第1話 ミッションクリア

文字数 1,069文字

 真っ黒な人影が呻き声をあげている。
 ぼくらは薄暗いベッドの下にいた。体の線にそって流れる赤色が、床に染みをつける。影はずるずると身を引きずって、左から右へ通り過ぎていった。
「いつも通りに」
 と囁く声。ぼくのすぐ隣に〈かくれ〉ているアイザワ君からの通信だ。小さく抑えられた声が、緊張感を高めていく。
 いち、に、と数えて、さんで飛び出した。
 人影はすばやく振り返り、ニュルニュルと体から触手を生やした。先端がぎらりと鋭くとがる。その切っ先でアイザワ君の皮膚や筋肉、骨をえぐり取り、そのまま貫いた。彼の体は宙に浮き、内臓を吸い出すみたいに触手が波立つ。「急いで!」と彼は言った。
 ぼくは化け物の脇を走り抜けた。
 手近なガス設備に〈細工〉を始める。画面にゲージが表示され、進行状況を可視化した。すぐにその場を離れ、ぼくはコントローラ―を放り出す。
「はやく。はやく。はやく」
 数秒して、巨大な爆発音が響いた。アイザワ君もろとも、人影を吹っ飛ばしたのだ――だが心配ご無用。ここではフレンドリーファイアはない——怯んだ敵が触手をひっこめたところで、アイザワ君がすかさず銃を構え、頭に狙いを定めた。そして、〈撃つ〉
 弾丸が飛び出し、徐々に速度を上げ、遂には人影の脳天をずどんと直撃した。ギィイイと金属をひっかくような叫び声があがる。そして風船みたいにぱちんと割れて、大量の血液が辺り一帯にばらまかれた。
 【ミッションクリア】
 その文字列に、ぼくらはわっと声をあげた。タイマーストップ! 画面右下に表示された六分十秒という記録は、このゲームにおける世界新。タイムアタックの歴史に永遠に刻まれることだろう。
 この六分間を手に入れるために、ぼくらは気の遠くなるような時間をかけた。急がば回れ。短気は損気。急いては事を仕損じる。
 もしアイザワ君が本当に隣にいてくれたら抱き合って喜んだだろう。だが残念ながら、ぼくらはネット上で繋がっているに過ぎない。だから明日大学で出会ったら、あらためて喜ぶことにしよう。……
 ぼくらが発見したグリッチは、〈壁抜け〉だった。プレイエリア外に飛び出し、ラストステージへ歩いて向かう。度重なる実験の日々がこの技術に結実したときの喜びは忘れられない。
 世界記録保持者のぼくらは、それから数か月、自らの記録をもちろん破ろうとした。だがそれは高い壁だった。あきらめて、遂にはゲームをやめようとしていたとき、アイザワ君は言った。
「最後に試したいことがある」――だがその前に、彼との出会いについて振り返っておくのが適切な順序であろうと思う。
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