随想 『友達』の読み方

文字数 840文字

 安部公房の本を読みたくなり、『砂の女』と『友達・棒になった男』を買って読んだのだが、思っていたより、ずっと読みやすく、読み心地も悪くなかった。ただし、途中で投げ出すほどのストレスを感じず、すらすらと読めたからといって、ただちに内容が判明したわけではない。私は何かを受け取ったのだが、それを言葉にするほど明確ではないというのが実情である。
 しかし、作品を読み終えたあと、中野(なかの)考次(こうじ)という人の書いた解説にヒントを見つけた。これは戯曲『友達』の解説なのだが、ここに次のような文章が書かれている。

「家族なり、会社なり、学校なり、なんでもいい、自分の中を探ればこれと同じ状況を発見させられるのが、この芝居のおそろしいところである。安倍公房は心理や人情のリアリズムを通してではなく、生を一度解体し、抽象的に再構成してみせることで、いわばわれわれの生の構造そのものをつきつけているのだ。」

 つまり戯曲に示される生の構造を現代に生きるわれわれの状況で解釈することができ、観客は舞台の男の話としてではなく、自分が人生で経験する話として捉える効果があるというのである。中野はこの捉え方を安部がガルシア・マルケスの『百年の孤独』について述べた次の文章とともに語っている。

「背景とか登場人物の風習、習慣、そういうものはたしかに中南米的かもしれない。日本人なんかとは違ってあくが強いし、食ってるものだって、恐らくそれ食ったら三日ぐらいは体臭が抜けないだろうというようなものばかりだ。しかしそれに目をくらまされると、とんでもない誤解に落ち込んでしまうことになる。そんなこと実はどうでもいいことであって、結局は現代というこの特殊な時代の人間の関係を照射する強烈な光なんです。」(『死に急ぐ鯨たち』. p.180)

 『砂の女』は、ある部落の人たちに捕らえられ、閉鎖空間で絶えず砂掻(すなか)きを強いられる日々を過ごす男が脱出を試みる物語だが、これも生の構造を現代にいきる読者各自のさまざまな状況で解釈できる作品かもれない。
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