第24話:義理の母のリウマチと再度ポルトガル

文字数 1,651文字

 傷物は、自宅の販売所の脇の簡易食堂でジュースにして瓶詰めして販売する様に電話連絡があればトラックで出かけて持ってくるようにし10kg単位で安く買った。そして今年は9月2日全部終了して田名の農家で傷物、訳ありの梨を10kg単位で買った。頻繁に持って来てはジューザーやフリーザーに入れてジュース、ジェラードに下。

 すると、想像以上に売れて、大きな利益をあげた。ちなみに、ジュースは2Lで300円、ジェラードは100g100円で販売した。すると、近くの町の商売人が大量買いしてくれた。そうして、毎日、買いたいと言う商店主が多く、すぐ、在庫切れした。また今年は、台風が、少なくて助かった。

 やがて10月になり熱海の温泉に行き、ゆっくり休んで疲れをとり11月、12月と進み、忘年会を町田の中華料理点で江成家の4人と山田家の3人が集まり今年、山田静香さんのお母さんがリウマチで手足がこわばって国立相模原病院リウマチセンターで診察してもらい、消炎鎮痛剤の内服と外用剤をもらい始めたと聞いた。

 来年の旅行は、無理みたいですねと言うと、申し訳ないと話したが、勇三が、一刻も早く治ることを祈ってますと言うと、皆に、ご心配かけて申し訳ありませんと、涙声で言った。2011年を迎えた。今年、初詣でに行くと勇三の引いた、おみくじが凶と出た。今年はじっと我慢の年で無理して手を広げずに全ての事において着実、確実にこなして行く事と書いてあった。

さらに、決して、無理せぬように、無理すると、病気、怪我に見舞われると書いてあった。静香さんのおみくじも近い事が書いてあり、今年の運は、凶。確実に、物事を運べ、決して冒険をするな。冒険をしても失敗し、今迄の成功が、水泡に帰すと書いてあり、できる事だけを着実にこなせと書いてあった。

 その言葉通り今年も部屋を暖かくし風邪を引かぬようにマスクしたが部屋の湿度が低いせいか喉が痛くなり、咳き込んだ。勇三も同じで。耳鼻に行って薬をもらっても効かず内科へ行くと喘息の可能性があるとステロイド吸入薬と気管支拡張剤、うがい薬をもらい薬を使った。すると5日目位から、咳の回数が、減りだして、8日目には、ほとんどなくなった。

 そして2月が終わり、3月となり、2011年3月11日、午後14時47分、突如、大きな揺れに見舞われて、台所の食器が落ちて多くの食器が割れた。その後は東北での大惨事がテレビに流されて、暗い気持ちになってしまった。しかし梨の仕事は休んでられないと気を取り直して4月からの花粉つけ、5月からの摘果、6月からの袋かけ、ネット張りをした。

 初詣でのおみくじ通り、新しい事はせず、いつもの様に着実にこなして行くと7月になり梨が今年も順調に育ち大きな実をつけくれた。8月に入り大きな物から収穫し始め、いつも通り販売できた。9月中に全部売れて利益も昨年同様。訳ありの梨が多く、昨年の1.5倍もありジュースとジェラードの販売が好調でそれを入れると昨年の3割増しの収入を上げた。

 静香さんのお母さんのリウマチも薬が効いたせいか痛みも少なくなり日常生活に支障がなくなり、担当の先生も通常通りの生活できますと言い海外旅行も無理しない範囲で問題ありませんと言われた様だ。静香の方は、その後も株で稼いでいるようににんまりしていた。そして10月に静香さんの御両親と江成家の4人の6人で熱海温泉に2泊の温泉旅行を計画した。

 そして旅行に出かけ温泉が気持ちよいと喜んでくれ、勇三が来年の春にポルトガル旅行に行きましょうかと聞くと、行きたいと言い、それまでに体調を整えておきますと義理の母が言い計画をたてることにした。新年早々、ポルトガル旅行の日程を4月20日から5月1日と決めたと勇三が言い山田家にも連絡を入れた。

 4月20日、朝6時、ハイエースで田名の家を出て、町田の山田さんの家で静香さんの御両親を乗せて合計6人で16号線、首都高速湾岸線をひた走り東京ディズニーランド、佐倉を抜け成田空港に8時過ぎに到着した。
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