第30話

文字数 2,019文字

 寝ても覚めても、オリヴィアはフィンレイのことを考えていた。せめて学校でくらいはいつも通りの顔をしていようと努めたが、トリシャにあっさり見破られた。
「オリヴィア、大丈夫?」
「え? ええ、大丈夫よ。どうかしたのかしら」
 オリヴィアの答えに、トリシャはため息をついた。食堂随一の絶品と名高いドリアが、皿の上で完全に冷めてしまっているのを指さして示す。
「どうかしてるから聞いてるの。いつもなら、冷める前に食べちゃうでしょ、このドリア。
まあ、なんとなくわかるけどさ」
「……ごめんなさい。トリシャだって大変なはずなのに」
「いや、気にしないで。あたしの方は、言っちゃえば、もう過ぎたことだし。お父さんも、結構元気だしさ。
 それよりオリヴィアだよ。ううん、テオさんかな。ねえ、本当に大丈夫?」
眼鏡の奥のドングリ目が、真剣にオリヴィアを見つめている。その真剣さが少し嬉しく、同時につらかった。
「別にさ、いつも元気でいるのが正しいわけじゃないんだから、あたしにくらい弱音はいてくれてもいいんだよ? オリヴィアの立場なら、怖いのは当然なんだから」
 トリシャの言葉は、竜退治に行く従兄のことを指してている。決して、竜の友達のことではない。それでも、オリヴィアは吐き出してしまいたくなった。ひとりで抱えることに耐えきれなくなっていた。フィンレイはずっとひとりで耐えていたのにと自己嫌悪しながら、おそるおそる不安を口にする。
「ねえ、トリシャ。もし、もしよ。剣が見つかったとして、それを誰かが持っていて、その誰かが剣を渡さなかったら、どうなるかしら」
「剣の持ち主が竜退治に協力しなかったらってこと? うーん、さすがにそんなことしないと思うけど……」
「力ずくで奪ったりとか、するかしら……」
「王命だってテオさん言ってたし、最悪の場合はそういうことになるんじゃないかな。でも、どうしてそんなこと気にするの?」
 もっともな質問に、言葉が詰まる。不思議そうな顔をするトリシャに、オリヴィアは少しだけ嘘をついた。
「……竜退治の剣を持ってるなら、竜のことを知ってるはずだもの。名乗り出ることもせず、退治もしないなんて、もしかして協力するつもりがないんじゃないかしら、と思ったの」
 もしかしてではない。協力なんてしたくないとオリヴィアは思っている。そんな彼女の胸中を知らないトリシャは、むむむ、とうなった。
「言われてみると、確かに…… 竜のことは知ってても、竜の呪いのことまでは知らない、とかかなあ。
 だって、国難だよ? 呪いが本当かどうかは、そりゃあ、わからないけどさ…… 竜の呪いが原因かもしれないってわかってれば、絶対協力してくれるはずだもん」
「そう、かしら」
「絶対そうだよ。その人にだって家族とか友達とか、いるはずでしょ? 竜を退治しないと、その人も、その人の周りの人達もいつか……、それこそ、あたしのお父さんみたいに、襲われて、怪我をするかもしれない。それに、お父さんは怪我ですんだけど、その、死んでしまった人だっているし…… もしかしたら、百年前みたいな暴動だって起きるかも。
 それを知ったら、きっと協力してくれるよ。だから、そんなに不安がらなくても、大丈夫だって」
 オリヴィアはそうよねと納得したような顔をしながら、テーブルの下で拳を握りしめた。トリシャには悪意はない。皮肉を言っているつもりもない。オリヴィアを責める思いはこれっぽちもなく、むしろ励ますつもりで言ってくれている。
 そうわかっていても、友達の言葉がオリヴィアにはつらかった。間違いなく、正しいのは彼女だからだ。
(このままでは、いつか暴動が起きる。そうしたら、フィンレイはまた悲しむ……)
これ以上、僕が誰も傷つけないうちに。心優しい竜は、そう言って少女に懇願した。いまの自分は、テオとトリシャを裏切って、フィンレイも傷つけている。
(友達と一緒にいたい、それだけなのに)
 悪いことなんてひとつもしていないはずなのに、とさらに拳を強く握りしめる。爪の食い込む手のひらが痛い。
(怪我をした人、死んでしまった人、これから怪我をするかもしれない人、これから死んでしまうかもしれない人……)
 天秤の片側があまりに重く、考えただけでも恐ろしい。
「オリヴィアにとって、テオさんがすごく大切なのはわかるよ。ずっと見守ってくれてた人だもん。こっちに来る後押しもしてくれた、恩人なのも、知ってる」
(フィンレイも、そうよ)
「でもさ、怖がりすぎたらだめだよ。大丈夫だって言ってたテオさんのこと、信じなきゃ。オリヴィアだって、大丈夫って言ったことを信じてもらえないのは、悲しいでしょ?」
「……ええ、そうね。その通りだわ」
 励ましてくれる友達が心苦しくて、ぎこちない笑みを浮かべた。それを見たトリシャが、よしと笑う。
(信じてもらえないのは、悲しい……)
 それでも、すべて終わらせてほしいなんて言葉を鵜呑みにする気には、なれなかった。
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登場人物紹介

オリヴィア

赤い髪の女の子。引っ込み思案気味だか実は頑固者で、一度言い出したら聞かないタイプ。きわめて努力家だが自己評価が低い。

フィンレイ

寂しがりで知りたがりな竜の子供。たぶん男の子。普段は異世界の洞窟に棲息しており、影を通してオリヴィアに語り掛けている。

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