北海道で赤気(せっき)が観測

文字数 6,750文字

今月12月1日、北海道で20年ぶりにオーロラが観測されたとニュースが
ありました。北海道ほどの緯度で発生するオーロラは低緯度オーロラと呼ばれ、
赤い色をしているのが特徴です。

赤いオーロラは聖徳太子の時代のころ奈良で観測され、これを赤気(せっき)と
日本書紀は記載しています。その翌年に聖徳太子が亡くなっています。

聖徳太子の伝承集である聖徳太子伝暦には、この時に百済の法師がこれは中国の
兵乱や反乱を司る凶神・蚩尤(しゆう)の兵の軍旗であり、恐らく太子が亡くなった
あと7年後に兵乱が起こって太子家は滅ぶというしるしだろうという事を伝えたと
あります。

赤いオーロラは第二次世界大戦前のヨーロッパでも発生した事が記録にあって、
今回北海道で観測されたこれも、これから何か起こる事の前触れなのかも
知れません。
大きな異変が起こらないように、心を込めて平穏を祈る事をお勧めします。

(1/10追記)
2024年の年明け早々、1月1日午後4時ごろに石川県の能登を中心に震度7の
大きな地震が発生しました。建物の倒壊や規模の大きい火災の発生など、大きな
被害が発生した模様です。

亡くなられた方も現在わかってるだけで200人近くに登り、また今でも多くの
行方不明者が存在しているようです。亡くなられた方のご冥福と、被災者の方の
救助を祈ります。

1月1日は、神の母マリアというキリスト教の記念日でした。
今回の能登で起こった地震は、もしかして預言的な性質のものでは…と思えるような
点がいくつかあります。

1973年から81年にかけて、秋田の聖体奉仕会という修道会のシスター笹川という
修道女の方に、聖母マリアの出現がありました。
その時、シスター笹川に聖母マリアが告げた預言があってその内容を抜粋して
紹介したいと思います。

「前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に
大いなる罰を下そうとしておられます。そのときおん父は、大洪水よりも重い、
いままでにない罰を下されるに違いありません。」

「火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も
悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ
人々を羨むほどの苦難があるでしょう。」

「その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子の残された印だけです。毎日
ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために
祈ってください。」

その他にも、教会の中に悪魔の働きが入り込み聖職者の間で対立が起こる等のことが
予言されています。

それから2019年10月6日、何十年かぶりにシスター笹川の前に天の使いが現れ
灰をかぶって悔い改めのロザリオを毎日祈るように伝えたとあります。
その時に、シスター笹川は時が近いと感じた、と感想を宣べています。


・11の暗示

ここの所の記憶に残るような大きな事件や事故には、11の数字がついて回っています。
例えば世界貿易センタービル倒壊の911、東日本大震災の311などがあります。
1月1日は聖母マリアの記念日で、この11という数字はもしかしたら聖母を暗示する
数字なのかも知れません。

秋田に現れた聖母マリアの例でも、木製の聖母マリアの像が涙を流す奇跡があった事で
知られ、その回数は合計101回であった事が記録されています。
1月1日を1/01として見ると、これも聖母マリア、特に秋田の聖母マリアを暗示して
いるように見えます。

またもう一つ、聖母の出現のあったベイサイドという所で撮影された奇跡の写真、
あるいはヤシンタ1972と呼ばれる預言的なものとされる写真があります。

https://f4.bcbits.com/img/a3489305790_16.jpg
(奇跡の写真、またはヤシンタ1972)

これは霊の作用で写し出された写真と言われ、またヤシンタとは
ファティマの奇跡で聖母に遭遇した三人の牧童のうちの一人、聖ヤシンタ・マルトーの
こととされています。

この写真に写っている数字と、それに関連する数字は近年の大きな災害と高い一致が
見られ、例えば世界貿易センタービル倒壊の911、つい先日の能登地震の11、
そしてヤシンタ・マルトーの生誕日は3月11日、東日本大震災と同じ日付です。

この写真が関連しているものはファティマの奇跡、それからこの写真が撮られ
聖母出現のあったベイサイド、それから日本の秋田の聖母に関連づけられている
可能性が高いです。

これらではそれぞれ聖母マリアによる預言や警告が発せられていて、それに注意を
向けるように促す意図がもしかしてあるのかも知れません。

ベイサイドの預言では、この写真が世の中でほとんど考慮されていないことを
ヤシンタ・マルトーが嘆いているというメッセージがあり、世の中に拡散するように
求めがありました。ネットの掲示板でやってみるのもいいかも知れません。

またこの写真は見ていると不思議な恵みがあるとされ、なので保存しておいて
眺めたりしていると内面的に、または身の回りに何か起こったりすることが
あるのかも知れません。

そして、11に関連する災害を起こった順に並べて見ると

911
311
11

カウントダウンのように見えます。


・今回の地震が石川県で起こった理由らしきもの?

これはあまり自信のない推察になりますが、今回の地震が石川県で起こった理由は
こうではないか…というものがあります。

たまたま目にした情報で信憑性も未確認ですが、どうやら全国のアダルトDVDの半数が
石川県から出荷されているものらしいのです。
どうやら、石川県には大きなアダルトDVDやアダルト関連製品の製造・販売会社がある
らしく、国内のアダルト関連商品の大きな割合を占めているとありました。

ファティマの奇跡では性欲の罪によって罰が下されるという預言がされましたが、
今回起こった地震も、もしかしたら性欲に対する断罪と警告ということも考えられます。

ソドムとゴモラは、性欲の罪によって天から降ってきた火と硫黄によって滅ぼされた
とあります。ちなみに、今でもソドムとゴモラの町があった辺りではゴルフボール大の
非常に純度の高い硫黄の玉が見つかるそうです。

どうやら性欲の罪は、自分達が考える以上に判定が厳しいものらしく、一瞬でも
性的なものに目が行ったり意識が向いたら罪の判定となって、まして何も考えずに
野放図にしていたら知らず知らずのうちに魂が地獄に染まっていき、死後には厳しい
断罪が下される…という非常に恐ろしいもののようなんです。

メディアなどを使って性欲を奨励し、アダルト商品などで性欲を世の中に蔓延させる
のは悪魔の策略という事も言われています。

以下に、エクソシズム(悪魔祓い)が行われた際に、地獄に落ちた魂が性欲について
憑りつかれた人を通して語ったという証言の一部抜粋を記載します。


ヴェルディ・ガランデューという悪霊の証言

『ヴェルディ・ガランデュー(元聖職者の悪霊)は自分もまた「悪霊たちの中の悪霊」
 になったことを告白した後、突然叫び始め、こう言った──「私が恩寵と導きに
 応えなかったとは、何と愚かなことだったろう!」
〔彼は哀れな泣き声を出しながら憑かれた女性を跳ね起きさせ、大声を上げる〕
 何故私は自分をその道に進ませてしまったのか? 何故? 何故、私は司祭職という、
 この非常に重い責任のある職務に入れられることに同意したのか?』

『私は神の掟を守りながらというよりはむしろ女性の服を眺めながら時を過ごした。
 私は実際のところ、熱くも冷たくもなく、生ぬるかった。それで聖主はその口から
 私を吐き出した 。私は広くて簡単な快楽の道に入った。そして私はもはや恩寵に
 応えずに、聖徳の狭い道を放棄した。そして次に、私はますます堕落して行った。』

『ああ! 私にとって地獄とは何という運命だろう! 私が生まれることさえなかったら!
 地上に再び戻ることができるなら! ああ! 私はどんなにより善く生き直すために
 地上に戻りたがっていることか! ああ! 私はどんなに夜も昼も脆き、いと高き御方
 への祈りのうちに過ごしたがっていることか! その時、私は天使と聖人たちに、私が
 破滅への道から離れていることができるように、私を助けて下さるようにと祈るだろう。
 しかし、私はもう引き返すことはできないのだ。私は有罪なのだ。〔哀れな声を出す〕』

『ああ、司祭たちは地獄の刑を宣告されることがどんなことか、また地獄がどんなもの
 であるかを知らない。現在、地上に居るほとんど全ての者が、最も抵抗の少ない道を
 選んでいる。彼らはこの世の快楽を味わうことを望んでいる。』

『司教、枢機卿、そして修道院長たちは、彼らの部下たちが示す程度の模範しか示して
 いない。彼らは、キリストがその食事と食事に準ずる席で実践したような質素さに
 倣いつつ生活しているだろうか?聖家族と使徒たちも大いに断食したのである。』

『特に、貧しい人々は、彼らは後には天国で心底から幸福になるのであるから、今は
 その逆境を耐えることだけで良しとしなければならない、と教えられなければならない。
 たとえその貧しい人々が(その貧窮を)耐えねばならないとしても、それでも尚全体と
 して見れば、例えばアルスの主任司祭(聖ヴィアンネというフランスの聖人)、
 あるいは他の偉大な聖人たちがその生涯の正に最後まで受け入れた断食と犠牲からは、
 まだ相当な隔たりがあるのである。』

『私は、時々しか祈らなくなり、そして最後には、祈ることを全くやめてしまった。
 私は、聖務日課の長い祈りを、退屈で無益なものと思うようになり、そしてとうとう、
 祈る意欲を失ったのである。私は、聖務日課をしなくなった時、淫猥の罪に陥った。
 そしてその時から、私はもはやミサを唱える意欲を持たなかった。これは連鎖反応的に
 起こった。私が淫猥の罪に陥った時、これは連鎖反応的に起こった。』

『ピルを使用すること(それは既に重大な過ちである)と堕胎をすること(更に重大な
 過ちである)との間には、僅かな差しかないからである。
 堕胎は殺人である。それ故、重大な罪である。
 神が今直ぐにはオナニズムを罰せられないとしても、かつて彼がオナンの罪を罰し
 給うたように、我らの神は産児制限の様々な手段を、どんなものであれ等しく重大な
 ものとしてお考えなのである。何故なら、これらの悪行は、神が御心に描いておられる
 救いの計画とは正反対だからである。』

『天主は理由なくして、福音書の中で、(天国に)片目で入る方が、あるいは片手で入る
 方が、あるいは片足で入る方が、両目、両手、両足を持ったままで地獄の恐ろしい
 苦しみの中に入るよりはましである、と言ったわけではない。』

『天主の十戒における第六戒 (汝姦淫するなかれ)について、私は、これが贅沢の罪と
 並んで多くの司祭たちにとって滅びの道となった、ということを言わねばならない。
 もし司祭たちが、この巨大な悲劇を認識することができたなら、その時、自分の血の
 最後の一滴に至るまで、自分自身を生け贄として捧げるであろう。その時彼らは、
 今まで起きていたあらゆることに対して巨大な悲しみを感じ、自分の道を全くゼロから
 やり直すことであろう。そして、自分が真の道を再び見出すことができるよう助けて
 くれるようにと、聖人たちと天使たちに祈るであろう。何故なら、永遠の地獄において、
 その火は絶えることなく、うじ虫どもはお前たちの霊魂を永遠に喰い散らかすからである。
 地獄におけるこの巨大な苦しみ、この恐ろしい悲劇は、永遠に続くのである。
 私、ヴェルディ・ガランデューは、これらのことを言うようにと強いられている。』

これらの証言によるなら、性欲と食欲はできるだけ制限しなくてはならない
恐ろしいもののようです。
また、次のような事例もあります。


カルロ・パスクワレという悪霊の証言

1972年1月、スイスで行われた祓魔式の最中に、カルロ・パスクワレという名の
悪魔が、ドイツ語を話す21歳のスイス人男性を通して語った。聖母が彼に次のような
驚くべき告白をさせたという。

『私は生前何ごとも信じなかった。だから、こんな有様、悪魔として知られる最低の
 生き物になったのだ。私は悪魔だが、低級ではなく高級な悪魔だ。』

『私は芸術家だった。ヴァレンチオに並ぶ画家だった。私に絵描きを教えたのは奴だ。
 私はパリに絵を習いに行き、そこで死んだ。私は悪魔を信じていたが、悪魔がこれほど
 人間に大きな影響を与えているとは知らなかった。』

『私は無神論者だったが、メーソンではなかった。こんな有様になったのは、宗教生活を
 軽く見ていたからだ。私は、神は深刻で(厳しく)はないと思っていたが、まったくの
 誤解だった。誤解のおかげで、こんな惨めな状態にいるのだ。これが1000年でも
 3000年でもなく永遠に続くのだ。そこには終わりはない。ここは時間の止まって
 いる世界。永遠、永遠なのだ。』

『おまえらに言いたいことがある。不信心な大衆、罪人、情欲を追い求める輩、人殺し、
 無宗教者のおまえら全員にだ。おまえらは信仰を真面目に考えるべきである。祈りに
 真剣になるがいい。おしゃべりではなく、祈りが世界を助けてきた。おしゃべりは実を
 結ばない。私のいうことを信じてよい。』

『神としての聖霊(イエズスの霊というだけの意味ではない)を信じない者は、呪われ、
 追い出され、諸聖人の交わりから除かれる。死んだ不信者のことを言っているのだ。
 俺は信じなかった、そして今は永遠に呪われている。ああ、僅かでも希望があれば、
 3000年でもいい! この地獄を出られるなら300万年でもいい。だが、それは
 かなわぬことなのだ!』

『神は地球を毎日祝福している。どの生き物も祝福している。だから呼吸ができるのだ。
 すべてが自動的に行われていると思うな。おまえらの派手な服装、巨大なビルディング、
 好き勝手なセックス、ポルノ雑誌や汚れた販売所、われわれはそれをたっぷり使ってきた。
 それを売っている人間どもは悪魔の仕事をしているのだ。「そんなに悪いことではない」
 というような人間には「とんでもない」と言っておく。』

『おれは従順にこれを話さなければならない。それは、彼女(聖母)がおまえらが思って
 いる以上に力ある存在だからだ。彼女はおまえらが知っている以上に愛に満ちている。
 おまえらが想像できる以上に助けてくれるのだ。彼(イエズス)は彼女がいかなるものか
 をおまえらに語るだろう。彼は彼女を知っている。彼は彼女の中に生き、彼女は彼の中に
 生きているのだ。彼の心は彼女の心、彼女の心は彼の心なのだ。だが、主の母は一番
 苦しまれたのだ!』

『神はどこにでもいる。おまえらが罪を犯し、盗みを働き、生殖に対して罪を犯している
 場にもだ。これは最高者がお嫌いになることなのだ。彼はいと清き、いと恵み深き方で
 あられる。』

『神はどこにでもいるのだ。おまえらが純潔にそむく罪を犯している場所でも、殺している
 場所でも。神は忍耐して見ているが、いつか地上に怒りを注ぐだろう。そうなるのは、
 神は死んだとおまえらが叫ぶときだ。だが、神は生きているのだ。おまえらはそれを見る。』

『ああ、苦しい。拷問だ。永遠の苦しみだ。神はなにごとも真剣になされるのだ。われわれが
 おまえらを誘惑するときに抵抗する力が自分のものだと考えるな。いや、それは違う。
 それは全能者の力なのだ。清き全能者の聖霊の力なのだ。』

『おまえらは自分を敬虔で聖なるものと考えているが、みな罪人だ。小罪人、大罪人、
 中途半端な罪人、習慣性の罪人だ。おまえらは神より罪を愛している。肉を愛している。
 それはみな罪だ。だが、見ろ、こんなものはもうすぐ消えちまうのだ。それは物だ。
 物は続かない。続くのは魂だ。』

『酒が情欲を誘う。それは恥ずべきことだ。こんな奴らは豚と変わらん。俺はこんなこと
 さえしなかった。へどが出そうになるからだ。それでも、俺は彼らと同様に呪われて
 いるのだ。』

『そうだ、拷問だ、永遠の拷問だ。おまえらは、いつまでも、おのれを責めるのだ。
 それで、おまえらが豚のような生き方をしているのなら、豚のような欲情を楽しんで
 いれば、おまえらは地獄で豚の顔になる。他を誘惑した奴は蛇の姿になる。』

『これは冗談ではない、とぐろを巻いた、黒い皮の蛇のようになるのだ。俺はこのような
 姿の女を知っている。それはすさまじい姿だ。蛇のような舌をしている。蛇女、蛇人だ。
 この女は誘惑を表している。同様に、男も誰を誘惑しても、地獄では蛇の姿になる。』
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