第12話

文字数 2,887文字

「本当に、本人が言ったとおり、お節介なの、トリシャって。この一週間、私を見かけたらすぐに寄ってきて、声をかけてくれるの。他の人にも紹介されたり、一緒に移動したり、いままでなかったから、全然慣れないの。うまくできてない気がして仕方がないわ」
「そんなことないよ、オリヴィア。オリヴィアのこと、素直って言ってくれた人でしょう? きっといい人だし、大丈夫だよ」
「そうかしら…… 
実はね、来週末のお休みの日にケーキを食べも行かないかって、誘われてるの。でも、休日はあなたと過ごせる数少ない機会だし、無駄遣いもよくないから、断ろうかと思ってるけど、でも断るのも申し訳ない気がして…… どうしよう」
「友達ができたんだね、オリヴィア。よかった、本当によかった。
僕のことは気にしないで。夜になってから、どんなケーキを食べたのか聞かせてくれたら、僕はそれだけで満足だよ。それにきっと、ケーキを食べるくらいでイトコさんは怒らないよ」
「そう? 本当に、いい?」
「もちろんだよ、優しいオリヴィア。僕を気にしてくれて、ありがとう」
 ばさりと翼を動かすフィンレイに、オリヴィアはありがとうと言った。その白い前脚に手を当てたまま、二人で森を歩き続ける。
 オリヴィアはコートとブランケットで着膨れしている。手をふさがないように、昼食のサンドウィッチはリュックサックに詰めて背負っている。
 今日は、これから二人で、空を飛ぶのだ。
 女王から上空は寒いと聞いて、オリヴィアはもこもことした状態でこちらに来た。朝露に濡れた草と土の匂いを吸い込むと、ひんやりと気持ちがいい。
 しばらく歩き、方向転換をする。出発地点は二人が一ヶ月ほど前にそろって墜落した地点だ。そこだけ木々の屋根がなくなってしまっているので、大きな日溜まりになっている。フィンレイが距離を目測しているのを、オリヴィアは見守った。
「うん、このくらいでいいと思う。背中に乗って、オリヴィア」
 四肢をたたんでかがむ竜の背によじ登る。首にしがみつくようにして体を密着させた。
「こんな感じかしら」
「うん、たぶん。落っこちないように、しっかり捕まっててね」
 少女はしがみつく腕にさらに力をこめる。その感覚を確かめてから、竜は駆けだした。木々はあっという間に後ろに追いやられ、気づくと日溜まりの中にいて、大きな向かい風が吹く。引き剥がされそうになって、オリヴィアはさらに強く、フィンレイにしがみついた。怖くなって、堅く目をつむる。風の音が耳元を流れていく。
 その中に、聞き慣れたばさりという羽ばたきが聞こえ、ふとオリヴィアは安心した。
 風の音が小さくなる。
「ねえ、見えるかい、オリヴィア」
「ええ。ええ、見えるわ……」
 少女は、ゆるやかに飛ぶ竜の背から、世界を見渡す。青い空はまだ遠く、しかし白い雲は近い。森のてっぺんが下にあり、遠くに湖が陽光を反射する光が見える。振り向くと、切り立った崖と、ぽっかり空いた黒い洞窟が見えた。体を包む風は冷たい。けれど、太陽がある方角には遮るものがないため、日の光はあたたかだ。
「きれい……」
「うん。とっても。とってもきれいだ。
 ありがとう、オリヴィア。君がいなければ、僕は外に出ようなんて思わなかった。君のおかげで、この景色を見られた」
 風と羽音の中でも、少女と竜がお互いの声を聞き漏らすことはない。世界を見渡しながら、二人は話し続ける。
「それは私もよ、フィンレイ。あなたがいなければ、きっとあの町を、あの家を出ることなんてできなかった。そんな勇気、持てなかった。テオ兄さんを頼ることすら怖かった私に、あなたが勇気をくれたのよ」
 浮かせていた頭を落とし、オリヴィアは言った。竜の皮膚は柔らかくはない。むしろごつごつしている。あたたかくもない。白が反射する日の光が少しまぶしくて、目をつむる。
 体に当たる風で、フィンレイが無言で旋回していることがわかった。ぐるぐると回る竜がおかしくて、オリヴィアは思わず笑う。
「やっぱり、フィンレイってわかりやすいわ」
「そうかなあ」
「きっとそうよ。
 ねえ、どこまで飛べるの?」
体を起こして、オリヴィアが尋ねる。フィンレイはええと、と前置きしてから、自分で確かめるように答えた。
「元の洞窟までは、もう飛べるよ。だから、今日からはあっちに帰らないと」
「やっぱり、あの洞窟に帰るのね」
「あそこは嫌い?」
「いいえ。暗くてあなたは嫌いかもしれないけど、私は嫌いじゃないわ。とても美しいと思うもの」
「よかった。オリヴィアがそう言ってくれるのは、嬉しいな」
「本当に?」
「本当だよ。
 ……それから、女王陛下が言うには、向こうの湖くらいまでなら、いまの僕は飛んで行けるって」
 その言葉を聞いて、オリヴィアはきらきらと光る水平線を見た。彼女も、本物の湖は見たことがない。
「行ってみるかい、オリヴィア」
「ええ、見てみたいわ。でも、疲れない? 平気?」
「平気だよ。じゃあ、行ってみよう!」
 ばさり、とひときわ大きな音がして、オリヴィアは再び強くフィンレイにしがみついた。体を包んでいた風を切るように、フィンレイは速度を上げていく。水面に垂らした糸を引くかのように、眼下の森は竜に従って枝を伸ばし、引き離されて元に戻る。風の音と冷たさに耳を打たれ、次は耳当ても持ってこようと、オリヴィアは心に書き留めた。
 きらきらの水平線が、だんだんと面積を広げていく。
 それが湖だとはっきり視認できるまで、そう時間はかからなかった。小さく波打つ水面が日光を反射して、きらきらと輝いている。光っていない部分は、空よりも深い青色で、時折雲が映っているのが見えた。
「まぶしいね、オリヴィア」
「ええ、眩しいわね。すごく眩しくて、すごくきれい」
「うん、とてもきれい。近くに降りようか」
「そうね、降りてみましょう。湖の縁の近くなら、きっと木の少ない場所もあるはずよ」
 少女の言葉を聞いて、竜は速度を落としながら湖に近づいた。湖岸付近で木の少ない場所を探し、慎重に降り立つ。四肢をたたんで、オリヴィアに降りるよう促した。竜の背から降りたオリヴィアは、その正面まで回り込む。
「乗せてくれてありがとう、フィンレイ」
「どういたしまして、オリヴィア。ねえ、湖の近くまで行こうよ」
「そうね。それにおなかも空いたし、お昼ご飯にしましょう。あなたの分のサンドウィッチも作ってきたの」
 オリヴィアはフィンレイの前脚に手を当てて、歩き出した。フィンレイは小さな彼女を蹴飛ばさないように気をつけて歩く。
 湖岸は上空で見ていたよりも広い。湖の縁まで行くと、フィンレイは寝そべるように体をくつろがせた。オリヴィアは彼の頭の近くを陣取って、ブランケットを下敷きにして座る。リュックサックからサンドウィッチを取り出し、ついでにお茶を入れた水筒も出した。
「はい、フィンレイ。召し上がれ」
「ありがとう。いただきます」
 そうして、和やかなランチタイムがはじまった。
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登場人物紹介

オリヴィア

赤い髪の女の子。引っ込み思案気味だか実は頑固者で、一度言い出したら聞かないタイプ。きわめて努力家だが自己評価が低い。

フィンレイ

寂しがりで知りたがりな竜の子供。たぶん男の子。普段は異世界の洞窟に棲息しており、影を通してオリヴィアに語り掛けている。

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