第26話

文字数 2,021文字

「……ねえ、オリヴィア。僕の勘違いならいいんだけど、もしかして、あんまり元気じゃない?」
 ああ、今日は彼を元気づけるために来たのに。
 気づかれてしまったという悔いと、気づかれて嬉しいという気持ち。両方をうまく表すことができず、オリヴィアは反射的に顔を伏せてしまった。
「ああ、ごめんね、オリヴィア。いやなことだった? ごめんなさい」
 静かに頭を遠ざけようとするフィンレイに、オリヴィアは顔を上げて答える。自分を見ている目は、とても不安そうだった。
「違うの、フィンレイ。今のは、その、気づかれたくなくて、普通の振りをしていて、なのにフィンレイが気づくから…… 気づかれないようにって思ってたはずなのに、私、フィンレイが気づいてくれたことが嬉しくもあって、それで…… なんて答えたらいいか、わからなくて」
「困らせてしまったんだね。ごめんなさい、オリヴィア」
「いいの、謝らないで。その、確かにちょっと困ってしまったけれど、それはフィンレイが悪いわけではないわ。私の気持ちの問題なの。だから、そんな顔をしないで」
 少女が慌てて言い募る。ケーキが間にあるせいで、手を伸ばしても不安げな顔を撫でてあげられないことがつらく、ひどいことをしてしまったのだとオリヴィアは苦しくなった。
 けれど、伸ばされた手を見た竜が、そろそろと元の位置に戻ってきてくれた。自分が大きすぎて見えづらいのだろう、ケーキと衝突しないように、慎重に動く。オリヴィアは指先が彼をつついてしまわないように、少しだけ手を動かした。
 元の位置に戻りきった友達の頭に、そっと手を添える。フィンレイはゆっくりと、瞼をおろした。大きな青い目がもう一度見えるのを、オリヴィアは待つ。
「困らせてしまって、ごめんね」
「いいの、気にしないで。明るい話ではないから、黙っていようと思ってたの。それで、普通の振りをしていたのだけど、できていなかったみたい。ただそれだけなのよ」
「なにか悲しいことがあったの、オリヴィア? 僕でよければ話を聞くよ。ほかにできることは、まったくないけれど…… ああ、もちろん、話したくないことなら話さなくてもいいんだ。悲しいことは、思い出すだけでも悲しいもの」
 慌てるフィンレイの優しさを、オリヴィアは嬉しく思った。友達を心配させるのは心苦しい。けれど優しさを受け取ると、今度は心が少しあたたかくなる。
「大丈夫、私のことではないから。トリシャのことなの。彼女の、お父さんが……、怪我を、してしまって」
「……ころんじゃったの?」
「いいえ。お仕事の帰りに、暴漢に襲われたのですって。持ち物をとられて……
 幸い、すぐに警邏の方が来てくださったおかげで、大事には至らなかったと聞いたけど…… トリシャも落ち込んでしまっていて。元気な振りだけはしているのだけど、それが見ていてつらいの」
 黙ってしまったフィンレイを見て、オリヴィアは少し顔を背けた。竜はとてもつらそうな顔をしている。
(やっぱり、優しいフィンレイにこんな話をするんじゃなかった)
 後悔が心に浮かぶが、一度言ってしまったことは取り消せない。かといって、それこそトリシャのように、一言で空気を変えることはオリヴィアにはできない。どうにか、悲しいままで話を終わらせてしまわないようにと考えた。
「……ねえ、フィンレイ。あなたなら、どうする? たとえば、そう、つらいことがあったとして、あなたならどういうことがあれば、そこから立ち直れるかしら。ううん、完全に立ち直るんでなくてもいいわ。落ち込んでしまったときに、少しだけ元気になれるようなことに、心当たりはない?」
「僕が落ち込んだときに、元気になること?」
「そう。どんなことがあれば、笑うことができる?」
「僕なら……」
 竜の大きな体が、静かにオリヴィアの方に傾いた。青い目がじっと少女を見つめる。
「オリヴィアとお話しする。オリヴィアの声を聞いて、笑ってるのを見る。サンドウィッチもあったらもっと嬉しいな」
 まさか自分の名前が出てくると思っていなかった少女は、わずかに赤くなった。お構いなしに竜は続ける。
「でもそういうときに、オリヴィアも元気がなかったら、もっと悲しくなってしまう。だから、オリヴィアは笑っていてあげたらいいと思うよ。
 どんなに悲しいことがあっても、友達が笑ってくれていれば、すぐに幸せになれるから」
 オリヴィアは、今まさに、笑ってほしいと言われたような、そんな気持ちになった。
(それが私にできることなら、頑張ろう)
 フィンレイは怖い思いをして、トリシャも深く傷ついている。無事な自分にできることが笑っていることなら、それが二人を励ますならばと、オリヴィアは精一杯、いまだ慣れない笑顔を浮かべる。
「ありがとう、フィンレイ。それは、私にとっても同じことよ」
 竜と少女は、どうか笑ってほしいと懸命に伝えあった。
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登場人物紹介

オリヴィア

赤い髪の女の子。引っ込み思案気味だか実は頑固者で、一度言い出したら聞かないタイプ。きわめて努力家だが自己評価が低い。

フィンレイ

寂しがりで知りたがりな竜の子供。たぶん男の子。普段は異世界の洞窟に棲息しており、影を通してオリヴィアに語り掛けている。

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