第7話:きのこ採りと勇三と静香の将来

文字数 1,714文字

 1969年10月21日、勇三の所に山田静香から電話が入った。山のきのこは、11月過ぎからと、以前、教えてもらいました。しかし、今年、きのこ狩りに、連れて行って、欲しいと言うので、いつでも良いよと答た。すると、また連絡しますと言い、その日の夕方、11月2日が良いわといわれた。

 時間はと聞かれ、そんなに早くなくても良い。弁当持参で、10時に、こっちへ来いと言うと了解しましたと答えた。11月2日、10時について、早速、車で津久井へ向かった。知り合いのおじいさんに、挨拶して、きのこを取らせてもらいたいと許可をもらい山に入った。城山湖の近くを捜すとアカモミタケが群生していて、いっぱい取れた。

 その後、津久井へ移動しナラタケが群生してる場所を見つけ、これも多く取れた。その後、城山にもどり、畑に残った大きな桑の木の周辺に冬のヒラタケが発生している。最後に、相模川の河川敷の木を捜すとヒラタケが取れ、籠、3つも取れた。そこで帰りに知り合いのおじいさんに寄り、たくさん取れたと告げた。

 おっそ分けを渡すと悪いねと言いながら喜んでくれた。昼食も忘れて夢中にきのこ採り没頭して家に14時過ぎに到着し昼食を食べてないというと母が、きのこの味噌汁と大きなきのこを焼いてくれた。そして焼いた、きのこは醤油を垂らすと最高だよ、食べてみると山田静香のお兄さんが旨いと、うなった。味噌汁も香り豊かで旬のきのこは最高ですねと山田静香が驚いていた。その後、きのこを新聞紙の広げた上に出して2つに分けて、食べ方は傘の大きいきのこは焼いて醤油かけると良い、それ以外は味噌汁の具か炊き込み御飯がおいしいと教えた。

 その後、山田家のお母さんから電話が入り、こんなに多くの天然のきのこをありがとうございますとお礼の電話が入った。その後、学校が忙しくなった様で連絡がなく12月を迎え12月23日にデパートから大きな荷物が届き、中をあけてみると大きな鳥の丸焼きと大きなハムとバームクーヘンが2本ずつ、ソーセージの詰め合わせが、鮭、蟹缶詰、クッキーの箱2つに、チョコレートの詰め合わせが入っていて、お歳暮と書いてあり、山田さんからだった。

 そして山田静香から電話が入り、今年は本当にお世話になってありがとうございますと丁寧な挨拶があり、ところで、明晩、クリスマスパーティーのご予定はありますかと聞くので何の計画もないと言うと、それなら兄と2人で、クリスマスケーキやシャンパンをお持ちしてクリスマスパーティーをそちらで一緒にやりませんかと言うので、両親に聞くと構わないよと言ってくれた。

 12月24日午後13時過ぎに山田兄弟がやってきた。大きなケーキとシャンパンとお菓子を勇三も手伝って車から下ろした。そして14時頃からアルコール抜きのシャパンをコップについでメリークリスマスと言って乾杯し大きなクリスマスケーキに火をつけ、みんなで吹き消した。

 その後、ケーキと昨日届いた鳥の丸焼きを切り分けて食べ始めると勇三が、こんな旨いもの食べたことねーと言い、鳥の丸焼き食べると、皮に味がしみて旨いねとおいしそーに食べた。江成家の両親が、こんな高価な旨いもの高かったのでしょうと言うと、うちの両親が、いつもお世話になってありがとうと言っていたと話した。そして16時頃に山田兄弟が、また来年もよろしくお願いしますと言い帰って行った。そして1970年があけた。

 来年1971年、江成勇三は相原商業を卒業して農業を継ぐことになっていて江成の両親が梨の栽培をしたいので勇三を横浜東部か川崎の農協を通じて農家で修行をさせようと考えていると話して勇三も異論はなかった。それに対して山田静香は相模女子大付属高校で優秀な成績であり、できたら八王子の中央大学法学部を受験したいと考えているようだった。

 そのために1970年4月からは相模原の予備校に通い始めた。すると予備校が始まる30分前くらいに相模原に到着し隣駅にある相原商業で授業を終えた勇三が相模原へ行き待ち合わせ、月に1-2回、デートするようになって益々、仲良くなっていった。ただ山田静香の大学受験があるので山菜採りや川遊びはできなくなった。
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