第11話

文字数 4,045文字

 学生寮は、ひとり部屋だった。オリヴィアはベッドに倒れ込んで深く息をはく。事前の説明では基本的に相部屋と聞いていたので覚悟をしていたが、取り越し苦労だったらしい。寮生活はルームメイトがいた方が楽しいのに、とテオは残念がっていたが、オリヴィアにはこの方がありがたい。ルームメイトを気にせずにフィンレイと話ができる。
 上半身を起こして、オリヴィアはぐるりと室内を見渡した。いま自分が座っているのは二段ベッドの下の段だ。扉のすぐ脇に設置してあって、部屋の幅の半分を取っている。ベッドの向かい側の壁はクローゼットになっているので、服や本の置き場所に困ることはなさそうだ。奥には机が二つ、それぞれ壁に向かって設置されている。ルームメイトがいた場合、勉強中は背中合わせになるようだ。サイズは少し大きく、テディベアひとつくらいならおいても問題なさそうだ。突き当たりの壁には、落ちかけの夕日の射す大きな窓がある。バルコニーにはなっていないが、風通しに開けることはできると説明を受けている。窓の外は枯れ木が立っていて、よく目を凝らすと学校の外周を囲う柵も見える。その向こうは街路だ。
「都会だなあ」
 無意識に出た言葉に苦笑する。完全に田舎者の台詞だ。
 深く息を吐いて気持ちを切り替える。食事はすべて食堂でとる。そう聞いている。場所も、聞いて覚えている。
「行かないと」
 ぎこちない歩き方になっているような気がして、余計にぎこちなくなる。どうにかうつむかないように気をつけて、食堂に向かう。
 開放されている扉からざわめきが聞こえてくる。食堂に入る。
 食事の時間としては少し早いからか、覚悟していたよりも人は少ない。そう認識した途端、呼吸が軽くなった。自分の座れそうな空席を探し、端の方にそれを見つける。オリヴィアはしばらくその場に立って、周りを観察した。食堂はビュッフェ形式というシステムで、本で知っていても実際に自分で使うのは初めてだ。しかし、人に聞くのは勇気がいる。人の流れを見ながらどうにか理解して、自分の食事を確保した。
 疲れで食欲はあまりないが食べないわけにもいかない。悩んだオリヴィアが選んだのは、スープとドリアと蒸し野菜のサラダ。紅茶も持ってきた。今日はこれを食べてさっさと寝てしまおうと決めこんだ一口目で、オリヴィアはとても驚いた。
「おいしい……」
「でしょー。ドリアは最高なんだよねえ、うちの食堂」
「えっ」
 独り言に返事が来た。それどころか、いつの間にか目の前に見知らぬ人が座っていた。丁寧に梳かしこまれた金髪、銀縁の眼鏡、その奥に好奇心で輝く茶色いドングリ目。頬杖をついてオリヴィアを見る少女の口元は、にんまりと弧を描いている。
「はじめまして。あたしはトリシャ。貴方、噂の転入生よね? 名前はなんていうの?」
「は、はじめまして、オリヴィアです。あの、噂って……?」
「うん、よろしく、オリヴィア。
転入生の話が広まっててね。学期がはじまってちょっと経ってるのに、今更転入してくる子なんて、目立つもん」
「目立つ……」
「あ、目立つの嫌なタイプ? まあ、気にしなくていいよ。転入生は目立つけど、一ヶ月もすれば馴染むし。ところで、前いい?」
「あ、はい、どうぞ」
「ありがと。ご飯取ってくるから、他の人が来たら追い返しといて」
「は、はい」
 勢いに押し切られてオリヴィアがうなずくと、トリシャと名乗った少女はさっさと席を立ってしまった。そして、オリヴィアが呆然としているうちに戻ってくる。彼女はオリヴィアの皿を見て、あれ、と言った。
「なんだ、先に食べててよかったのに。待っててくれたの? ありがとー」
トリシャはそう言いながらすとんと座り、食べましょ、とオリヴィアに笑いかけた。
「んー、何回食べてもうちのドリアは最高ね。逆にピザはだめよ、気をつけて」
「はあ…… あの、トリシャさん」
「呼び捨てでいいわよ、同じ学年だし。なに?」
「どうして私が転入生ってわかったの?」
「髪、赤いから。実はあたし、遠目で見たんだ。貴方が試験受けに来てるの。どんな子か気になっちゃってさ。同じ学年の女の子って聞いたから、ずーっと食堂で探してたの、見慣れない赤毛の子をね。で、やっと見つけたってわけ」
 悪びれもせず、それどころかウィンクつきで返ってきた言葉に、オリヴィアは戸惑いの声を返した。
「……あー、もしかして、うるさい? 食事は静かにとりたいタイプ? ごめんね、あたし、こういう奴でさ…… 猪突猛進ってやつ。一応反省もたまにするんだけど、どうも治らなくて」
 決まり悪そうに視線をずらすトリシャに、オリヴィアは首を横に振った。誰かと食事をとることも、いまは嫌いではない。
「私なんかに興味持った人がいるんだって、驚いただけ。その、故郷には友達はいないから…… こういうおしゃべりは、その、慣れてなくて」
 言ってしまってから、オリヴィアは後悔した。友達がいないなんてことを、わざわざ言ってどうする。
 けれど、そんなオリヴィアの後悔もトリシャにはどうでもいいらしかった。
「じゃあ、あたしってもしかして友達第一号? いいね、よろしく。気づいてると思うけど、結構お節介だから覚悟して」
 からりと笑うトリシャは、いままでに見たことのないタイプで、オリヴィアは呆然と頷くしかできない。対するトリシャは山盛りにされたドリアを機嫌よく口に運んでいる。ドリアが冷めると指摘されて、オリヴィアも慌てて食事を再開した。
 チーズが少し冷めてしまっているが、その方がスプーンで切りやすい。鶏肉とカボチャのかけらを拾い乗せて食べる。カボチャが思いの外熱くて、オリヴィアはとっさに口を押さえた。舌を火傷したかと思ったが、ひりひりとはしないので大丈夫だろう。しゃく、と小さく歯ごたえがするのが不思議で皿の上のドリアをよく観察すると、コーンが入っているのがわかった。自分で作れるだろうかと考えながら、もう一口。やはりおいしい。
「満足そうに食べるわね。気に入った?」
「う、うん。いままで食べた中で一番おいしい、かも」
「ほうれん草のドリアもなかなかよ。今日はないみたいだけど」
「そうなんだ」
「見かけたら食べてみて、おすすめだから」
 そう言って、トリシャもドリアを口に運ぶ。あっという間にスプーンにさらわれ、皿から消えていくていくドリア。その食欲に感心しながら、オリヴィアも食事を進めた。蒸し野菜もスープも、あたたかくておいしい。
「ね、聞いていい? なんでこんな時期に転入してきたの? 手続きに時間かかったとか?」
 ある程度食べ進めてから、トリシャは質問を投げかけた。それは、くるだろうと予想していた質問だったので、オリヴィアは用意してあったとおりに答える。内容は、元の学校の成績のこととテオのことだけだ。わざわざ継母とのことなんて口にする必要はない。人間の友達がいないことより、よっぽど言いたくないことだ。
「従兄が騎士なんだ。いいなー。ね、その人かっこいい?」
「わ、わかんない。その、あまり人と比べて考えたことは、ないから……」
「そうなんだ。じゃあ、そのうち会えるときに期待しちゃおっと。
 それにしても、すごい行動力ね、その従兄の人。聞いてるかわかんないけど、いまの首都ってあんまり治安がよくないからさ。騎士団とか警邏隊の人達って、すごく忙しいって聞いてるよ」
 改めて聞かされたオリヴィアは、頭を抱えそうになるのをぐっとこらえた。落ち着くために紅茶を一口飲む。
「やっぱり、そうなのね」
「うん。街で見かけてもぴりぴりしてるし。それでもそうやって気にかけて、手続きとかもしてくれるなんて。大事にされてるのね、オリヴィアは」
「……そう、思う?」
「思う思う! じゃなきゃ、忙しいときにわざわざ仕事増やさないわよ」
「そう、よね。そう、なのよね。ちゃんと、お礼言わなきゃ」
「まだ言ってなかったの?」
「うん。言わなきゃってわかってるんだけど……」
「改まると恥ずかしいってやつか。まあ、気持ちはわかるかな。あたしも、お父さんに今更ありがとうとか言えないし。この学校好きだし楽しいから行かせてくれてることには感謝してるけど、今更そんなこと言うのなんて、恥ずかしすぎて絶対無理」
 明るく話し続けてくれるトリシャに、自然とオリヴィアの口も滑らかになる。お礼を言う、言わないとは、ある意味では踏み込んだ話だ。初対面でそれを引き出せるトリシャに、オリヴィアは少なからず感心した。きっと、友達も多いに違いない。
 クラス分けや授業についてなどを質問したりされたりしながら二人で食事を続けて、ふと気づくと周囲のざわめきが大きくなっていた。窓を見ると、日が完全に落ちている。
「あちゃ、人が増えてきた。食べ終わってるし、出た方がいいかな」
「そうね」
 二人同時に席を立つ。トリシャはオリヴィアと並んで歩き、食事後の皿の返却場所を教えてくれた。食堂を出て、人の流れに逆らいながら廊下を歩き、階段まで戻る。二階まで登って、踊り場で立ち止まった。
「部屋は二階だって言ってたっけ。あたしは三階だから、今日はここまでだね。明日、授業で会ったらよろしく」
「うん、よろしく。あの、ありがとう」
「ん、なにが?」
「えっと……、話しかけて、くれて」
 オリヴィアは恥ずかしくてうつむく。数秒待っても返事がなくて、そっと顔を上げると、トリシャは笑っていた。
「ただの好奇心だし、お礼言われることじゃないって。なんか、素直だね、オリヴィアって」
「……どちらかと言うと、ひねくれ者だと思うけど」
「お礼言える人は素直だよ。
 うん、もっかい言わせて。明日からよろしく、オリヴィア」
 しっかりと目を見られ、さらに手が差し出される。オリヴィアがおそるおそる自分の手を重ねると、トリシャは満足そうに笑った。
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登場人物紹介

オリヴィア

赤い髪の女の子。引っ込み思案気味だか実は頑固者で、一度言い出したら聞かないタイプ。きわめて努力家だが自己評価が低い。

フィンレイ

寂しがりで知りたがりな竜の子供。たぶん男の子。普段は異世界の洞窟に棲息しており、影を通してオリヴィアに語り掛けている。

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