第19話

文字数 2,093文字

 オリヴィアは慌てて、剣を抱えたまま、フィンレイの注意をそらそうと、バスケットを竜の鼻先に突き出す。小さく深呼吸をしてから、口を開く。
「あの、今日はサンドウィッチを持ってきたの。お昼頃になったら食べましょう」
「嬉しいな。ありがとう、オリヴィア」
「どういたしまして」
 どうにか顔色を戻せたオリヴィアは、口元をほころばせたまま、フィンレイの正面からおなかの方に回り込んだ。竜もそれを合図に、慎重に足を折り畳む。少女は置きっぱなしのブランケットの上に座り、二枚目のそれで足下を隠す。バスケットはその横に。竜のもたげた首は、ちょうど頭が少女の近くに来る形で落ち着いた。
 正面のままで座り込むこともあるが、今日だけは絶対にこの体勢じゃないとだめだとオリヴィアは決めていた。
 正面で向き合って、お礼をしたいなんて口にするのは、あまりにも恥ずかしすぎる。
(テオ兄さんは大丈夫だったけど、フィンレイは…… フィンレイにお礼を言う方が勇気がいるなんて、いったいどうしてかしら)
 けれど言わなくては。決心が鈍らないうちに口にしないと、きっと言い訳して逃げてしまう。
(女王様がいらっしゃったのは、驚いたけど。でも、だからって今日言わなくていいというではないわ)
 少女は心の中で自分に言い聞かせる。しかし、オリヴィアが決意を確かめているうちに、フィンレイの方が先に口を開いてしまった。
「オリヴィア、ケーキ屋さんってどんなところだったの?」
「……ええと。かわいらしいお店だったわ。内装も明るい色で揃えられていて、でも、かわいすぎるほどではないの。大人のお客さんも何人かいたわ」
「ケーキはおいしかった? 確か、甘い食べ物なんだよね?」
 うずうずとした様子で問いかける竜の子に、オリヴィアは思わず噴き出した。小さく笑いながら、質問に答える。
「知りたがりのフィンレイ。ケーキはおいしかったわ。でも、とても小さくて、貴方へのおみやげにはできそうになかったの、ごめんなさい」
「そんな。謝らないで、優しいオリヴィア。僕は、君の話が聞けたら、それだけで満足だよ」
 竜にも表情がある。作り方は人間と同じだ。目を細めたり、口角が上がったり。竜の笑顔を見ると、少女も同じ顔になる。
「いろんなお話をしたわ。学校のことも首都のこともたくさん。あと……」
 急に口ごもったオリヴィアを、フィンレイは不思議そうに見つめた。短い髪を摘んで引っ張ったり、フィンレイの顔を見たり、目をそらしたりと忙しい。
「どうしたの、オリヴィア」
「あの、そのね、フィンレイ」
 ぐっと、拳を作り、どうにか顔を上げて、竜の目を見つめて、少女はその言葉を口にした。
「私、フィンレイにお礼がしたいの」
「……お礼?」
「そう、お礼。私、フィンレイにたくさんのことをしてもらったのに、全然お礼ができてないから。だから、なにかお礼がしたいの。
 なにか、欲しいものはある? 私にしてほしいこととか、あるかしら」
 オリヴィアの、今日までの人生で、いまこの瞬間よりも緊張したことはない。髪と同じくらい赤くなった顔で、真剣に問う少女に、竜は少し戸惑う様子を見せた。長い首を持ち上げ、お礼なんて、と大きな口から言葉がこぼれる。
「僕の方こそ、君に、たくさん、たくさんのことをしてもらっているのに。
名前をくれて、呼んでくれて、友達になってくれて、僕のこと怖がらないくれて、一緒にいてくれる。僕は、それだけで、本当に幸せで…… 僕こそ、君にお礼をしなくてはいけないのに、君の方から僕にお礼だなんて」
「私がしたいのよ、フィンレイ。貴方こそ、私の名前を呼んでくれて、友達になってくれて…… テオ兄さんを頼ることができたのも、髪を飾るものを受け取れたのも、貴方のおかげなのよ。だから、お礼がしたいの」
「君が友達でいてくれたら、僕を呼んでくれるなら、僕はそれだけで十分だよ。お礼なんて、もらえないよ」
「だめよ、私の気がすまないの。どうしても貴方に、私がもらった分だけのお返しがしたいの」
 竜の大きな頭に、そっと手を乗せる。見ようによってはすがるようにも見える体勢で、なにかないかと、少女は最初の友達に言い募った。竜はじっと動かず、近すぎて少し見えづらい少女の、手の温度だけを感じ取る。
「……なんでも、いいの?」
「ええ、なんでも。言ってみて」
 オリヴィアは静かに離れて、フィンレイの頭の正面に立つ。顔が赤いことがばれてしまうけれども、かまわないと思えた。自分を見つめる竜の視線から逃げず、目を見て待つ。
「僕と、友達でいて。本当は、してほしいことがあるけど、いまはまだ、もうちょっとだけ、待ってほしい。だから、少しだけ、待っていて。きっと、君にしかできないことだから」
「いまじゃだめなの?」
「……うん。もう少しだけ」
 フィンレイが一度、瞼を閉じる。オリヴィアは大きな青い目がもう一度見えるのを待った。
「もう少しだけ、待って」
「ええ、わかったわ。でも、絶対よ? 約束してくれる?」
「うん。約束する。きっと、お願い事を言うよ」
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登場人物紹介

オリヴィア

赤い髪の女の子。引っ込み思案気味だか実は頑固者で、一度言い出したら聞かないタイプ。きわめて努力家だが自己評価が低い。

フィンレイ

寂しがりで知りたがりな竜の子供。たぶん男の子。普段は異世界の洞窟に棲息しており、影を通してオリヴィアに語り掛けている。

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