに止められる。
「見るな、オリヴィア。こちらが認識したと向こうに思われたら、本当に目をつけられる」
 真剣な声色に、田舎から出てきたばかりの少女の肌が粟立つ。
「あとで警邏の奴らに言っておく。まあ、それでも、日が暮れる前には帰っておけよ」
「……はい、わかりました」
「わかりました」
「なんなら迎えに来るが」
「そんな、さすがにそこまでは」
「ちゃんと、人の多い道で帰りますから。オリヴィアのことは任せてください」
 胸を張るトリシャに、テオは苦笑する。従妹とは違い、ずいぶんと気の強いと友達だ。戸惑っているオリヴィアに寄り道するなよとだけ釘を差し、物騒な話を取りやめた。
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登場人物紹介

オリヴィア

赤い髪の女の子。引っ込み思案気味だか実は頑固者で、一度言い出したら聞かないタイプ。きわめて努力家だが自己評価が低い。

フィンレイ

寂しがりで知りたがりな竜の子供。たぶん男の子。普段は異世界の洞窟に棲息しており、影を通してオリヴィアに語り掛けている。

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