第6話 南へ出航

文字数 2,117文字

 オチョロハンガの南十九キロ。ティ・クウィティ。
 当時ニュージーランドでは、夕方五時以降に開いている店などほとんどなく、夜八時頃の街には、もう人っ子一人いなくなっていた。

 ぼくは何をするでもなく、ただバス停のベンチに座っていた。オセアニア地方の九月といえばまだ季節は初春であり、真夏でも夜はかなり冷え込むニュージーランドでは、夜に居場所がないということは、なかなか辛いことだった。

 無理に目を閉じて眠ろうとしていたとき、一人の酔っぱらいのおじさんが話しかけてきた。何を言っているのかさっぱり分からないが、
「列車が来るのを待ってる」
 と言うと、
「こっちへ来い来い」
 と手招きする。ぼくは日本にいるときからそうだったが、「来い来い」と言われると、いつもつい「ハイハイ」と言って着いて行ってしまう。

 おじさんはティ・クウィティ駅の駅長室に向かって、フラフラヨロヨロと歩いて行った。ドアには南京錠がかかっている。
「いいか、ほら見ろ、こいつはな、カギがかかってるように見えるけどよ、実はかかってねぇんだよ、ウヒャヒャヒャヒャ」
 と言っておじさんは駅長室のドアを開けた。ぼくもおじさんに合わせて「ウヒャヒャ」と笑った。

「ここで眠ってていいからよ、出るときはまたカギがかかってるように見せといてくれよ。じゃあな、ウヒャ」
 と言い残し、おじさんは千鳥足で去っていった。どうやらあのおじさんは駅長さんらしかった。

 深夜、もう何時頃だったかよく思い出せないのだが、とにかく列車が来たので慌ててホームに飛び出した。デブの車掌が出てきたので、
「チケットは持ってないんだけど」
 と言うと、
「まぁいいから乗れ」
 こうしてかの有名な? ニュージーランドの北島横断超特急「ノーザナー号」へと乗り込んだ。

 車掌に言われて乗った場所は、荷物置きの車両だった。やがて車掌が現れて、オフィスへと連れて行かれた。そこでウェリントンまでの切符を買う。確か四十九ドル五十セントだったと思う。荷物をさっきの場所まで自分で運んで、そのまま旅客用の車両へ行き、空いている席を探して座った。
 何かあわただしかったが、これで一夜明ければ、あまり知られていないような気がするのだが、実はこの国の首都であるウェリントンへと着いていることになるのであった。


 列車の座席で凍えながら目を覚ますと、そこはビルビルビルという、まさしく首都! という感じの街、ウェリントンだった。
 このウェリントンというところは風の街として有名で、ニュージーランド人であろうが旅行者であろうが、この街の話をすると、誰もが「あそこは風が強いからな」と少々苦い顔をしてみせるのが、お決まりだった。ウェリントンはクック海峡に面した港町で、海から強烈な風が吹き抜ける。

 翌日、南島へ渡るフェリーに乗るため、フェリーポートへ行った。午前十一時頃だった。時刻表では、確か前の船が九時半頃、次が午後一時半頃だったと思うのだが、なぜかそこにはまだフェリーがあった。しかし乗客用のタラップはすでに片づけられている。
 チケットを買いに行くと片道二十四ドルで、チケット売りのお姉さんは、
「次は一時半です」
 と言った。

「やっぱりあれには乗れないのか」
 とぼんやりフェリーを見ていると、ビールを抱えてナチスドイツの格好をしたスキンヘッドの兄ちゃんが、「ちょっと来い」とぼくを呼んだ。
 びびった。
 何をされるのかと思った。

 その兄ちゃんはぼくをフェリーのそばまで引っ張って行って、おもむろにビールを差し出した。
「これでも飲め」
 フェリーにはしきりに貨物列車が行ったり来たりしていて、どんどんとコンテナが積み込まれていた。最後の荷が積み込まれて貨物列車が出ていくと、兄ちゃんが、
「着いてこい」
 と言って歩き出した。ぼくも続いて線路の上を歩き出す。ぼくたちは貨物列車のゲートからフェリーに乗ってしまったのであった。

 “がちょ-ん“ といってゲートが閉まっていく。それはまるで宇宙戦艦ヤマトの一シーンを現実の世界で見ているようで、ぼくは妙に深い感動を覚えた。自分が地球の運命を背負っているような気がしてさ……、なんちゃって。

 フェリーが出航したのは結局十一時四十五分を過ぎてからだった。どうやら時刻表にある時間というのは乗客が乗り込む時間ということで、実際の出航はそれより二時間程度はあとになる、というのが当たり前のようだった。そのずれる時間の幅は荷の状態によって違うらしい(当時の南北連絡フェリーは、かの青函連絡船と同じ型のフェリーが使われており、運行時間などは相当にいい加減なものだった)。船室に向かう途中の階段で船長に出くわしてしまったので、結局切符は切られてしまった。

 甲板に出るともの凄い風が吹いていた。この北島と南島の間の海はクック海峡と呼ばれ、非常に波が荒いことで有名なのだ。しかしその日は、風は強烈だったが波は穏やかで、船もあまり揺れはしなかった。船長がぼくに、
「君はラッキーだな」
 と言って笑った。

 この南北連絡フェリーは、片道およそ三時間かかって両島を行き来する。三百六十度、見渡す限り水平線となった頃、遠くでイルカが二頭跳ねていた。
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