第29話

文字数 2,400文字

 力なく自分を見つめる友達に、どちらも黙り込むことしかできなかった。ただ風の音だけが洞窟を満たす。ぼんやりとした苔の明かりがお互いを曖昧に照らし出していて、今にも消えそうに思えた。
 どのくらい立ち尽くしていたのか、先に口を開いたのはフィンレイだった。
「ねえ、オリヴィア。君は前に、お礼の話をしてくれたよね。なんでもしてくれるって約束、覚えてる?」
「……覚えてるわ」
「僕のお願いはね、オリヴィア。君に僕を、殺してほしいんだ」
「いや……」
 ふらふらと、オリヴィアはフィンレイに歩み寄った。大きな体にすがりつく。
「どうしてそんなことを言うの。友達なのに、そんなことできるわけないじゃない……」
「友達だから、できるんだよ。そうできるってことは、僕はオリヴィアに好きになってもらえてるってことだもの」
「いやよ。絶対にいや。私、そんなことするために、あなたと友達になったんじゃない」
「ごめんね、オリヴィア。僕はいつも君を泣かせてしまう」
 心底困り果て、悲しむ声がオリヴィアの耳に届く。顔を上げると、竜の頭がすぐそばまで降りてきていた。近くで見る大きな青い目は今にも泣き出しそうだ。
「どうしてなの? どうしてあなたがいるだけで国が荒れるの? それは、どうにもできないことなの?」
「どうしてかは僕も知らない。でも、この国はそういうものなんだよ。竜は荒廃を生む。だから、僕はずっとここで、弱くて悲しい、ひとりぼっちでいなくちゃいけなかったんだけど。
 僕は、オリヴィアに会ったから。
 すごくすごく、幸せになってしまった。いけないってわかってたのに。僕が元気になったら、僕の影響も大きくなる。だから幸せになっちゃいけないって、本当はわかってたんだ。わかってたんだけど」
 すり寄ってくる大きな頭をオリヴィアは抱きしめた。両腕を広げても閉じこめることはできないけど、温度が伝わればいいと思った。この洞窟は、とても寒いから。
「会いたいって思ってしまうんだ。声が聞きたい。ずっとお話ししていたい。君が僕のこと、友達って言ってくれるから」
 ごめんね、オリヴィア。そう言って、竜は少女の腕の中から離れた。オリヴィアは腕が少し寒くなった。
「会って、元気になってしまうのがだめなら、もう会わなければどう? 悲しいけど、すごく悲しくて寂しいけれど、あなたが死んでしまうくらいなら、私、我慢するわ。影からお話しするのも、いけないならもうしない。あなたが生きているために必要なら、耐えてみせる」
「……それでもだめだよ、優しいオリヴィア。僕は君を思い出すだけでも、とても幸せな気分になれるんだ。君に二度と会わないことは、確かにできるかもしれない。でも、君のことを二度と考えないなんて、僕にはできない」
 それは、なにも知らなければ、ただ嬉しいだけの言葉だった。けれど、オリヴィアにはもう、素直に喜ぶことができない。

 少女は唇をかみしめる。今まで、彼はずっと、どんな気持ちでいたのだろう。優しい竜だから、きっと幸せな気持ちになる度に、心のどこかで罪悪感を抱いていたに違いない。自分ひとり、のんきに喜んでいたのだと思うと、オリヴィアはひたすらに心が痛かった。
「ずっと一緒だと、言ってくれたのに」
「嘘ではないよ、オリヴィア。たとえ死んでしまっても、僕の心は君とずっと一緒にいる」
「そんなの、嘘よ。だって、お父さんもお母さんもいないもの。私、またひとりぼっちになってしまう」
「そんなことはないよ。
 この前ね、イトコさんを見たよ。退治に来た騎士さん達の中にいた」
 オリヴィアは息をのんだ。確かに従兄は竜退治に行ったと言っていた。この優しい友達に剣を向けたのだ。きっと、フィンレイは怖かっただろう。けれど、唇の震えに邪魔されて、ごめんなさいがうまく言えなかった。
「ひとりだけ赤い髪だったから、すぐにわかったよ。あの人はずっと、オリヴィアを心配してくれて、オリヴィアと一緒にいてくれた人なんでしょう?」
「……ええ、そうね」
「髪は同じ色だったけど、目の色だけ違ったよ。どうして?」
「……私の目は、お父さんの色だから」
「うん。だったら、ずっと一緒にいたよ。お父さんは目で、お母さんは髪で、イトコさんがずっと心配してくれてて、それに、友達もできたでしょう?」
「そう、だけど」
「オリヴィアは、今までもひとりじゃなかったよ。これからも、ひとりじゃないよ」
「あなたがいないのは、いや」
「僕も一緒にいるよ。前にあげたお花、栞にして持っててくれてるんでしょう? あれを持っててくれるなら、僕も君とずっと一緒だ」
 だから悲しまないでと言うフィンレイに、それではだめだとオリヴィアは食い下がりたかった。けれど、どうしても言葉が出てこない。なにか言わなくてはと気持ちだけがじれて、形にすることができない。
「女王様の剣。あれで一突きすれば、僕は死ぬ」
 自分が傷つけてしまった少女を見つめながら、白い竜は告げる。
「国が荒れたら、いろんな事件が起きるんでしょう。新しい友達の家族が、怪我をしたんでしょう。本人や、イトコさんだって、いつそうなるかわからない。なにより、オリヴィア、君がいつ事件に巻き込まれて怪我をするかと思うと、僕は耐えられない。
 僕のせいで君の国が荒れて、そのために君が怪我をしたら、僕はいやだ」
 吹き込んでこない風の音と一緒に、竜の言葉がオリヴィアの耳に流れ込んでくる。光苔の淡い明かりしかないこの洞窟で、一番きらきらと輝いているのは、彼の青い目だ。
「ひどいことをお願いして、本当にごめんなさい。でも、君にしか頼めないことなんだ。
 これ以上、僕が誰も傷つけないうちに、どうか全部終わらせてほしい」
 白くてごつごつとした体に、オリヴィアはすがりつく。どうしても返事はできなかった。
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登場人物紹介

オリヴィア

赤い髪の女の子。引っ込み思案気味だか実は頑固者で、一度言い出したら聞かないタイプ。きわめて努力家だが自己評価が低い。

フィンレイ

寂しがりで知りたがりな竜の子供。たぶん男の子。普段は異世界の洞窟に棲息しており、影を通してオリヴィアに語り掛けている。

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