第12話:梨栽培の指導と子供の風邪

文字数 1,611文字

 その後、5月20日から静香さんが銀行に出勤し始めて朝は勇三が車で夏まで送ることにした。6月になると静香さんは銀行を5時に終わり帰って来るようになり育児に追われる様になった。7月の暑い日、静香さんが、めまいを起こして数日銀行を休んだ。

 それでも母は強く山盛りの御飯を食べて乳を与えて、おむつを替えて散歩に行く毎日が続いた。8月は暑いのでクーラーの効いた部屋で静香にしていて梨のシーズンも今年は手伝わなくて良いと言われ育児に専念した。やがて9月、10月と涼しくなり、関東地方に大きな台風の影響はなかった。

 そして、今年、梨の育苗から3年経ち来年から田名で梨園経営を希望する5軒の農家に10本ずつの梨の木を植え替える予定となり、来年にも更に10軒、再来年にも10軒の合計26件の農家で梨を栽培することになり、最終的に100軒の梨農家を育成するつもりだと田名農協の関係者が話していた。

 その農家の人達15人が勇三の梨園で10月から12月迄、剪定、誘引、接ぎ木の作業をし来年1978年4月からの花粉つけ、摘果、袋かけ、ネット張りを手伝いながら勉強していく予定になっていた。やがて1978年があけた。年が明けると共に勇三の双子の和男と和子がハイハイして動き始め祖父母が目を離せなくなった。

 そして愛想を振りまいて江成家では忙しくなったが孫の笑顔で笑いが絶えない日が続いた。1978年も寒い時期はストーブをたいて孫が風邪ひかないように気を使い、ミルク作り、オシメの取り替え、家の周りの散歩を祖父母がやってくれ、勇三は梨農家の指導に忙しく動き回っていた。その他に農協から委託されて梨の苗作りも続けた。

 やがて4月の花粉付けが始まり、この作業が梨のできを左右するので後輩の梨農家の人達に懇切丁寧に教えてあげ実際にやらせた。5月からの摘果6月からの袋かけ、ネット張り、7月の総点検も実地訓練で後輩指導をして、とにかく忙しい年で8月の収穫期、梨もぎ、収穫と販売を近隣の農家総出で手伝ってもらい、今後、自分達だけでできるように指導した。

 9月中旬に梨の販売が終了して近くの料理屋で農家、農協の関係者30人が集まってご苦労さん会をして盛り上がった。思ったよりも収益性が高いせいか俺もなしやりたいと言う農家の若者が増えてきたようで農協の方で大きな梨果樹園を10人の農家の若者でやって欲しいと言う話も出た。

 そして農協の幹部の人が田名でも減反政策で米からの転作で何か新しいものとして梨に注力してきたので是非とも成功させたいと意気込んでいた。勇三に、来年から若手農家の指導に少しだが、給料を払うと言ってくれた。それだけ勇三には期待していると肩をたたいた。勇三が、かなり飲んで家に帰ってきてすぐに床についた。

 翌朝、もう、子供達は1歳を過ぎて家の中を動き回って祖父母が追いかけ回している光景が多くなり元気に育った。梨も大好きで小さく切ってやると2人で甘くて旨い梨をたくさん食べた。山田さんの家でもお仕え物に気を使って多く買い込んでくれ進物用に使ってくれた。やがて12月になりクリスマスが、近づいた。

 今年のクリスマス、山田家の3人が、孫に大きなプレゼントとたくさんの食べ物、オモチャ、絵本を持って12月24日にやってきて鳥の丸焼きを4つと大きなケーキを3つを持参して賑やかなクリスマスパーティーとなった。夜遅くまで楽しみ、帰って行った。やがて1979年が空け1月1日に昼に山田家の3人が来て、お年玉を和男と和子に渡した。

 そして、お雑煮とおせち料理を総勢9人で笑いながら和やかに、食べて、おしゃべりして今年も宜しくと挨拶して帰って行った。1月下旬に和男が赤い顔して熱があるとおばあちゃんが気がつき、氷嚢をつくって額につけて寝かしてくれた。翌日の午後に今度は和子が赤い顔して熱が上がり、同じ様に氷嚢をつくって寝かせた。生まれて初めての風邪を経験したようだ。
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