随想 大江健三郎の引用論について

文字数 815文字

 ボブディランは引用や盗用が騒がれる人として知られるが、大江健三郎も、彼に負けず劣らず「あきらかな引用への偏愛」のある人だろう。いろいろな作品に引用がみられるが、たとえば、『叫び声』の冒頭で語り手が述べるのは、引用の記号はつけていないものの、サルトルの文章から引用したものらしい。
 大江は渡辺一夫の言葉を指針にして、「三年ごとに対象を定めて読むということを生活の柱」とし、「その読書から次の小説への頼りになる呼びかけ」を聞いた。例を挙げれば、ブレイクの詩に支えられながら『新しい人よ眼ざめよ』を書き、ダンテの神曲に支えられながら『懐かしい年への手紙』を書き、イェーツに支えられながら『燃えあがる緑の木』を書いている。
 作品の展開に必要であり、文体の多様化に役立つものとして引用がなされたらしいが、『懐かしい年への手紙』の主人公であるギー兄さんの考えや人生がダンテの引用で成り立っているように、大江の人生が引用によって成り立つものとなっていった。このことを大江自身は次のように表現している。

「私がこれから自分の生をしめくくるつもりでこれまで生きた全体をスケッチするとしたら、それは徹底して複雑な入れ子細工の箱となって、引用のなかの引用の、また引用の、という様相を呈するのではあるまいか?」

 大江によれば、赤ん坊は、他人から言葉を借りて発語し、「すべての小説も詩も、他人との共有の言葉によって、つまり引用によって書かれてきた。」という。この言葉は文学創作の根本原理に間テクスト性があると指摘したジュネットを想起させる。
 日本の伝統的な作歌技法として、本歌取りが知られるが、発話やテクストにはすべて、間テクスト性があって、言葉や文学作品は無から創られるものではなく、テクストの相互作用のなかから産まれるものかもしれない。



参考資料
大江健三郎. 1998. 六章 引用には力がある. 私という小説家の作り方. 新潮社. pp.107-125
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