第2話 湧き起こる妄想

文字数 1,186文字

 妻子が去った後の我が家。何かが抜け落ちたような静寂の中で、シンクの中から食器が手招きする。明日まで放置すると後悔する、と思いスポンジを使って洗っておく。その後、奥の部屋で、心おきなく壁にもたれ掛けたベージュ色のボードを眺める。

 心が落ち着く。いや、興奮する? 自分でもどちらか分からない。セロトニンとドーパミンとのカクテルが、僕を酔わせる。レールを打ち付けただけの樹脂ボード。これだけでは寂しいだろう、という思いがだんだん支配的になってきた。自分の憧れの景色を、手軽に、簡素に再現すればよいではないか。イメージは、モンゴルの草原だ。
 手っ取り早いのは、ボードに何らかのシートを貼付け、そこにレールを固定し直すことだ。これだけでも裸のボードとは全然違う。そういうシートも模型メーカーが用意している。大手T社の純正だと、縦七五センチメートル、横一〇〇センチメートルで一四三〇円。綺麗な草原、牧草地帯のイメージが仕上がるが、やはりお高い。背の低い人工芝なら、ホームセンターで手配できるが、それだとレールとその周辺に合わせて刈り込みが必要だろう。うまく合わせないと車両が脱線するし、何より美しくない。

 そしてもう一つ。持っている四五七系は電車だ。これから入手するであろう車両も、電車や電気機関車であることが多いだろう。ということは、実物も電気で走る。この場合は、線路からの給電ではなく、頭上の架線から電気をとる。つまり模型と言えども、架線がないとリアリティーがないのだ。Nゲージの動力としては必要のないものではあるが、この架線にまで気を配らない展示が実に多い。僕はそれが昔から不満だった。架線そのものを再現するとなると、釣り糸や外科手術の縫合糸などを線路の上に張り巡らせることになる。ここまでやるとレールに車両を載せることも、脱線の処置を行うことも困難になってしまうのだ。だから架線はなくとも、架線柱だけは設置しておきたい。
 架線柱は模型店で購入できる。これをレールに沿って並べることにしよう。するとまた、不満が生じ始めた。線路回りにはバラストと呼ばれる小石が撒かれている。Nゲージのレールにもそれを模した床が付けられていて、その床でレールを安定させる構造だ。架線柱はこの床からはみ出してつける形になるのだ。つまり、実際の線路では見られない作りになる。本物は、架線柱の根元もバラストに埋まっているのだ。僕は悩み始めた。シートと架線柱で満足する程度である方が、子どもと遊ぶものとしては適切ではないだろうか。架線柱だけでも、折れたり外れて無くなったりしてしまうぞ、きっと。でも、どうせならより本物っぽくするのが、子どもの教育としても良いのではないか。古来より大人とは、子どもを使って自分の理想を遂げようとするものなのだ。僕もその程度の親であるのだな。うん、開き直ることも大事なのだ。
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