第13話:台風対策と梨の苗木を増やす事と投資

文字数 1,688文字

 そして冬が終わり梨の花粉付けの4月となり、これから本格的な梨のシーズンとなる。今年は10人の農家の若者が勇三のもとで研修し1人月間5千円、10人で5万円の給料が農協から指導料として支払われることになった。5月からの摘果、6月からの袋かけ、ネット張り7月の総点検も実地訓練で極力、若手だけで作業させて間違えそうな時、勇三が手を出すようにして指導した。

 気象庁の3ヶ月予報を見て、大きな台風が来そうな年は早めに収穫し、そうでない時には通常通りに収穫して1979年は通常通り9月10日まで幸水、豊水梨を収穫して販売も9月中に終えた。10月16日に梨の木が折れないようにと縄で結わく作業を農家総出でする事となった。しかし10月中旬に大型の台風20号が発生し10月18日に日本を縦断した。

 それでも大きな被害が出ずに何とか乗り越えられた。やがて1980年があけた。今年は実家で6人になったので中古のハイエースを購入して大勢、乗れるようにした。この年も農閑期のうちに温泉に行こうと2月22日から2泊3日で熱海に行き梅祭に行き温泉に入って、美味しい魚を食べてくる企画を考えた。

 和男も和子も祖父母について家族風呂や露天風呂に入ったりして、昼間、日射しが良い時に熱海港を散歩して回った。翌日はハイエースで梅まつりの会場へ行き紅白の梅の花を見て多くの写真を撮って来た。そして田名に帰って来て今年も10人の梨農家の若手の指導に忙しくなり夏場の収穫を終え9月になり夏場の台風はな9月中旬までに梨を売り切った。

 やがて1981年があけ梨の木も既に300本を田名の農家に譲り渡し梨農家が着実に増えた。そして今年も15人の梨農家の若手の訓練をする日々が続き天候にも恵まれた。9月10日までに梨を売り切って梨の仕事を終わった。その後、以前購入したソニー株が上昇し10月28日、2600円で2千株売り税引き後利益が432万円で投資残金が530万円となった。

 静香さんは自分の給料やボーナスをほとんど手をつけずに6年間1000万円を貯めていたので資産合計が1530万円となった。そして株以外の金もワリコーや一時払い養老保険などを家族6人の名義を利用して投資していた。そして勇三にN証券で口座を開いてと言うので勇三は虎の子の100万円を預けた。

 その後、静香さんが150万円を追加し勇三の投資資金を250万円にした。株投資の時に勇三さんの名義の分も売買に利用して増やしてあげるからと勇三の肩をたたいた。その後11月4日に静香さんが伊藤忠株を215円で20000株を430万で買い残金が300万円とした。勇三さんに伊藤忠株10000株を215万円で買い、残金がが35万円となった。

 そして今年も農作業が終了して農作業の疲れを取るために家族で熱海温泉に温泉に行き、いつもの熱海港近くのホテルに入り温泉に入り散歩して仮眠して元気を取り戻そうとしてゆっくりした。12月には車で横浜中華街へ行き、山田家の人達と一緒に個室を借り切って12月18日に忘年会をして孫の江成和男、和子の成長の話題で盛り上がった。

 やがて1981年が終わり1982年があけた。年が明けると田名農協の幹部の人に呼ばれて江成勇三に梨の栽培に成功して田名農協の発展のために尽くしたと賞状が送られ、更に農協の発展をめざして青年部長になってくれと言われ会議や出張の時、後輩指導の時の交通費、日当も出してくれることになった。早速1月10日に農協の1982年の課題が組合長から出され規格外の野菜、いわゆる野菜の廃棄問題を解決するように良いアイディアを出して欲しいと要請された。

 勇三は、この廃棄される野菜の問題を奥さんの静香さんに話すと確かに手をかけて作った野菜が形が悪い規格外だと言うだけで捨てられるのは、もったいないと言い、大きさのばらついただけなら農協で一般用にまとめ売りしたら良いだろうと考えた。次に傷ついた野菜、果物は料理して食べてもらうか生ジュース、アイスクリーム、ジェラード、レストランを作り消費するのが利益も出るので良いのではないかと提案した。
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