第34話

文字数 1,621文字

 その夜、食卓には大樹の大好物が並んだ。
「大樹、おめでとう。大樹は私達の自慢の息子だ。優しくて強い子に育ってくれた。私達に生きがいを与えてくれた。本当にありがとう」
「大樹、おめでとう。よく頑張ったわね。お父さんの言うとおり、自慢の息子よ」
「お父さん、お母さん、ありがとう。俺はもっともっと大きくなって恩返しするつもりだよ。お父さん、お母さん、そして村の人たちにも」
「そう言ってくれると嬉しいよ。さぁ、お母さんの手料理が冷めないうちにいただくとしよう」
「そうだね」

 大樹は神社で見た女性のことは誰にも話さなかった。でも、ポケットには白いガーゼのハンカチが入っていた。あの場所に置いたまま帰ることはどうしてもできなかった。

 
 村の小中学校の卒業式が終わり、両親から佐々木校長が退職されるという話を聞いた。大樹はお世話になった先生に、引越の手伝いをさせてほしいと申し出た。
 先生のお母さんが他界して、もうこの古い家で暮らす理由が無くなり、建て替えも考えたが、自分も年老いていくことを思うと利便性のいい街で暮らすことが一番と、引越を決めたそうだ。
 生まれ育った土地を手放すのは寂しいことだが、独り身だから、雪の深い土地では村人に迷惑がかかってしまうと、そんなことも思ってのことだった。

 荷物の積み込みは、卒業生が手伝いに来てくれてあっという間に片付いた。何もなくなった部屋は思ったより広かった。
「こんなに広かったかなーー全部なくなると改めていろんなことを思い出すなぁ」
「先生、運び出したタンスの後ろに写真立てが残ってましたよ」
手伝いの生徒がもってきてくれた。
「あぁ、ありがとう」
大樹が覗きこむと、そこには佐々木先生の家族が写っていた。
「あぁ、そうだった。タンスの後ろに落としてしまって、とれなくて……今まで忘れていたよ。離婚した妻と娘だ……そうだ、娘の由紀は、大樹くんが産まれたころだったかな、村の小中学校で、ちょっとの間だったが過ごしたことがあるんだよ。妻の再婚した旦那が一年間の海外出張中に、元妻が体調を崩してしまってね、由紀の面倒を頼むと言われてね。ほんの三ヶ月くらいの間だったが……私にとっては忘れることができない夢のような時間だったよ。懐かしいな……そうそう、サチさんならきっと憶えているんじゃないかな。仲良くしてくれたから」

 大樹は、その写真に写っている女性が、この前、神社で手を合わせていた女性にそっくりだったことに驚いた。
「先生、その女性、元奥様は今どこで何をしていらっしゃるんですか?」
「今は東京で暮らしているよ。再婚した相手が有名企業の社長さんでね。確かユフシスという東京じゃ知る人ぞ知る会社らしい。東京のタワーマンションで優雅な社長夫人だよ。こんな貧乏な私なんか捨てられるわけだよな……」
そういうと先生は話を続けた。
「妻は当時、軽い育児ノイローゼでね。もとからあまり子供が好きな女性ではなかったんだ。結婚しても一生、二人で暮らせればいい、子供はできなくてもかまわない……というような人でね。でも、私は教師という仕事をしていたし、子供が大好きだったから、二人の子供を授かった時は心底嬉しかったんだーーでも、そのことが原因で二人の仲はうまくいかなくなった。それでも私は由紀のために離婚はしたくなかった。結局、妻は入院、由紀は妻の両親が育てることになった。時を同じくして、今度は私の母が倒れたーーそれぞれの歯車がかみあわなくなっていった。愛情が全くなくなったわけではなかったが、その時の私には離婚という選択肢しかなかったんだ。今でも後悔しているよ。家族がバラバラになってしまったことをね。時間をゆっくりかけて違う選択もできたんじゃないかってね。妻が再婚した後も由紀に会いたくて、大きくなってから何度か二人で会ったこともあるんだ」
 佐々木先生はしみじみと写真を見つめた。
「私の人生はこんなはずじゃなかったんだ」
そう言って家を出ていった。
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