第19話 ローカルイミグレーションは絶滅した

文字数 4,884文字

 突然目の前が開けて、ぼくは思わず、
「ワァー」
 と声を上げてしまった。
 レイク・プカキだった。プカキの美しさは、まるで原色の絵の具で完璧に描き上げられた素晴らしい芸術というか、本当に絵のようで、まさか自然そのままとはとても信じられないような鮮やかな水色で、本当に凄くてビックリした。

「こんなに美しい湖が現実にあるなんて……」
 良い方向に自分の今までの常識がうち砕かれた、感激、感動の瞬間だった。
 疲れも一気に吹っ飛んでしまうような絶景の余韻を味わっていると、やがて再び、目のくらむような水色の湖面が姿を現した。レイク・テカポである。

 レイク・テカポは、当時の日本のガイドブックには影さえも見あたらなかったのだが、ニュージーランド国内で目にする観光パンフレットなどの類には、必ずその湖の写真が使われていて、当然旅人達の間では、知る人ぞ知る超グッドポイントとしてその名を轟かせていた。

 それにもう一つ、ぼくが妙にこの湖に惹かれたのには理由があった。それは、そこのユースホステルには、日本人のお姉さんがスタッフとして働いている、と人づてに知ったことであった。
「こんな外国のユースホステルで働いてるなんて……、スゲェな」
 ぼくにとってその人は、会ったことはないけれども、イメージの世界の中でとてつもないヒーロー(いやヒロインか)になっていたのだ。

 レイク・テカポは海抜七百十メートル。そのヘンテコな名前はマオリ語のTEKA(寝ござ)とPO(夜)という言葉からきているらしい。テカポ村はニュージーランドで最も長い日照時間を記録していて、さらに南半球でも最も空気の澄んだところと言われている。その好条件を利用して山の上には天文台も設置されているのだが、つまりそれほど空気が澄んでいるということは、ただでさえニュージーランドの紫外線は日本の四倍~四・五倍はあると言われているのに、なおいっそう強烈であるということだ。ま、どうせぼくは元から真っ黒だからいいけどさ。

 テカポのユースホステルに入ると、すぐさまラウンジで泥のように眠った。
 午後五時。チェックインをするためオフィスへ行く。女の人が出てきた。最初は英語でやりとりをしていたのだが、ぼくがユースの会員証を出すと、
「日本人ですねぇ」
 と彼女が日本語で言った。これが伝説の(ちょっとオーバー?)ひとみさんとの出会いであった。

 その夜ラウンジにいると、ひとみさんがやってきたのでいろいろと話をした。彼女は二年ほど前に、オーストラリアを経由してこの国にやってきて、今では永住権も持っているという。
「こんな田舎にいるのはいやだ。早くクライストチャーチに戻りたいよぉ」
 と言っては、一人で忙しそうに仕事をしていた。他にスタッフはいないようだった。


 ちょっと時間が飛ぶが、それからおよそ六週間後。
 今、再びぼくは、レイク・テカポを目指している。
 レイク・プカキには相変わらず感嘆の声を上げさせられた。本当に綺麗な水色なのだ。
「なんでこんな色をしているのか、不思議ですねぇ」
 と呟くように言うと、そのときぼくを乗せてくれていた気のいい夫婦が、交互に丁寧に教えてくれた。ぼくがやっとこさ理解したその内容によると、テカポもプカキも、その水源は氷河にあるのだという。

 そういえば対岸に見えるマウント・クックの周辺には、タスマン・グレイシャーやフォックス・グレイシャーなど、いくつもの有名な氷河が点在している。ミルフォード・サウンドなどがあるフィヨルドランドは、氷河の浸食によって形成された特殊な地形であるし、現在、森林限界よりもさらに下の高度まで降りてきている氷河が見られるのは、世界でもここ、ニュージーランドのみなのだそうである(ただしカナダを経験した後では、その話はちょっと鵜呑みに出来ない)。ニュージーランドは氷河の国でもあったのだ。

 氷河は周辺の山の岩石を削りながら移動する。その削られて粉状になった岩石を含んだ水て湖が構成されるため、水面近くに浮遊し続ける岩石の色素の影響で、この二つの湖は青く見えるのだそうだった。両者の色が若干異なるのは、水源になっている氷河の違いで、反射する光の波長が異なるからだ。
 ちなみにテカポの水源は、ゴドレー氷河とクラッセン氷河だ。

 テカポに着くと、早速レストランでアイスを買う。ペロペロ舐めながら出てきたら、ひとみさんに出っくわした。外人の男の人と一緒だった。
「わぁー、太田くん、いつ来たの?」
「今」
「買い物があるからまた後でねー」
 ひとみさんはいやに機嫌が良かった。一緒にいた男の人の名はナイジェル。レイク・テカポ・ユースホステルの正式な管理人である。ひとみさんはそのヘルパーをしている人だったのだ。

 夕方からずっとユースのラウンジで折り紙と格闘する。しかし夕方と言ってもそれは時間的な夕方であって、実際太陽は昼過ぎのような感覚で照っているので、日本の常識からくる夕方のイメージはない。窓の外を見て、
「さぁて、そろそろ四時くらいだろうから飯の支度でも始めるかな」
 なんて思って時計を見ると、もう八時を過ぎている! なんていうこともよくあった。特に、一日中本を読んで過ごしてしまった日などの、時間の感覚は無茶苦茶だった。

 やっとどっぷりと日が暮れた頃(十時頃ですね)、ひとみさんがコーヒーカップを持ってやってきた。ひとみさんはいつもコーヒーカップを持って歩いている。ぼくは早速ビザの相談をした。あと十日もしたら切れるのだ。

 翌日。
 昼間は釣りをしに行ったがすぐに飽きた。あの縄野さんが、以前三匹もマスを釣ってきたそうだが、ぼくにはとてもそんな根気はない(しかし後で聞いた話によると、彼はここでは禁止のミミズの餌を使っていたそうだ。ニュージーランドの河川及び湖では、餌釣りは禁止である。ルアーとフライフィッシング、オンリーなのだ。さらにそれにもライセンスが必要で、スポーツショップなどで購入する。一日八~十ドル、一週間で二十ドル前後、一シーズンなら五十三ドルといったところである。フィッシング・オフィサーが見回っていてチェックするので、違反すると罰金二百ドルという話だ。なおライセンスはニュージーランド中どこでも有効だが、タウポ湖でだけは独自のライセンスを購入しなくてはならない)。

 夜はひとみさんとナイジェルと「すし太郎」を作って食べた。ひとみさんが味噌汁も提供してくれたので、何か凄い豪勢な気分。日本を離れてしばらくすると、味噌汁や梅干しなどが物凄い貴重品に見えてくるのだ。海苔玉のふりかけなんて手に入れようものなら、もう卒倒ものに気分が上がる。

 さて、一日中ゆっくり休養したので、明日はいよいよビザ延長のため、ティマルゥのイミグレーションへ向かう。ひとみさんも観光ビザだった頃は、いつもティマルゥのイミグレで延長手続きをしていたのだそうだ。延長は三カ月毎だったが、その度に所持金の額は大して変わっていなかったので、不法労働を疑われていてもおかしくなかった。しかしべつに何事もなく、クリアできてきたという。
 所持金は足らないけど、航空券も持ってないけど、ぼくもなんとか見逃してくれるといいなぁ。

 快晴。荷物をユースに預けて、スポーツバッグ一個でティマルゥを目指す。バッグの中身はシュラフとパスポート、それに一・二五リットルのファンタ・オレンジだ。
 荷物が軽いのでどんどん歩く。しかし、あまりの炎天下に目の前がくらくらした。木陰も何もない。ただひたすら一直線に続く国道の道ばたに、ルーピンの花が咲き乱れている。

 初めてこの道をヒッチハイクで通ったとき、ルーピンの花は、道がカーブに差し掛かる毎にカーブのアウトサイドに沢山咲いている、と教わった。これはマウント・クックやテカポで車や自転車に付着したルーピンの種子が、カーブのときの遠心力で外側に振り落とされるからだそうである。でも相手はやっぱり雑草だからね、そんな理屈とはお構いなしに、辺り一面咲いていた。

「ま、なんでもいいや」
 元気を出して、金八先生の歌を歌いながら歩いていると、今さっき凄い勢いで追い越していった車がバックしてきた。
「何ですか、何ですか」
 と言いながら走っていくと、は~い、それは、一月ほど前に、ミルフォード・サウンドでぼくを拾ってくれた老夫婦だったんですねぇ。折り紙を見てぇ、分かりましたぁ。

「ホント、凄い偶然ですね。ぼくはついてるなぁ」
「いや、わしらもまた君に会えて嬉しいよ。それよりどうだい、どうせビザの延長をしに行くのなら、わしらと一緒にクライストチャーチまで行かんかね」
 ぼくは一瞬考えた。いや、でも所持金も足らないし航空券もないし、大都市のイミグレは厳しいっていうし……。
「ありがとうございます。でもやっぱりティマルゥに行くことにします。テカポで友達がぼくの帰りを待ってるし」
 思えばこのとき、運命の道は分かれたのだ。

 その後三台乗り継いでティマルゥに着いた。
 最後に乗せてくれた陽気なおじさんは、トマト五個とキュウリ二本とマッシュルーム五個とにんじん一束をドサッとくれた。ニュージーランドで目にする野菜は、基本的な種類は日本と同じだが異常にでっかい。マッシュルームもでかかったが、キュウリなんかは日本の三~四倍はあるようなのが普通であった。ピーマンもやっぱり四倍くらいでかかった。しかしなぜか、トマトだけは小さい物しかなかった。初めて八百屋の前を通ったときには、何もかもが珍しくて、いっぱい買って帰って、宿にいた日本人達に見せびらかしたものだった(みんなはとっくに慣れていて白けていたけど)。

 そういえば今まで触れなかったが、この国では牛肉が非常に安い! 百円も出せばでっかいステーキが余裕で買えてしまうのだ。ただし幼い頃から肉と言えば豚か鶏で、牛肉を食べ慣れていなかったぼくには、牛肉の匂いは馴染めなかった。入国一ヶ月目くらいの頃、誰かが牛肉を焼いている匂いがするだけで、その場から逃げ出したくなったくらいだ。でも本当に自然の風味で、慣れてしまえば草の香りが健康的で、安くていいけど。乳製品はみんなそんな感じで、自然の香りが新鮮だった。

 牛乳はイメージ的に「ニュージーランドの牛乳は濃くて美味しい」なんて言う人がいるけど、実のところ日本の牛乳と変わりはしない。牛乳の濃さというのはつまり乳脂肪分の含有量なわけで、ニュージーランドの牛乳は三・四%だった。かたや日本の牛乳は法律で三・五%以上でなければ出荷できないことになっている。0・一%なんて誤差の範囲だから、これは同じと言ってもいいだろうが、むしろ日本の牛乳の方がちょっと濃い。
 牛の次に安いのは鳥。ラムなら牛肉より安かった。豚肉は高い。魚屋はそんなには見かけなかったが、やはり高いんじゃないかと思う。

 野菜をくれたおじさんは、たぶんティマルゥにはイミグレーションは無いぞ、と言った。
「だってオフィサーのジェーンはとっくに引っ越しちまったよ」
「ええ!? ホントに?」
 それはちょっと困るんだよなぁ。でもとにかく、政府機関のオフィスに行って聞いてみよう。


 イミグレーションはやっぱり無かった。ひとみさんがいい加減なことを言う筈はないし、インバーカーギルのことといい、よく考え合わせてみると、どうやら地方の小さなイミグレーションは全て無くなってしまったのではないだろうか。思うに、地方のイミグレーションではビザの取得が簡単なので、旅行者達がやたらとビザの乱獲をした。そのため一部の大都市を除いた地域では、イミグレはついに絶滅まで追いやられてしまったのだ。歴史は繰り返すのである。なんでも乱獲はいけないのだ。でも完全にイミグレーションが無くなってくれるんだったら楽でいいんだけどなぁ。

 もうこうなったらクライストチャーチまで行くしかない。でも今日は疲れたので、ティマルゥのユースホステルに泊まっていくことにする。ここの管理人のアンさんは、とってもいい人ということで評判なのだ。
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