3・自身に起こった出来事

文字数 4,380文字

4月16日にノートルダム大聖堂の火災が起きたと同時に、
自分にどんな事が起こったのか。

それを説明する前に、
その時の自分の境遇、心境を解説したいと思います。

自分の書いた前作の小説を読んで下さった皆さんならご存知の通り、
自分は聖書ラノベ新人賞の応募のために例の前作の小説を書いていました。

そして見てもらえばわかる通り、その小説は聖書をラノベのフォーマットに合わせて
17歳の少年がイエスキリストとして転生し、12使徒が美少女で…といった、
おおよそキリスト教を冒涜してると捉えられても仕方のないものでした。

けど心持ちとしましては、日本にあまり馴染みがないキリスト教、そして聖書を
なるべく読みやすく紹介するような形で、読んだ人が聖書って本当はどんな事が書かれてるのかなと
興味を持って聖書を読んでみてもらうような本にしよう、といったものでした。
そのコンセプトでもって今から1年半ほど前、2017年12月22日に物語を書きはじめました。

けれども書き始めてみると想像していた以上に神聖なものに対する冒涜感があり、
とても大きな心理的抵抗を感じながら書く状況になりました。

イエスキリストを普通の人として書くのはキリスト教じゃかなりタブーじゃなかったっけ、
しかも普通の人間だから聖書に書いてある奇跡を当時の人にそう見えるように再現してるだけという描写で、
奇跡の否定になって真面目なキリスト教徒の人が見たら怒るよな…
けれどコンセプトとしてはキリスト教徒以外の人向けに書いてるものだから
たぶん真面目な人は見ないよな、怒った人が掲載しているメアドに怒りの抗議メールとか送って来ませんように…
と、ビクビクしながら非常に心細い思いで書く作業をしておりました。

そして聖書にあるイエスキリストの生涯を悪質な模倣で貶めて挑発していると取られないよう、
そして自身のそういった心理的負担を減らすために
例えばイエスキリストとして17歳の主人公が馬小屋に転生した場面を
12月25日に書いてネットにアップするような、
本当の聖書と書いている物語中の内容の日付との符合はせめて避けよう、と気をつけていました。

そして物語の全体の3分の1ぐらい書いた所で残念ながら目標の聖書ラノベ新人賞には落選、
読者にも受けてるのか受けてないのかイマイチよくわからない状況で
心情的にはもうこれ以上書いても仕方ないな、書いてても物凄く抵抗感があるし…
といった感覚になりました。

その時もう書くのやめようかな…と思って1ヶ月ほど放置になったのですが、
その間にも閲覧数がぽちぽちと増えつつあって、
けっこう見てくれてる人も居るんだな、よし、一旦手をつけた事だし
それに伏線とか色々あるし書きあがったらそこそこ面白いものになる自信がある…
じゃあゆっくりでも書いていくか、といった思いを抱いて再び書き始めました。

それで途中書いたり止まったりを繰り返しつつ、
書き始めてから1年半ほど経ち書いていた小説もそろそろ最終盤、
59・ヨセフの岩屋の場面を書き上げてネット上にアップした翌日(※)、
2019年4月16日(日本時間)に例のノートルダム大聖堂炎上事件が発生しました。
(※ 以前は59・ヨセフの岩屋は投稿日4月15日 更新日4月17日と表示
 されてましたが、現在はサイトの仕様変更によって更新日のみの表示になっています)

・そこに現れた符合

まず初めにこのノートルダム大聖堂の火災のニュースを聞いた時、
え、あのフランスのノートルダム大聖堂が?といった軽く信じられない気持ちでした。

しかしその時はまだ余裕といいますか、あの綺麗で歴史ある
世界遺産のノートルダム大聖堂か大変だな、原因は何だろう、失火とか、まさか放火か…と
大きなニュースを見てもよくある、一種の他人事のような冷静さがあって
事件と自身の小説との関連などまるで頭に思い浮かびませんでした。

けれども、大きなニュースですから気になって情報を漁るようにして
テレビやインターネットの掲示板を巡っているうちに、
キリスト教の世界的に有名な教会が、歴史ある教会が、キリスト教が、歴史がと
キリスト教と歴史をある意味貶めていると言える不敬な自分の小説に頻出する単語が
やたらと飛び交ってるな、という事に目がいきました。

その時何となーく、画面の向こうでノートルダム大聖堂が炎をあげ炎上している
この光景は、まさかキリスト教の神が自分の書いた小説に対して
その不敬さにお怒りを表して…といった考えが頭を掠めました。

初めは冗談半分だったんですが、そう言えば小説はキリスト教が歴史に与えた影響もテーマだし
ラノベだから色々ふざけたり、性的なニュアンスもあったりするし…
と、だんだんと不安になってきました。

そしてそこで気づいたんですが、事件の前日に自分が書いてネットにアップした場面は、
58・ヨセフの岩屋 というエピソードでした。
場面で言いますと、歴史上のイエスキリストと同じように
十字架にかけられた主人公の埋葬された墓が、聖書にあるのと同じように
空になっているのが発見された…といった場面です。

小説のこの場面は、本当のイエスキリストではない普通の主人公は
奇跡を起こす力はなく、作中でもほとんど描写のないあからさまな奇跡現象が
主人公が本物と同じくあろうと十字架にかかって埋葬された時に、
初めて正真正銘の神の力としてそこに現れた…といった心境で書いたものでした。

比較的長い作中で、ほとんど唯一といっていい神の力が現れる場面を書いた丁度翌日に、
神の意思の現れを思わせる受難週中のノートルダム大聖堂の火災が発生する…

これらが心の中で符合した時に、自分はもうパニックに陥りました。
これは実際に存在するとは思ってなかった神の意思の表れだ、
しかも自分の書いてる小説に対する怒りだ、キリスト教と歴史をお前はこのように冒涜したぞ…
という神からのメッセージだ、と。

さらに心理的にショッキングな事に、自分はキリスト教徒ではないので
その時は知らなかったのですが、ノートルダム大聖堂の火災は
キリスト教で非常に重要なイエスキリストが受けた苦しみを祈念する受難週での出来事です。

本来そういったキリスト教の神聖な記念日や期間に、
キリスト教のタブーに抵触しているようなラノベを書いてネットにアップするのは
失礼な気がして自分は避けるようにしていたんです。知っていたらもちろん避けました。

それが自分はキリスト教徒ではないがゆえに、しかも小説上で書いている場面も
そう意識したわけでもなく、狙ったわけでも何でもないのに何と
受難週中に受難の場面をラノベとして書いて知らずにアップしてしまっていました。


これら全てが符合し、もう、自分の中で確定です。
聖書にある全知全能のキリスト教の神は現実に存在し、そして自分の行いを見ていて、
その失礼さにノートルダム大聖堂を大炎上させるような方法で怒りを表し
自分と全世界中にそれを知らしめたんだと。
同時進行で読んで下さっていた読者の中にも、直感的にそう思った方も
いらっしゃったんじゃないでしょうか。


・心理的な逃げ場が全くなし

その時自分の心境的には必死に、いやこれは偶然だ、と
そうやって逃がれようとしました。

しかし偶然にしてはあまりに自分の心情を見すかすような形で起こった出来事ですから
意思の存在を感じざるを得ないですし、それでも偶然だと頑張っても前の方で説明しましたが、
偶然が重なって神が存在するかのように見える出来事は起こる
=そこに意思のあるなし関係なく奇跡と呼ばれる現象は存在する
=その奇跡と呼ばれる現象が紛れもなく今自分に起こっているんだ、と
どう考えてもこれは今奇跡が起こり自分はそれを実感しているという以外に考えようがなくて。

さらにこれが個人的に空に怒れる神の姿が浮かぶのが見えた、といったような出来事なら
気のせいで片付けてしまえるのですがあのノートルダム大聖堂が炎上して
世界中で騒ぎになってますから気のせいで片付けるわけにも行きません。

そして、それであっても、あのラノベを人目にさらさず
個人で書いているだけだったらやっべ、俺知らね、黙っておこうで逃げれたのですが
神が怒っても当然のような内容のラノベをさらにネットに晒して書いてましたから
同時に読んでた人も絶対関連を感じるだろ、世間にバレてる、もう隠しようがない、と
完全に心の逃げ場がどこにもない状態でノートルダム大聖堂が炎上している光景を
自分に対する神の怒りの表れとして見つめ続ける事になりました。

その時の心境を例えで表しますと、
神話に出てくるベヒーモスを、洒落っ気を出して頭に花を乗せ、山もひと跨ぎにしそうな
巨大な象の姿として絵に描いて、ネットのお絵描き掲示板にアップしたとします。

そして次の日、玄関から外に出たらはるかな山の向こうに本当にそれが出現していて、
世界中が大騒ぎになっていた、といった感じになります。

象だ、巨大な象だと周りが大騒ぎしていてこれは幻ではありませんし、
自分の描いた絵とソックリで関連も明らかですし、
しかも誰が見ても同じものと思う絵をネットに上げているので
ほっかむりして逃げるわけにも行きません。

しかもそれは、はるか向こうの高みから怒りに満ちたような目で
明らかに自分の方をじいーっと見つめてくるんです。頭に花を乗せた巨大なベヒーモスが。
自分がどんなに恐ろしかったか、少しは理解して頂けたでしょうか。


そして、自分は冗談抜きで死ぬんだと思いました。
仮に存在したとしても、はるか高みにいて人の世界に干渉する事はないだろ…と考えていた
全知全能の神は本当に存在していて、しかもそれを怒らせてしまったんですから。

きっとこれから、自分の身の周りにまるでホラー映画のオーメンのような
不気味な現象が次々と起こり、最後は不可解な謎の死を遂げるんだ、とか、
ある日目の前に黒い高級外車が止まって、中からバチカンのニュースで見るような
白い服装の人が降りてきて、にこやかに「少し、お話をよろしいですか」とか
明らかにタダの話じゃ済まないような雰囲気で目の前に現れたりですとか、
そういった事が現実に起こるんだ、と戦慄が走りました。

目の前のパソコンの画面ではノートルダム大聖堂が煙をあげ燃え上がり、
まるでハルマゲドンのような光景が広がっています。
自分の心もハルマゲドンです。

そしてパリの市民の方々が燃え上がる大聖堂を見て悲嘆に暮れ、涙し、
悲哀を帯びた聖歌を歌っています。
自分が神を怒らせたせいでノートルダム大聖堂の炎上が起こったと思うと、
本当に申し訳ない気持ちで一杯になりました。

そして自分は、それら全てから目を逸らして心にフタをしようと決め、
ベッドに横になり布団を頭から被りました。
しかし、それから今度はまた違った現象が始まりました。
起こった現象から、自分の意識を逸らさせまいとするかのように…。

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