第9話:江成勇三の結婚と新婚旅行

文字数 1,605文字

 その後、2人で相談して、来年1976年6月に相模原で結婚式をするつもりだと話すと了解してくれた。1975年6月、山田静香さんの休みの日、梨の袋かけとネット張りの手伝いをしてもらった。その後、8月の休みと盆休みに梨の収穫をして、もぎたての甘いを食べた。こんな美味しい梨は、初めて食べたと喜んだ。

 山田さんの家に取れたばかりの梨を1箱、持参。幸水が8月中に取れ、豊水が9月初旬まで収穫。幸水と豊水を中心に収穫量を増やす事を中心に田名農協の若手と川崎多摩農協から研修指導に来ている別れの梨農家の2人に指導を受け田名農協から給料を支払った。その指導者の2人が9月の中旬には川崎に帰るので田名の相模川の川岸の料亭で送別会をした。

 これからも梨栽培で、解らない事が、あれば、気軽に電話して下さいと言ってくれた。川崎から来た人にとっては、農地が広く、水も十分にあり田名は、梨栽培に適した土地だと話した。10月以降は梨の木の剪定、誘引、接ぎ木を川崎で教えてもらった通りに勇三がやり若手が真似して梨の木の剪定と接ぎ木をした。1975年も年の瀬を迎え、やがて1976年を迎えた。

 1976年、結婚式は町田市民会館で質素に自分達のできる範囲でやりたいと勇三と静香さんが両家の両親に話すと江成家では異論がなかったが山田さんの家では、それで納得してくれるのかと勇三の実の母が心配していた。そこで勇三が山田静香さんの両親に町田市民会館で質素な結婚式をしますので宜しくお願いしますと挨拶に行くと何も言わず了解しましたと言ってくれた。

 ただ山田家の家紋の入った和服を一式取りそろえ家具も買ってあげるので持って行ってくれと言われ勇三は山田さんの御両親に深々とお礼をして新しい家庭をしっかりと築いていきますと宣言した。そして冬が終わり桜の季節を迎え6月22日を結婚式の日と決めて町田市民会館で両家で50人の参列者で町田市民会館の結婚式場で結婚式をして近くのホテルで披露宴を開いた。

 結婚式場の費用は全て山田家の両親が出すと言われ、お礼を言って、ご祝儀を、これから2人の家事道具や新婚旅行に使えと言ってくれた。そして新婚旅行は7月20日から3泊4日で北海道旅行と決めた。7月20日6時に家を出て羽田空港へ7時過ぎに着いて8時半の千歳空港行きの飛行機で千歳空港10時に到着し列車に乗った。

 その後、11時半に札幌に着いて駅ビルのレストランで昼食を取り午後13時に札幌グランドホテルにチェックイン。早速、部屋に入り一休みして午後17時頃からすすき野に出てビールを飲んでホッケを食べた。ビールが旨く、ホッケも最高。食後、大通公園やテレビ塔など名所を歩き回り21時にホテルに戻り、風呂に入り床についた。

 たりから車窓から海が見えて来て、そのまま10分ほど、小樽築港駅あたりまで、ずーっと日本海の広大な海の景色が続いた。次が南小樽でその次は目的地、小樽駅。小樽駅は歴史があり駅舎の天井も高く長い歴史を感じさせる駅舎だ。駅舎を出て外から眺めると、まるで古い写真で見た上野駅、橫浜駅の様な風格が感じられた。

 駅前には長崎屋がありバスに乗り小樽港へ向かった。小樽運河近くの停留所で降りて旧小樽倉庫本社をを見学してレンガ作りの中庭や館内を見て回った。その後、小樽運河沿いを歩いた。11時を過ぎてお腹が空いたので、地元の人の美味しい寿司屋を聞いて小さな地元の寿司店に入ると好きなネタと嫌いなネタを聞いて、お任せで握ってもらうと実に旨い。

 シャリも旨いしネタも新鮮で言うことなしだった。板前さんにお奨めの地元の市場を聞くと南小樽市場なんか面白いと言いバスで直ぐだと言われた。昼食を終えて13時半にバスで10分ほどで南小樽市場に到着して入って見ると多くの魚屋さんがあり酒の肴に良さそうな揚げ物、角焼き・かまぼこの一種、スルメイカ、ホタテ燻製、タコの柔らか煮などを買った。
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