最終話 箱庭療法とハコニワの今と

文字数 1,198文字

 レイアウトはほぼ完成し、無事運び屋業も終えた。そしてこの「ハコニワ」も終わりを迎えようとしている。ここまで二十七回に渡って書き綴ってきたが、当初の構想から外れたままの話題が残っている。それがタイトルの「箱庭療法」である。

 「箱庭療法」とは、精神科領域で行われる心理療法の一つだ。砂を敷いた箱の中に、いろいろなミニチュアを置いたり、砂で形を作ってもらったりという表現を通して行う治療方法である。二十世紀初頭にイギリスで考案され、日本には河合隼雄先生が一九六五年に導入した。「箱庭療法」での作業は無意識の自分を表出するものであり、あまり考えずに直感で作ることが必要だ。だから、ある程度計画的に作った我がハコニワとは性格が異なっている。

 しかし単身赴任になって解き放たれると同時に、やはり心に闇も出来るというもの。当然、仕事上の問題だって生じる。これらにも触れながら「ハコニワ」を書いていくつもりだったが、思いのほかそのような方向に筆が進まなかった。でも実際には、そんな状態がそれなりにあり、このハコニワが僕を現実から引き離してくれた。作業に没頭したり、計画を練ったりして時を忘れる。これが日常の活力になったことは間違いない。そして例えば牧場にしても、児童公園にしても、自分の無意識がそれを作らせている、という面も否定できないはずだ。その点で、このレイアウトは僕にとっての箱庭である。だから次のレイアウトを作る時には、別の風景が生まれるはずだ。一方で共通する部分もきっとあり、そこは僕の根っことも言える景色なのではないだろうか。例えば、小学校時代に挫折したレイアウトと比べてみる。牧場・草原という発想はなかったし、完成しなかったがトンネルのために発泡スチロールを積んでいた覚えがある。我がハコニワには、トンネルは無い。一方であまりごみごみした都会は当時も作ろうと思わなかったし、川や池は共通して存在する。年齢を重ねたことによる好みの変化、と言って終わらせることもできるだろうが、僕にはその時の心理的な影響も大きいような気がしてならない。でも、解釈はよく分からない。実際の治療もカウンセラーや精神科医とお話しながら無意識を認識していくはずなので、患者である僕一人で分かろうとしなくてよい。が、結果的に僕の心は健康を保って家族の元へ戻った。それはそれで、新しい問題も生まれるのだけど。


 こんな真面目な話で終わろうとは思っていなかったのだが、今、ハコニワは粗大ごみ化を免れつつも、マスオさん卒業の証であるマンションの一室で、壁にもたれ掛けさせた謎のオブジェに成り下がっている。そして桜の花は色褪せている。もちろんこれを手放すなんて絶対にあり得ないが、あの時ほど僕にとって必要な存在では無い、というのは認めざるを得ない。ハコニワと読者の皆さんに深く感謝して、話を終わりにしたい。有り難うございました。



[完結]

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み