第18話

文字数 2,184文字

 食堂の厨房を借りて作ったサンドウィッチと水筒をバスケットに。昨日トリシャにもらった髪飾りを頭につける。お守り代わりの赤い花の栞をポケットに忍ばせて、オリヴィアはフィンレイの元に向かった。あちらの国に移動する瞬間は何度経験しても目が回りそうになるが、そこから立ち直るのはずいぶんと早くなったと少女は自負している。
「フィンレイ、おはよう」
「おはよう、オリヴィア」
 こちらに来るときは、いつもフィンレイのすぐそばに立つことになる。ただ、フィンレイの正面とは限らないので、あまり厳密な法則はないらしい。今日のオリヴィアが最初に見たものは、光苔にぼんやりと照らされたフィンレイの後ろ姿だった。向きを変えようとするフィンレイにあわせて、オリヴィアも少しだけ移動する。いつからか、こうしてお互いに少しずつ移動して、ちょうどよい位置を探しあうのが恒例になっていた。
「オリヴィア、頭に葉っぱがついてるよ」
「葉っぱじゃないわ、髪飾りよ。この前話したトリシャって子が、歓迎のプレゼントだってくれたの。変かしら」
「葉っぱじゃなかったんだね、ごめんなさい。
 変かどうかは僕にはわかんないけど、オリヴィアの髪は花みたいな色だから、葉っぱみたいなのがくっついてるのは、本当に花みたいでいいと思うよ」
「そ、そうかしら? ありがとう」
 じっとフィンレイの視線が注がれることを、久々に恥ずかしく思う。
 突然、二人しかいないと思っていた洞窟内に、女性の笑い声が小さく響いた。
「かわいらしいですね。少女よ」
 夜空のドレスと艶めく黒い髪。滑るように歩み出てきたうつくしい人に、オリヴィアは慌てて頭を下げる。
「女王様? お、お久しぶりです。おはようございます。あの、私、いらっしゃるなんて思わなくて」
「いいのですよ。竜の陰になっていて、わからなかったのでしょう。ここの暗さでは、私は見つけにくいですからね」
 柔らかく響く声に、オリヴィアの中で申し訳なさと安堵が混ざる。女王に言われて頭を上げ、改めて向き直る。そこでようやく、少女は女王がなにか持っていることに気がついた。思わず注視する。
 それは剣だった。柄は黒いが、柄頭と鍔は金色。刀身は鞘に覆われている。鞘は黒いが、女王のドレスと同じように、ところどころ煌めいているように見えた。暗いので細かい装飾が施されているのかどうか、見ることはできない。 けれど鞘の美しさから、儀礼用の剣かな、とオリヴィアは思った。
 そんな少女の様子を見つめながら、女王が口を開く。
「剣を見るのは初めてですか?」
「は、はい。従兄は騎士ですが、離れて暮らしていたので、剣を直接見るのは初めてです」
「そうでしたか。まあ、それでも大丈夫でしょう」
「大丈夫、とは?」
 首を傾げるオリヴィアに、女王が歩み寄る。剣を両手に乗せ、少女に差し出した。
「この剣を、貴方に」
「……え?
 あ、あの、私、剣なんて使ったことはありませんし、そんな、いただいても、なにもお返しできるものがありません」
 オリヴィアがしどろもどろになって遠慮すると、女王は静かに首を振った。
「いずれ、必要となります。そのときに使うか、使わないかは、貴方の自由ですが。
 剣の扱いを知らないことは、問題ではありません。使うときがきたら、わかるようになります」
「で、でも……」
「遠慮は不要ですよ。必要なことをしているだけですから。そうですね、私の、女王としての仕事なのだと思ってください」
「もらって、オリヴィア」
「フィンレイ?」
 割って入った友の声に、少女が視線を向ける。
 初めて見る、真剣な眼差しがそこにあった。
「その剣を持っていて、オリヴィア」
 息を飲んで、その目を見つめる。その真剣さに気圧されて、少女はついに頷いた。
「では、これを」
「は、はい。ありがとうございます……」
「必要なことですから、礼も不要ですよ。
 それでは、私はこれで失礼します。さようなら、竜と少女よ」
 洞窟の暗闇に溶けるように、女王は姿を消した。あからさまに、ただ用をすませにきただけという女王の様子に、オリヴィアはいささか拍子抜けする。
「な、なんだったの……? これ、本当にもらっていいのかしら」
「うん。女王陛下が言ってたでしょ、必要になるって。だから、持っていて」
「フィンレイがそこまで言うなら…… でも、剣が必要って、なにかしら。こんな、重たいもの……」
 授けられた剣を眺めて、少女は不安を隠せずに呟いた。鞘に収められた剣は想像していたよりもずっと重く、使えと言われても使えそうにない。体重を乗せれば地面に突き刺すくらいはできるかもしれないが、振り上げればきっとよろめいてしまうだろう。
「そのときになれば、きっとわかるよ」
「そうね。女王様もそうおっしゃっていたし、いまは考えても仕方がないわよね……
 ねえ、フィンレイ。それがなにかはわからないけれど、そのときになったら、貴方も力を貸してくれる?」
「……僕は、いつでも君のそばにいるよ。人間のオリヴィア。僕の友達」
「ありがとう、フィンレイ」
 安堵から、笑みがこぼれる。しかしすぐに、自分が口にした言葉に、はっとした。
(そうだ、お礼を言わないと)
 そう思い出した瞬間に、顔に熱が集まっていくような気がした。
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登場人物紹介

オリヴィア

赤い髪の女の子。引っ込み思案気味だか実は頑固者で、一度言い出したら聞かないタイプ。きわめて努力家だが自己評価が低い。

フィンレイ

寂しがりで知りたがりな竜の子供。たぶん男の子。普段は異世界の洞窟に棲息しており、影を通してオリヴィアに語り掛けている。

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