第8話

文字数 1,613文字

 家に着くと、ばあちゃんが家から飛び出てきてサチの抱える籠をそっと覗いた。
「まぁー、こんな小さな赤ん坊を捨てるなんて……子供は村の宝よ。とりあえず、林さんちにミルクを分けてもらえないか事情を話して頼んでみるわ」
ばあちゃんはそう言って奥の部屋に電話をしにいった。
 しばらくすると、ばあちゃんが奥から出てきて湯を沸かし始めた。
「今から林さんとこのリクくんがミルクを持ってきてくれるって。お巡りさんにも連絡しておいたよ。今日はもう暗くなるから、明日まで預かってほしいって」
 それから二十分ほどしてミルクが届き、無事に赤ん坊に飲ませることができた。林さんは、気をきかせてオムツも届けてくれた。四年生のリクくんは家に上がり込みばあちゃんの腕のなかでミルクをおいしそうに飲む赤ちゃんの顔を覗き込んだ。
「うわぁ。うちのサトルよりも小さいなぁ。コイツ、名前は何ていうんだろうな。なんだったら俺がつけてやってもいいぜ」
「何言ってんのよ、勝手につけちゃだめよ」
「じゃ、なんて呼ぶんだよ、いつまでも赤ちゃんってわけにもいかないだろう」
 サチとリクの会話を聞いていたじいちゃんが言った。
「さっき、お巡りさんに連絡しといたから心配しなさんな。明日、いずみ園の園長先生と村長さんが引き取りに来てくれるそうだ。母親を捜しつつ赤ん坊の命も守らんとな」

 赤ん坊を預かることになって、家の中が急に慌ただしく賑やかになってしまったことで、サチはポケットの中にあるハンカチのことを言いそびれてしまっていた。今、赤ちゃんの名前が[アタル]だということを勢いで言ってしまえばサチの行動が責められることはないと思うのだが、なぜか周りに言うことができなかった。
(どうせ母親なんか見つからない。だっていらないから捨てたんでしょ?……ハンカチだって風で飛ばされたらそれまで。まして発見されなければ赤ちゃんは死んでいたはず。新しい名前で生まれ変わった方が、この子は幸せになれる……きっと……)

 翌朝、七時過ぎ頃、お巡りさんと村長の石井さんと養護施設いずみ園の園長の野田さんが三人でやってきた。スヤスヤ眠る赤ちゃんの籠を大事に抱えながら車で戻っていった。

「ばあちゃん、これからあの赤ちゃんはどうなるの?」
「お巡りさんがお母さんを探している間は野田さんとこで面倒みてくれるのよ。お母さんが見つからなければ村長さんが名前もつけてくれるそうだから心配しなくて大丈夫よ」
「ふーん、そうか……いずみ園で生活するようになったら会えるかな」
「そうねぇ……もしそうなったらきっと会えるわね。命の恩人のサチのことは憶えてないでしょうけどね」
「そっか、そうだよね……だとしたらちょっと寂しい気もするなぁ……」
(この先、あの子にはどんな未来が待っているのだろう)
「まぁそうね。恩人のサチとしては気になるわね。村長さんに時々聞いてみてあげるわね」
「うん、ありがとう、ばあちゃん」

 サチは心のどこかで、母親が名乗り出てこないことを願っていた。
 そして白いハンカチは鍵のかかる引き出しの奥に大切にしまった。
(きっと大丈夫ーーあの子は神様が守ってくれるーー)
 サチはなぜか強くそう思った。

「そうだ、昨日からバタバタしてたから、すっかり忘れてだけどーーアイスある?」
「サチー、勘がいいねぇ。買ってきてあるよ。サチの好きなソーダのアイスキャンディー」
「やったー、ばあちゃん大好き。昨日、そんな気がしてたの」
「さぁ、今日はもう学校へ行く時間だから帰ってきたら食べなさい」
「うん、ありがとう、そうする。じゃ、行ってきまーす」
「あっ、サチ、ほら忘れ物。チビのご飯」
「あっ、そっかー、大変、大変。じゃあ行ってきまーす」

 ママチャリ三号で勢いよくこぎ出したサチは、いつもの分岐点で自転車を停めて、石段の上を見上げて手を合わせた。
(あの子が無事に育ちますように)
 ただ祈ることだけが今のサチにできる精一杯のことのように思えた。
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