第8話:勇三が梨の勉強と結婚

文字数 1,671文字

 秋の予備校の模擬試験で中央大学法学部への合格の可能性が70%となり、もう一息の所まで来た。その後、年末の模擬試験では遂に中央大学法学部の合格可能性が75%で経済学部なら80%だった。そして1971年を迎え静香は父と相談し、特に法学部に決めず経済学部に入り広い分野に挑戦した方が良いのではないかと言われ中央大学経済学部を受験することに決めた。

 その後、体調管理に気をつけ風邪を引かないように手洗い、うがい早寝をして2月の受験日を迎え受験会場に両親と行き、リラックスするように深呼吸をして会場に入り出て来たときは全力を尽くしたと晴れ晴れとした笑顔で会場からで出てきた。2週間後の合格発表で受験番号52番が合格者名簿に張り出され合格した。

 1971年4月からは江成勇三は川崎の多摩川沿いの梨農家に住み込みで働き梨の育成方法を学ぶことにして川崎の多摩川沿いの農家に部屋を借りて生活を始めて農繁期以外の土日は休みにしてもらった。そして土日、小田急線で相模大野や町田で山田静香さんとデートを楽しんだ。そして農閑期の冬場に竹生おじさんの家に呼ばれた。

 そしてキノコの味噌汁や焼きキノコを食べながら、勇三、お前、梨の栽培の勉強に川崎の農家に住み込みで勉強しに行ってるだってと聞いた。それに対し、えーと答えると、偉いなと、誉めてくれた。相模原でも米、山菜、きのこ、タケノコだけでは、農家も厳しいから何か金になる果物を作らないといけないと言われ続けた。

 その梨の栽培の勉強に、勇三が、行くのは、実に心強い。お前が、梨農園をやって、大きく甘い梨を相模原の新しい農産品として育ててくれれば、これからの若い農家にとって、こんな、うれしいことはない。是非、頑張ってくれと肩をたたかれた。そして農業だけでは、金が足らない時には、株をやれと告げた。

 俺も実は、農協とタケノコ、キノコだけでは食べていけないので、年金の足しに、株投資で少しずつ稼いでいると打ち明けた。だから、もし金が、足らない時には、良い情報をやるからなと言ってくれた。それに対して、その時には、相談するよと、勇三が言うと、身体に気をつけて梨の栽培に頑張れと励ましてくれた。

 1974年10月に勇三は3年の川崎の梨農家での修行を終えて水郷田名の実家に帰って来た。その後、川崎の農家から梨の木を30本程、買い込んで自宅の敷地に梨農園を作る計画をたてた。10中旬、梨の木を30本植え十分に肥料を与えた。そして、剪定、誘引、接ぎ木を川崎の梨の専門科を招いて手伝ってもらった。

 その後も4,5月の花粉つけ、5,6月の摘果、6,7月の袋かけ・ネット張りと総点検、8月から10月の収穫を最初の時は川崎から応援隊に来てもらい手伝ってもらう事が田名農協と川崎・多摩農協とで決められ、最初の1年間は面倒見てくれることになっていた。その頃1975年3月に山田静香さんは銀行を中心に就職活動をして三菱銀行に合格。

 数日後、三菱銀行町田支店に配属された。1975年5月8日、久しぶりに、勇三が、山田静香さんに会って。一緒に梨農家をやらないか、と言うと、静香さんが、農業とか、自然を相手にする仕事は、好きですと語った。これってプロポーズと考えて良いのですねと聞くと、勇三が、そうだよと照れくさそうに言った。

 そして勇三が、タケノコ山を持っている竹生おじさんが、農家は不安定な仕事だから株投資をして年金代わりにしていると言う話をすると、静香さんが、中央大学経済学部に在籍中に株研究会に入って、実戦的な経済の勉強をしたと言い、実は、興味を持ってるのよと言い、注目している会社の株価も継続して見続けていると告げた。

  静香さんが、子供の時から貯めた小遣いで中央大学経済学部の時、株投資研究家で1973年9月8日の20歳の誕生日に100万円でN証券に投資口座を開いたと話した。その後、1974年に490円で2000株98万円で買ったと教えてくれた。山田静香さんが両親に勇三からプロポーズを受けて結婚したいと告げると家族たちが、賛成してくれた。
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