第31話:山田家の財産処理と熱海旅行

文字数 1,676文字

 そして4月からは清水不動産の社長に電話して、誰も住まないので自由に業者に敷地を見せて構いませんと言った。2018年から外国為替市場を毎日見ていた静香さんが2013年4月16日にオーストラリア・ニュージーランド銀行東京支店に電話を入れて1豪ドル102円198万ドルで売れと指示し19686万円で売れた。

 5月から梨農家の仕事が、忙しくなり、勇三と両親が剪定、受粉、ネット張りを続け梅雨があけた時には、梨の身が大きくなった。8月から梨取りの作業が、忙しく静香さんも含め4人で、出荷作業と家の前の販売所で21時まで販売した。そして今年も9月10日までに梨農園の仕事は全て終了した。

 訳ありの梨のジュース、ジェラード作りと販売して静香さんは食堂の状況を見たり経理内容をみた。静香さんの母が私だけ何もしないは悪いわと言い梨農園や出荷所と簡易食堂の経理の仕事を帳簿をつけた。10月、日頃の疲れを取るために箱根の温泉に2泊3日で出かけ芦ノ湖の遊覧船に乗ってホテルの温泉につかり美味しいものを食べて温まって帰って来た。

 11月も熱海温泉に2泊3日で出かけた。12月に町田の中華料理屋で、江成家の5人で忘年会を開き歓談して美味しいものを食べて元気をつけた。やがて2013年が終わり2014年を迎えた。冬は家で風邪に気をつけて暖かくして過ごし3月の熱海桜祭りに行き、1年が動き出した。この年、相模大野のマンションに地元の業者だけしか興味を示していなかった。

 そこで争入札してAB産業という中堅のマンション業者が家の解体費用も含めて7億円で購入する事で決定。土地の名義人の連名の書類を提出して販売契約が成立し山田家の3人に6.3億円、清水不動産に7千万円が入金されることになった。これには山田家の人達も大喜びしたようだ。工事開始が5月連休明けの5月6日からと決まった。

 また梨農園の忙しい季節となり木の剪定、消毒、花の受粉、袋かけ、ネット張りをして夏を迎えて梨の出荷作業が家族総出で始まった。その後9月11日に梨の出荷が終了した。10月の水郷農協の組合長が今年の夏の農作業中に熱中症で倒れて半身不随になり再起不能となり副組合長の勇三が新組合長に選出された。

 勇三が、まだ自分は若輩者であり辞退したが梨の栽培を水郷農協に根付かせて50軒弱の農家で梨栽培を初めて地域の農家に多大な貢献したことも評価されたと言われ農協の組合長に受諾した。この話を聞いて一番喜んだのが勇三の両親で、お前を相原商業で農協の勉強させた甲斐があったと言うものだと喜んでくれた。

 その後2014年11月11日、江成家で新しく購入した豪華なアルファードに5人乗って熱海温泉に2泊3日で総勢5人で出かけ、悲しい思い出を忘れて、これからのことを考えましょうと静香さんが言った。2014年12月4日ニュージーランドドル93円で売れ18414万円となり山田一郎さんの全財産の処理ができた。

 土地と建物が6.3億円、外貨が3.8億円、日本円の財産2120万円の総計10億円となった。これを3人で分けると約3.4億円になると母の山田絹子さんと兄の山田賢一さんに伝えると驚いていた。賢一さんが精算作業をした静香さんに俺は1億円もらえば十分だと言った。 残金は、母の今後の介護や江成家で世話になるためのお金にしろと言った。

 本当にご苦労さんと労をねぎらってくれた。そして母の絹子さんは私は手元に3千万円もあるので十分で残りは、静香が、何か大きな事をする時のために取っておくように言った。静香さんに2.3億円と自分のお金の1億円で合計3.3億円の資産となった。2015年があけ、この頃になると農協の規模も小さくなり組合員も減り農家の耕作放棄地が増えた。

 その土地を農協が安く買い取ったため農協の所有する土地が増えて、使い道に困るという状況になった。2015年から、その問題をどうするか会が開かれた。交通の便、良い所は暫定的に月極駐車場やコインパーキングにして農協の収益とした。それでも、まだ余剰土地の問題が解決できなかった。
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