第12話 ぼくは正真正銘江戸っ子なのです

文字数 3,436文字

 ロトルアを目指してヒッチを始めた。ロトルアに行けば「温泉」がぼくを待っているのだ。長いことシャワーばっかりだったので、そろそろ湯船につかってゆっくりと旅の疲れを癒したいと思っていたのだ。やっぱり日本人は風呂なのだ。
「よおし、やるぞお」
 などと一人興奮しながら歩いていたのだが、ヒッチハイクというやつは、そうはうまくはいってくれないものなのであった。

 ゼーゼーハーハー言いながら歩いてやっと一台乗っけて貰って、またヒーヒーフーフー言いながら、炎天下の、車なんかほとんど来ない昼下がりの国道を歩いて行く。
 いったいどのくらい歩いたのだろう。やっと二台目の車が止まってくれた。
「どこまで行くんだい?」
「ロトルア。フーフー」
「そうか。途中までだけど、よかったら乗ってきな」

 乗せてくれたのは、ワイロアという町のお巡りさんとその奥さんだった。彼はショットガンが暴発したとかで目を負傷していて、運転は奥さんがしていた。彼らはとても親切で、
「お腹が空いているでしょう」
 とサンドイッチをくれたり、ソフトクリームを買ってくれたり、タウポ湖やフッカ・フォールなど、道すがらの観光名所にも連れて行ってくれた。もう夕闇が迫ってきた頃、彼らと別れる。

 三台目にはすぐに拾って貰えた。トラックで牧羊犬を運んでいるおじいさんだった。
「なに、ロトルアに行くのか。あそこは臭くてたまんねぇぞ」
 おじいさんは鼻をつまんで笑って言った。

 ロトルアは温泉の町である。と共に、マオリ文化の中心地でもある。いや、中心地と言うよりもここにしか残されていない、と言った方が正解なのではないだろうか。
 元来、彼らマオリ族も、平和に暮らしていたチャタム諸島の先住民族モリオリ族を急襲、およそ二千人いたモリオリ族を大虐殺の末滅亡させた、という残虐な侵略者としての歴史を持ってはいるが、結局彼らも後に侵略してきたパケハ(白人)達の手によって追いやられ、現在はその観光産業に貢献するために、こうしてわずかに昔ながらの部落やその他の伝統文化を守っていくことが出来るという、彼らにしてみればかなり屈辱的な立場に立たされているのではないかと思われる。

 ここで少し、彼らニュージーランドの先住民族、マオリ族について触れてみたい。一口に言ってしまえば彼らの祖先は、ポリネシア系のまぁ南の島の原住民的であるのだが、そのルーツは日本人(特に沖縄やアイヌの人)と同一であるのではないかという説もある。確かにマオリ語の発音はかなり日本語に近いところがあるし、文化の面においても、昔のマオリ人は、フンドシを締めてチョンマゲらしきものを結っていたりもしたのである。さらに彼らは全身に入れ墨をする習慣を持っていて、特に顔面の入れ墨に関しては、日本の歌舞伎の隈取りと、そのルーツが同じなのではないかと言われるほど、非常によく似ているのだ。世界はまだまだ面白い謎に満ちている。

 マオリ族の伝統文化が語られる際に、ひとつ気に掛かるところがある。それはしばしば、彼らの祖先に食人習慣があったと、断定的に紹介されることである。
 ちょっとつまみ読みした本の中には、祖先の食人習慣を否定するマオリの青年を、「なぜ自分の祖先の習慣を誇りを持って肯定できないのだ」、とやり込めるくだりのあるものまであった。

 確かに記録上、最初にニュージーランドに上陸したイギリス人だかオランダ人だかの船員が、二人ばかしマオリ族に殺されて食べられちゃった、ということにはなっている(ちなみに一八三十五年十二月のモリオリ族大虐殺の際には、数日で数百人が殺され、その多くが食べられてしまった、とも言われている)。ま、船員が殺されたのは本当かも知れない。それならば死体の肉の除去も行われた可能性はある。

 そこで短絡的に考えれば、死体の肉を剥いでいる、つまりその肉を食っているのである、と判断してしまうことはあるだろう。しかし民俗学の見地から言えば、死体の処理方法としての肉の除去などというものは、チベットやギリシャなどでも確認されていて、食人習慣とはまるで別物なのだそうである。

 世界中の多くの民族に共通の観念として、人間の死体というものは非常に恐ろしいものなのだ。腐敗、膨張と恐ろしい変化を遂げながら、あらゆる災いの元となって人々を苦しめる。それが敵の死体ともなれば、なおさら恐ろしいのは当然だろう。そして死体がその活動を完全に停止するのは、骨だけになったときである。肉がなければ外見の変化は起きなくなるから。それならばとっととその状態にしてしまおう、と肉の除去作業が行われたというのはうなずける。ある民族が死体の肉の除去をしていたという証拠は、紀元前六千年頃の壁画にも描かれているという。

 だいたいが英語のCANNIBAL(食人種)という言葉からして、いい加減なのである。その語源となったCARIBS(カリブ族)が調査された結果からも、食人習慣の十分な証拠は見つけられなかったという。分かったことといえば、彼らは「死者は肉を失うまでは魂の国に行かない」と信じていたということである。

 要するにね、大航海時代の探検の報告なんて(いや、現代でも同じか)、面白可笑しければよかったのだろうということだ。真実かどうかではなく、ニュース性が高くて大衆を熱狂させられることが重要だったのである。
 南の果ての未知の島に探検に行って、原住民の土人に船員が食べられちゃった……、なんて話題性十分だもんなぁ。そんでもって、イギリスはそんな野蛮人どもをやっつけて、島を植民地にしてしまうほど強いのだ、なんてなったらもうだめ押しだ。当時の民衆は大喜びであったのは間違いないであろう。

 もちろんぼくだって、大航海時代の英雄達の功績が近代に与えた影響は偉大であると思っている(しかしマオリ族のような民族にとっては間違いなく大災難だったと言えるだろう。世界各地の先住民族は、ヨーロッパ人の侵攻により、まず武力以前に、ユーラシア大陸から持ち込まれた病原菌により、その莫大だった人口のほとんどを失う壊滅的打撃を受けているのだ。病原菌により絶滅した種族だけでも、いったいどれだけあることだろう)。ただ一般にぼくたちが入手できる情報というのは全て操作された可能性のある情報なのであって、それを丸まる鵜呑みにして他人を傷つけるなんて、それはヒドイことなのではないか、と言っておきたい。

 ま、本当のところ、マオリ族がどうだったのかなんて、昔のことなんだから誰にもはっきりとは分からないんだし、食人習慣があったというのなら、実際のところはあったのかも知れない、とは思う。

 それでもとにかく、現代文明のモラルの中で暮らしている人たちに対して、現代文明のタブー(たとえば食人習慣)の話題を持ち出すことは、本当に慎重に行われなければならないと思うのだ。あまりにもイージーに、ただ単に「マオリ族の祖先は人食い人種」と書いてある本などが横行しているのは、感心できることではないと思う。

 話をロトルアに戻そう。
 マオリ族の部落はワカレワレア国立公園の中にある。この国立公園はいわゆる地獄谷で、あちこちでボコボコと泥沼や温泉が音を立てていた。非常に硫黄臭い。そしてここには七つの間欠泉があって、なかでもポフツ・カイザーと呼ばれる間欠泉は、ときには三十メートル以上もの高さまでお湯を吹き上げることで有名である。

 その他にも羊毛刈りショーや、牧羊犬による羊追いのデモンストレーション、夜はマオリ族のダンスショーなど見どころは沢山あって、このロトルアはニュージーランド北島随一の観光地となっているのだ。

 実際どこに行っても観光客で溢れていた。マオリ族の部落周辺でも大勢の観光客がビデオカメラや銀塩カメラをかまえていた。ぼくがそこを通りかかると、どういうわけか(分かっているけど)皆ぼくの写真やビデオを撮りまくっていた。後ろから声をかけられて振り向きざまにフラッシュを焚かれたり、突然大勢に囲まれて写真を撮られたり、ビデオカメラを持ったおっさんがずっと後ろを着いてきたりして、非常に不愉快だった。

 ぼくを取り囲んだのはたまたまアメリカ人観光客の団体だったが、きっとここでは世界中の観光客達が同じようなことをやっているのだろう。毎日こんな連中の好奇の眼差しの対象になっていなければならないなんて、ここにいるマオリの人たちはなんてたいへんなんだろうと思った。
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