第1話 プロローグ(日本ていったいどんな国だと?)

文字数 4,380文字

 あれはもう、かれこれ三十数年前、日本は平成に変わった直後である。
 ぼくはニュージーランドで日本食の屋台を出していた。メニューは巻き寿司(カリフォルニアロール)と、かぼちゃメインの野菜の掻き揚げ、そして豆腐の味噌汁の三品だけで、二十歳そこそこのど素人だったぼくが、ただ自分が日本人だというだけで「ジャパニーズフード」の看板を掲げて出していたのだから、今思えばまったくおこがましく、まことに申し訳ないことこの上ない。
 しかし最終的には大人気を博して、売れて売れて売れまくった。でも、やはりそうなるまでにはいろいろあった、汗と涙の物語なのだ。

 一九八九年、一月。ニュージーランド南島最大の都市クライストチャーチ。街の中心に聳え建つゴシック調のカトリック大聖堂は、ニュージーランドの都市観光の目玉である。その大聖堂前の広場には、地元の人々も楽しみにする、いろいろな国から来た移民たちによる、国際フードフェアと称した屋台のトレーラーが、いくつも立ち並んでいた。

 もちろんその頃すでに、日本人の観光客や学生達も街に溢れんばかりに訪れていたし、街中にも日本食レストランは何軒もあった。一流ホテルの中にはたいてい超高級の日本食割烹が入っていた。しかしそれらのレストランは、平均収入が週給にして約二百ドルといわれていた当時の一般市民の懐具合からは、あまりにも値段がはり過ぎていたため、まるで手の届く存在ではなかった。なにせ、ほんのおやつ程度に軽く食べても、一人前五十ドルくらいにはなってしまったのだ。

 だから当時のクライストチャーチ一般市民にとって、日本食なんていうのは、せいぜいテレビで見たことがあるかもね程度のものだった。そしてどれをとっても完全に未知の食文化のなせる異様な物体であり、ありていに言えば、「ゲテモノ」以外の何物でもなかった。
 まぁテレビ番組として考えれば、東洋の神秘、というか珍味というか、魚を生で食う? とか腐ったどろどろねばねばの豆を食う? とかショッキングなゲテモノ食いとして演出した方が、面白おかしくて視聴率が取れるのは仕方がないだろう。

 その頃、テレビでBBC製作の日本特集番組をやっていたので見たことがある。
 冒頭、まずナレーションが、囲炉裏端に座っているおじいさんをつかまえて、
「この老人はSAMURAIである」
 と言った。そしてその囲炉裏がガラリと横にずれて、中から忍者が飛び出してきて手裏剣を投げて消えた。

 次のシーンではどこかのお祭りの武者行列を映しておいて、
「これは何月何日の(つまりつい最近の)映像である」
 と、いまだに日本ではサムライが大手を振って闊歩しているように演出する。もちろんお祭りだなんて言いやしない。
 大通りの真ん中で、リーゼントの若者達が踊り狂っていて(原宿の竹の子族の古い映像)、彼らはハーフサムライである、と解説する。ハーフサムライって……、いったい、なに?

 よく歴史の教科書なんかに載っている飛脚の写真が出てきて、
「ア・ポストマン」
 とナレーションが入ったときには、ぼく自身は腹を抱えて大笑いした。飛脚を英訳したら「ポストマン」て。はは、確かに郵便屋さんか。そうなんだけどね、でも、まるで現在進行形で今もこの格好みたいに紹介するのやめてよ、ぎゃはは。

 そしてカメラは一般的な若い女性の生活を追った。彼女はどこかのカメラ工場で、ベルトコンベアの上を流れてくる何十台ものカメラの組み立てをしていた。まぁ、それはいいだろう。仕事が終わると彼女は友達と連れ立って、温泉に行って胸をぶるんぶるんと激しく揺さぶって洗った。うーん、ちょっとね……、日本の普通の女がみんなこんなだ、みたいな演出が屈辱的。でも、久しぶりに日本の若い女のハダカを見た。だからこれもとりあえずは許しちゃう。

 そして彼女は家に帰るのだが、行く先は、わずかな夕日の名残にシルエットを浮かび上がらせている富士の裾野だ(そこは樹海じゃ?)。そんでもって強烈だったのが、彼女は朝は夜明けとともに目覚めるのだが、まず、なんと冷水で禊ぎをする。そして祖父らしき老人と一緒に、昭和天皇、皇后の御真影に手を合わせて、一心に祈りを捧げるのだ。そしてまた神聖な一日がスタートするのだという。これ、一般的か? そんな女、いるのか、今時?

 本屋では子供も大人も皆、マンガの立ち読みをしていた。電車の中でもそうだった。いったいどんなマンガを読んでいるのかとカメラが近寄っていくと、みんながみんな、エロマンガのレイプシーンとか、梅図かずおの恐怖マンガの、子供がハサミで口をちょんぎられて「ギャーッ」と叫んでいるシーンとか、そんなのばかりを読んでいるような構成をしていた。

 街では誰もがお辞儀をしていた。政治家はもちろん、買い物帰りのおばさんなんか、道ばたで電話をしながら、公衆電話に向かって一生懸命お辞儀をしている。それでいちいちお辞儀の瞬間をストップモーションで止めるのね。そりゃね、面白かったけど、ね。

 ガソリンスタンドではもの凄いサービスぶりに、
「カスタマー・イズ・ザ・キング」
 とナレーションが入った。ぼくはこの「キング(王様)」が「ゴッド(神)」と言われなかった分ほっとしたが、ああ、さすがにキリスト教の人たちに、ここで神という単語は使えないか。

 そうかと思えば、進学塾、いじめ問題、部落差別などなど、シビアな問題も取り上げてくる。ぼくは東京で生まれ育ったから、部落差別なんてものが日本にあるなんて、それまでちっとも知らなかった。NHK近くの歩行者天国で「部落差別をなくせ」みたいな横断幕を見ても、このBBCのテレビを見るまで、何のことかさっぱりわからないでいた。

 古いフィルムでは、南京大虐殺と称して、思わず目を覆いたくなるような残虐シーンも平気で放映された。あの勝者が敗者を裁いた東京裁判でさえ、南京大虐殺が実際にあったということの証拠資料は、ただの写真一枚さえも存在しないということが明らかになっているのに、だ(あれはドキュメンタリーフィルムのように見えたが、実際は、アメリカと中国とで作ったプロパガンダ映画らしい)。

 日本の景観として放映されるのも、初めのうちはここはベトナムかラオスかい? という感じの山奥の村ばかりだったが(それで円錐状の編み笠なんかをかぶった農家のおばちゃんが田植えしているのね)、それがラストになって突然新宿の超高層ビル街に切り替わる。
 そして最後のだめ押しに今のハイテク産業だ。
 すごく面白かったけどさ、みんな日本てなんて無茶苦茶な国なんだ、と思ったことだろう。
 
そして、そんな番組の中で紹介された日本の食文化といえば、もちろん「寿司」に「刺身」だ。生きた魚をズバババッと切り刻み、まだピクピクと動いているやつを、
「活きがいいねぇ」
 なんて言いながら、ニコニコしてパクパクと食べている。それはぼくたち日本人が、たとえばオーストラリアのアボリジニがカミキリムシの幼虫を木からほじくり出してそのままパクリと食べちゃうところとか、中国人が生きた猿の頭をハンマーでポカリと殴って、大暴れしているところをドリルで頭蓋骨に穴をあけ、ストローで脳味噌をチュウチュウと嬉しそうに吸っている……、なんていうのを見せられるのと何ら変わりがないくらい、不快感、というかゲテモノショックを、ニュージーランドの人々に与えてしまったことだろう(何年か後にだが、ニュージーランドの防衛庁か何かの偉い人が、日本人は伊勢エビを生きたまま切り刻んだり茹でたりしていて、まことに残酷でけしからん! と公的なメディアの上で抗議していた)。

 そんな状況の中で始めた日本食屋台に対する人々の反応は、もちろん「最悪」だった。
 それでもぼくの屋台の値段は、一ドルから四ドルもあれば何かは買えた。今までわけの分からぬほど高額で、雲の上の存在であったジャパニーズフードが、ほんのおやつ程度の出費でトライできる、実に身近なところまで降りてきたのだ。試してみるだけの価値は有ろうと、パラパラと客は訪れた。

 見本用に切って盛りつけてある巻き寿司を見ながら彼らは言う。
「へー、見た目はきれいね」
「ありがとう。それにとってもおいしいし、健康にもいいんですよ」
「ところで、この米の周りに巻いてある黒いのは何?」
「それはね、海苔といって、海草の一種を乾燥させたもので……」
「ヤーック!」
 決まって返ってくる答えは、
「ヤック」
 であった。
「オエーッ」
 とか、
「気持ちわりーい」
 とかいったところである。
「このスープに入っているのは何?」
「ワカメ。やっぱり海草……」
「ヤーック。シーット(うんこ)」
 
 海苔もワカメも英語ではシー・ウィード、つまり海の雑草ということになる。当時の普通のニュージーランド人にとって、ワカメをはじめとする海草のイメージというものは、何かわけの分からないヌルヌルでグチャグチャで、よく海岸に打ち上げられているけれど、臭いし蠅はたくさんたかっているし、見るからに醜悪で、とてもそれを食べようなんて、想像すらしたことがないザンス、とまぁ、そんな感じだったのだ。

 当初は掻き揚げにイカも入れていたので、もう論外である。鱗の無い魚を食うことなんて、エホバが禁じているではないか。
 巻きずしを買ってはみたものの、どうしても海苔が食べられなくって、中身のご飯と具だけを苦労しながら食べている人も多かった。平気な顔をして海苔も丸ごとパクパクと食べている人は、周囲から「スゴーイ」と感嘆の声を浴びせられ、どうやらそれが嬉しくて、無理して食べているようなところがあった。

 子供達のグループが巻きずしを一皿買った。どの子も、海苔の部分を舐めてみるのもこわごわだ。しかしすぐに吐き出す子、口から海苔を垂らしながら女の子達を追いかけ回す子、ついには偶然通りがかったいじめられっ子を捕まえて、口の中にムリヤリ寿司をねじ込み始めた。ねじ込まれた方も、悲痛な表情を浮かべながら必死に吐き出そうとしていたりして……。それにもあきた子供達は、巻きずしを投げ合いっこして、キャアキャアと騒ぎながら駆けて行った。

 そう、悲しいかな、冒頭にも述べたとおり、ぼくの店に置いてある商品は、梅干し入りのおにぎり(初めのころには出していた)から味噌汁、寿司、イカ天にいたるまで、この国の文化から成る常識の上においては、すべてがゲテモノ以外の何物でもなかったのである。
 疲労はドン底。財布の中身はスッカラカン。身も心もボロボロだった。

 なんでまた、こんなことを始めてしまったんだろう。ぼくはほんの数ヶ月前にニュージーランドに渡ってきて、ヒッチハイクをしては毎日気楽に過ごしていただけの、ただのどこにでもいる若い旅行者だったのに。
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