第16話

文字数 4,567文字

 そのあとは何事もなく、店に着いた。入り口の少し手前で立ち止まる。
「この店か。じゃあ、俺はもう行くよ」
「はい、ありがとうございました、テオ兄さん」
「テオさん、ありがとうございました」
「ああ。それじゃあ、また」
 くるりと踵を返し、去っていく赤い髪。それを見送って、店内に入る。
店内は窓からの日差しで明るかった。レースのカーテンのおかげで柔らかくなった光が、椅子とテーブルを照らしている。そこにかけられたクロスは薄い青色で統一され、かわいすぎない内装になっていた。あまりかわいらしすぎても落ち着かないオリヴィアは、ひとまずそこで安心する。店員に案内され、店の奥の方のテーブルに座った。
「小さいけど、その分安いケーキがいっぱいあるの。三つくらい選んでも、よその店のケーキ一つ分くらい。すごいでしょ」
 トリシャに促されて、オリヴィアはメニュー表をのぞき込む。彼女の言うとおり、確かに安い。三つずつ選んで店員を呼ぶ。注文を終えると、トリシャがポーチを漁りだした。リボンのついた小さな包みがオリヴィアに差し出される。
「あたしからのプレゼント。ちょっとした歓迎っていうか、たまたまいいの見つけたっていうか…… 人にもの買うの好きなんだよね、あたし」
 はにかむトリシャが眩しくて、オリヴィアはつい目をそらしてしまった。このままではいけないと自分を叱咤し、前を向く。
「あ、りがとう…… 開けてみてもいいかしら」
 もちろんと肯定され、緊張しながら包みを開ける。出てきたのは髪飾りだった。鮮やかな緑色のリボンが、花の形に編まれている。
「オリヴィアの髪、赤いから、絶対この色が似合うと思って。目の色にも似てるしさ!」
 自信満々のトリシャに、言葉が出てこない。
 オリヴィアは、自分の髪が嫌いだ。嫌いだった。少なくとも、フィンレイに花の色だと言われるまでは、大嫌いだった。彼に花と言われ、少しだけ認められるようになった、自分の髪。それを飾るもの。
 赤い髪であることは、決して悪いことではなかったのだ。
 言わなければ。一日に何度も、違う相手に言うなんて、生まれて初めてだけれど。
「ありがとう、トリシャ。本当に、すごく、嬉しい」
 オリヴィアは泣きそうになるのをこらえて、笑顔を努めた。それを見たトリシャは大げさだと照れ笑いをする。ちょうどよく運ばれてきたケーキが、空気を変えてくれた。
 ショートケーキとチョコレートケーキ、チーズケーキ、ムース、プリン。カラフルなお菓子に彩られ、テーブルがあっという間に華やいだ。
 食べる順番に悩みながら、小さなケーキをフォークを使ってついばむ。一緒に注文した紅茶もあたたかく、心が和らぐ。
「ねえ、オリヴィア。さっきのテオさんが、前に言ってた従兄の騎士さんだよね」
「ええ、そうだけど。テオ兄さんがどうかした?」
「どうかした、じゃないって! かっこいいね、テオさん! 恋人とかいるかな?」
「えっ。えーと、一応、聞いてはいないわ」
「好きな人とか、好みのタイプとかは?」
「き、聞いてないわ。そういう話題はお互いに出さないから……」
「そうなの? まあ、男女の従兄弟じゃ恋の話なんてしないか」
 残念だと肩を落とすトリシャに、オリヴィアは目を白黒させた。果たして、まったく考えたことがなかったからだ。確かにテオは、外見で言えば精悍な顔つきをしているし、背も高い。職業は王宮騎士だ。珍しい赤毛も、偏見や劣等感がないなら、気に病むこともないのだろう。従兄が、異性から好まれそうな要素を揃えていることに、オリヴィアはたったいま気がついた。
 とはいえ、正直者の従兄のことだ。恋人ができたら教えてくれそうな気もする。
「たぶんだけど、いないと思うわ。テオ兄さんなら、恋人ができたら教えてくれそうだもの。それに、王宮騎士になるための勉強とか訓練とかで、ずっと忙しかったみたいだし。いまも……」
「お、王宮騎士? 騎士は騎士でも、王宮騎士か…… 宮勤めなんて、すごい人に会っちゃってたんだ、あたし。
 でも確かに、なるの大変だっていうし、いまは忙しいし、いないのかもね」
「……治安、本当に悪いのね。さっきは驚いたわ」
 道を歩いていて感じた視線を思い出し、オリヴィアは無意識に腕をさすった。はしゃいでいたトリシャも、歯切れが悪くなる。
「そだね。さすがに、あたしもはじめてだったけど。テオさんいてくれて、本当によかった。あとをつけられたりしたら、あたしたちじゃどうにもできないし」
 不安が沈黙を生む。ふと授業で得た知識が、オリヴィアの脳裏をかすめた。
「この間の授業で教わったような、暴動とか……、起きない、わよね?」
「え…… そんな、大丈夫だよ! さすがにそれは心配しすぎ! まあ、そりゃあ、オリヴィアは従兄が騎士だから、心配になるんだろうけど…… いくらなんでも、そこまではないって」
 トリシャが、少し深く息をしたことに、オリヴィアは気がついた。新しい友達は紅茶を一口飲んで、ぱっと顔を上げた。笑顔だ。
「騎士さんたちも頑張ってくれてるし、警邏の人たちも巡回増やしてるらしいし、そのうち落ち着くよ。テオさんも頼りがいありそうだったし。
 いいなー、オリヴィアは。あんなかっこいい従兄がいて」
 明るく笑うトリシャに、空気が変わったことを感じる。自分には真似できない芸当だ。オリヴィアは心の中で礼を述べる。口に出して話題を蒸し返すことはしない。相変わらず会話そのものが不慣れなオリヴィアだが、この数ヶ月でそのくらいはわかるようになった。
(お礼と言えば、フィンレイにはまだ言えてない)
 ふと思い出す。そう言えば、餞別にくれた花のお返しもできていない。
 ちらりとトリシャを見ると、目があった。ケーキを食べながら、どうかしたかと首を傾げている。
 一言目が出るまでに振り絞った勇気は、きっと彼女にはわからないだろう。
「あの、トリシャ。相談したい、ことが、あるのだけど。いいかしら」
 緊張して言葉がとぎれがちになることが、オリヴィアにはよくある。自覚していて、治したい癖だ。目の前の友達は、そのことについてなにも言わない。いいことも、悪いことも。それだけで、彼女と友達になれてよかったと、オリヴィアは思う。
「ん、なに? 私で乗れる相談なら、なんでもどうぞ」
「その、ね。友達がいるの。テオ兄さんには、秘密、なんだけど。私が首都に来れたのも、その友達に、背中を押してもらった、からで……」
「うん」
「出発する前の日に、餞別にって、お花をくれて」
「うん」
「私、たくさん恩があるのに、きちんとお礼ができていないの。ううん、ちゃんとその都度言ってはいるんだけど、その、改めてお礼がしたいというか、お花のお返しもできてなくて、でも、どうしたらいいのか、全然わからなくて」
「うん」
「その、どうしたらいいかしら。お礼を言うだけではなくて、なにか……」
「プレゼントがしたいの?」
「……なにか、喜んでもらいたいの。私がしてもらってきたように、喜んでほしいの。
 誰かの話を聞き入れることも、他人を頼ることも、故郷を離れることも、きっと、彼がいなければできなかったことだから」
 オリヴィアは顔の熱さを感じながら、いまの自分があるのはすべて、彼のおかげなのだとどうにか新しい友達に伝えきった。紅茶を飲んで落ち着こうとするも、カップに伸ばす指がうまく動かない。
 そっとトリシャの様子を見ると、彼女はオリヴィアをじっと見つめていた。
「……あの、なにか、変だったかしら」
「ううん。……たくさんのものをもらったから、お礼がしたいの?」
「ええ、そうよ」
「ほんとにそれだけ?」
「ど、どういうこと」
 トリシャの問いかけにオリヴィアは戸惑う。それだけ、とはどういう意味だろうか。目を伏せ、真剣に考え出したオリヴィアには、トリシャが眼鏡の奥で大きな目を輝かせていたことに気づかなかった。
「まあ、お礼は大事だし、いい心がけだよね。うんうん。相談相手にしてもらえるなんて、光栄だわ。
 でも、残念。私、友達第一号じゃなかったんだ」
「あ、あの、学校の友達ではないから…… 学校なら、トリシャが、その、最初の友達なのよ」
 気を悪くしたかとオリヴィアが慌てると、トリシャは小さく噴き出した。
「オリヴィアって素直だねえ」
「そうかしら、ひねくれてると…… 前にもこのやりとり、したわね」
「そういや、したね」
 あはは、と笑うトリシャにつられて、オリヴィアも笑う。ひとしきり笑ったあと、さて、と話題を戻したのはトリシャの方だった。
「お礼がしたいって話だけど…… とりあえず、どんな人なの? 好きそうなものとか趣味とか、わかる?」
「それが、あまりよく知らないの。というより、あまりそういう、好きなものとか、趣味とかがないみたいなのよ。最近は、……散歩が好きみたいだけど」
 実際には空を飛ぶことだが、人間で言うなら、あれは散歩になるのだろう。
「それは、難しいね……
 うーん、その人って、すぐに会える人?」
「……ええ、そうね。その、近いうちに、会う約束をしているの。だから、そのときに、お礼がしたくて」
「会うまでには時間はあるの? 連絡を取ることはできる?」
「ええ、できるわ」
「だったらさ、直接聞いちゃいなよ」
「ええっ?」
 思わず飛び出た声の大きさにオリヴィア自身が驚く。慌てて店内を見回したが、あまり注目されてはいなかった。少しだけ安心し、改めてトリシャと向き合う。彼女はオリヴィアの動作に苦笑していた。
「みんな自分のおしゃべりに夢中だから、ちょっとやそっとじゃ見向きもしないよ。
 それより、そんなに驚くことかなあ。聞いてみたらって言っただけじゃん」
「だ、だって、そんなの……」
「恥ずかしいの? でも、好きなものがわからないのに当てずっぽうでプレゼントしちゃうより、そっちの方が喜ばれると思うよ。いや、まあ、ついさっき当てずっぽう同然でプレゼントした私が言えることじゃないかもしれないけど……」
「そんな、嬉しかったわ。
 でも、確かにトリシャの言うとおりかもしれないけど、彼のことだもの。そんなこと言えば、絶対に遠慮するに決まっているわ」
「そのときは押し切る! オリヴィアが引かなかったら、きっと教えてくれるよ。それともその友達は、厚意を無碍にするような人なの?」
「そんな、彼はそんなことしないわ。絶対に」
 オリヴィアが強く言い切ると、トリシャはやや驚いた顔をした。そして、笑う。
「なら、大丈夫よ」
 諭すような、あるいは自信たっぷりなトリシャの様子に、オリヴィアは言い返せない。確かに悪くはないのだ。トリシャに言ったとおり、フィンレイは厚意を無碍にするような性格ではない。そもそも竜の喜ぶものなんて人間であるオリヴィアにはわからない。
 この方法の難点はたった一つ。
「考えただけで、恥ずかしい……」
「まあ、頑張りなさいな」
「ああ、どうしましょう……」
 オリヴィアはぶつぶつと独り言を唱えながら両手で顔を覆う。トリシャはそれを、にやにや笑いで見つめていた。
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登場人物紹介

オリヴィア

赤い髪の女の子。引っ込み思案気味だか実は頑固者で、一度言い出したら聞かないタイプ。きわめて努力家だが自己評価が低い。

フィンレイ

寂しがりで知りたがりな竜の子供。たぶん男の子。普段は異世界の洞窟に棲息しており、影を通してオリヴィアに語り掛けている。

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