第11話:梨の栽培と双子誕生と台風

文字数 1,421文字

 しかし、ちょっと辛めのスープカレーの味は刺激的で濃厚で実に美味しかった。その後、もう一回りして13時頃にロープウェイで藻岩山を下山した。その後タクシーで円山公園に行き散策して動物園にも入り多くの動物を見てから北海道神宮をお参りして境内、社務所を巡って16時半に円山公園駅から地下鉄に乗り札幌グランドホテルに帰った。

 そして仮眠して風呂に入り出てから南樽市場で買ったつまみを食べながらビールを飲み帰り道で買い込んできた食料も食べて22時過ぎに床についた。翌7月24日、朝6時半にホテルを出て札幌駅から列車に乗って千歳空港へ向かった。9時発、羽田行くの飛行機に乗って11時前に羽田に到着した。8月のお盆休み結婚後、始めて山田家に、お盆の挨拶に行った。

 その帰り江成家の墓参りして梨の収穫に入り奥さんも手伝い、一家、総出で朝から晩まで収穫して回った。梨の苗植えをして3年目から梨の実がなり5年に成木として多く梨が収穫できると教えられた。その後9月初旬に売れる梨は全て販売し終わった。その後、剪定や接ぎ木をして1976年の年末を迎え、やがて1977年を迎えた。

 その後、冬場は剪定、接ぎ木で比較的暇であり1月20日過ぎに日本一早い熱海の梅まつりを見に行き温泉に泊まって暖まって帰って来た。その後、風邪に気をつけ、軽い風邪程度で冬が終わり4月となり初旬から中旬にかけて梨は、白い可憐な花が一斉に咲いた。それは、実に、きれいだ。そして梨の花粉付けから本格的な梨の栽培シーズンに入る。

 5月、摘果、袋かけ、ネット張りと農家総出で仕事をして梨の多くの収穫を願う。そして梅雨が終わると梨を点検して8月からの収穫にそなえた。しかし、今年は例年になく大き梨が数多くできて販売価格もも高くできそうで、ひと安心した。後は台風の襲来さえなければと考えていた。8月で幸水梨が終わったころに9月初旬に大きな台風が来ると知らされた。

 そこで、早めに、9月10日には全ての豊水梨を収穫して9月の中旬は大雨で売れず家の中で保存し、10月初旬までかかり、全部売り、大きく前年より約2割の増益で江成家では大喜びした。そして10月16日、静香さんが妊娠したとわかり出産予定日が1977年3月18日を告げられた。この子供誕生のニュースを聞き江成家では赤飯を炊いて祝った。

 その後、お腹が大きくなり江成家の人達も静香さんに気を使って、家事を手伝ったりした。やがて11,12月となり、しばらくして1978年があけた。念のため静香さんは1978年1月14日から銀行を出産のために休暇を取り家で生活していたが勇三の母が、静香さんのお腹が、あまりに大きいので双子ではないかと言い始めた。

 1月に検診で静香さんが産婦人科の先生に聞くと、その可能性は高いかも知れませんと言われ場合によっては帝王切開になるかも知れませんので覚悟しておいて欲しいと言われた。入院も1週間前の1月7日と伝えられて勇三が身の回りのものを用意して車で産婦人科病院へ送っていった。そして1月14日、男と女の双子で二卵性双生児だと言われた、

 そして、江成和子と江成和男と名付けた。そのために大きな双子用の乳母車とベビーベッド2つを買い一番広い和室に移った。ミルクもオムツも2倍ずつ必要で祖父母と勇三が手伝った。数日後、山田家の3人が初孫を見に来て、多くの贈り物、ミルク、オムツ、肌着を持って来てくれ、2人の孫の誕生を喜んでくれた。
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