第7話 クライストチャーチに主はいませり
文字数 1,380文字
ニューネッシーはいないかな、と目を凝らしていたが結局見つからないまま(当たり前か)、南島のフェリー発着地点であるピクトンに着いた。
ヒッチで南へ。目指すはカイコウラ。ピクトンからはざっと百六十一キロの道程である。
一台目、すぐに拾われてあっという間に次の町ブレナンへ。お礼を言って降りて歩いていると、横に停まっていた車から、
「ハロー」
と声がした。見るとおばあさんが嬉しそうに手を振っている。おばあさんはぼくが一台目の車から降りるのを見ていて、少し先の方でわざわざ待っていてくれたのだ。
「日本人はみんな頭がいいわよねぇ」
とおばあさんは嬉しそうに言った。ぼくは少し照れながら、
「いやあ」
と言った。しかし、ここでの会話は当然英語である。ぼくは日本語の謙遜のつもりで「いやあ」と言ったのだが、これを英語に置き換えると、
「頭がいいのね」
と言われて、
「イヤア=YES=そうでーす」
と答えてしまったことになる。ぼくはそれに気づいて、しかしどう訂正したらいいのか分からなくて赤面した。
おばあさんは分かれ道でぼくを降ろして「山に鉱石を堀に行くのだ」と張り切って突っ走っていってしまった。
それから一時間ほどは滅多に車は来なくて、たまに来た車も、
「そんなに遠くへは行かないから」
とゼスチャーで示して通り過ぎていった。やがて大きなエンジン音が聞こえてきたので振り向くと、それは大型の長距離路線バスだった。まさかバスをヒッチするわけにはいくまい、と思ってまた前を向いて歩いていたら、そのバスは百メートルほどぼくを追い越してから、何故かなにもない路肩に停まった。そして運転手が出てきて、
「乗れ」
ぼくはびっくりして、また、元々バスに乗っていた三人の乗客達に申し訳なく思いながら、恐る恐るバスに乗った。しかしどうも様子がおかしい。話を聞いてみたら、この三人、全員がヒッチハイカーだというではないか!
「今日は客はいねぇし、かまわねぇよ」
そのバスはお客の代わりに、街道に立っているヒッチハイカー達を拾いまくりながら走っていたのだ。ヒッチハイクだから、もちろん料金は必要ない。なんて粋なことをする運ちゃんだ!
バスはカイコウラを通り越してクライストチャーチまで行くというので、結局ぼくもそこまで乗せていって貰うことにした。
その頃のニュージーランドは春真っ盛りで、目に入る景色はみな、凄まじいまでの美しさだった。すべてが新緑に輝き、一面に花が咲き乱れ、まさにこの世の楽園と呼ぶにふさわしい光景に満ちていた。
ニュージーランドの南の玄関であるクライストチャーチは、イギリス以外でもっともイギリスらしいところ、と呼ばれる街であり、また、岡山県倉敷市の姉妹都市でもある。なるほど大聖堂やアートセンターなど、古いゴシック調の建造物が数多く建ち並び、街の中心にはきれいな小川が流れていて、植物園には倉敷市から贈られたというソメイヨシノを始め様々な花々が色とりどりに咲き乱れている。何ともはや、美しい街である。
この街にユースホステルは二軒あった。ぼくは郊外のリッチモンドにある、コーラワイルデン・ユースホステルへ行くことにした。
リッチモンドへは市街バスでたったの三十セントで行けたのだが、空港到着の時以来、料金を支払うバスに乗ったことがなかったぼくは「びびって」歩いていくことにした。
ヒッチで南へ。目指すはカイコウラ。ピクトンからはざっと百六十一キロの道程である。
一台目、すぐに拾われてあっという間に次の町ブレナンへ。お礼を言って降りて歩いていると、横に停まっていた車から、
「ハロー」
と声がした。見るとおばあさんが嬉しそうに手を振っている。おばあさんはぼくが一台目の車から降りるのを見ていて、少し先の方でわざわざ待っていてくれたのだ。
「日本人はみんな頭がいいわよねぇ」
とおばあさんは嬉しそうに言った。ぼくは少し照れながら、
「いやあ」
と言った。しかし、ここでの会話は当然英語である。ぼくは日本語の謙遜のつもりで「いやあ」と言ったのだが、これを英語に置き換えると、
「頭がいいのね」
と言われて、
「イヤア=YES=そうでーす」
と答えてしまったことになる。ぼくはそれに気づいて、しかしどう訂正したらいいのか分からなくて赤面した。
おばあさんは分かれ道でぼくを降ろして「山に鉱石を堀に行くのだ」と張り切って突っ走っていってしまった。
それから一時間ほどは滅多に車は来なくて、たまに来た車も、
「そんなに遠くへは行かないから」
とゼスチャーで示して通り過ぎていった。やがて大きなエンジン音が聞こえてきたので振り向くと、それは大型の長距離路線バスだった。まさかバスをヒッチするわけにはいくまい、と思ってまた前を向いて歩いていたら、そのバスは百メートルほどぼくを追い越してから、何故かなにもない路肩に停まった。そして運転手が出てきて、
「乗れ」
ぼくはびっくりして、また、元々バスに乗っていた三人の乗客達に申し訳なく思いながら、恐る恐るバスに乗った。しかしどうも様子がおかしい。話を聞いてみたら、この三人、全員がヒッチハイカーだというではないか!
「今日は客はいねぇし、かまわねぇよ」
そのバスはお客の代わりに、街道に立っているヒッチハイカー達を拾いまくりながら走っていたのだ。ヒッチハイクだから、もちろん料金は必要ない。なんて粋なことをする運ちゃんだ!
バスはカイコウラを通り越してクライストチャーチまで行くというので、結局ぼくもそこまで乗せていって貰うことにした。
その頃のニュージーランドは春真っ盛りで、目に入る景色はみな、凄まじいまでの美しさだった。すべてが新緑に輝き、一面に花が咲き乱れ、まさにこの世の楽園と呼ぶにふさわしい光景に満ちていた。
ニュージーランドの南の玄関であるクライストチャーチは、イギリス以外でもっともイギリスらしいところ、と呼ばれる街であり、また、岡山県倉敷市の姉妹都市でもある。なるほど大聖堂やアートセンターなど、古いゴシック調の建造物が数多く建ち並び、街の中心にはきれいな小川が流れていて、植物園には倉敷市から贈られたというソメイヨシノを始め様々な花々が色とりどりに咲き乱れている。何ともはや、美しい街である。
この街にユースホステルは二軒あった。ぼくは郊外のリッチモンドにある、コーラワイルデン・ユースホステルへ行くことにした。
リッチモンドへは市街バスでたったの三十セントで行けたのだが、空港到着の時以来、料金を支払うバスに乗ったことがなかったぼくは「びびって」歩いていくことにした。