第20話 すべてお見通し

文字数 1,859文字

 彼女はぼくを研究室に迎えてくれた。
 研究室に入るのなんて初めてだった。パソコンとか、なにかの機材とか、ちょっとしたキッチンとか、映写機、本棚。いろいろある。
 彼女はぼくにティッシュ箱を持ってきてくれた。理科室で見たことのある水道付きの大きい机があって、ぼくはそこに座る。対面には、物理学科一番の才女が座った。二人っきりだ。とてつもない緊張と、喜びを感じる。
「それで、私に用事があるの?」
「あ、はい。その、ゲームをしていまして」
「ゲーム?」彼女がかわいく首をかしげる。
「あの、要約しますと、ゲームでですね」
「要約するって言う奴、たいてい話が長いんだよね。本当に要約できる?」
「では、順序だてて説明させていただきます。本日はノノハラさんの貴重なお時間をいただけてとても感謝しています。ぼくは以前からノノハラさんのことを尊敬しておりまして」
「うるせえし、なげえなあ……」
「本題から言います」
「前置きがうるせえなあ」
「なぜサクラさんは飛び降りたのですか?」
 ノノハラさんが、ぴたりと動きを止める。それから、怖い顔をした。うんと低い声で、ぼくに言う。「どこで嗅ぎつけてきた?」
「へ、へえ……?」変な声が出た。「はい、あの、嗅ぎつけさせていただいたきっかけは、アイザワ君です。実はゲーム内でですね——」
「はぁ、アイザワね。まだ生きてたんだ」
 ノノハラさんは納得したようだった。ゲーム中の雑談のなかで知ったと思われたかもしれない。
「それならそいつに聞けばいいじゃない」
「アイザワ君に質問すればわかるのですか」
「だってあいつのせいだからね」
 ぼくはびっくりした。
「なぜですか。あの場にはアイザワ君はいなかったはずです。広場にはノノハラさんとサクラさんだけがいました。二人とも、なんだか落ち込んだ様子でおりました。それで……」
「君はまるで見てきたように話すね」
 ノノハラさんは面白そうにほほえんだ。ぼくはその笑顔をきれいだと思った。「ふむ」とノノハラさんは考えるように自分の頬を親指でさする。
 だがぼくが「はい、見てきました」と言った途端、一瞬目を丸くして、それから不愉快そうに眉をひそめた。しかし、ぼくは努めてまじめな顔をしている。
「あんた、イカれてんの?」
 彼女が不気味がって立ち上がったとき、机のかげに隠れていた防犯スプレーがちらりと顔を出した。内心、かなり慌てた。
「実際に体験していただきたいんです」
 ぼくは持って来た鞄を指差す。中にはノートパソコンと、ヘッドマウントディスプレイ、が入っている。つまりVRゲーム用のゴーグルである。それから両手に持つコントローラーが二つ。
 スプレーの噴出口に怯えながら、研究室のコンセントを借りて、機器を接続していく。ネット環境はもちろん大学のものだ。
 ぼくはノノハラさんをあの世界に案内した。
 きちんと動作するかは不安だったが、障害はなかった。ゲーム画面はノートパソコンからも確認できるようにしてある。ノノハラさんは最初訝しげ、というより、いらいらしていたが、〈壁抜け〉をしたところで様子が変わってきた。
 ノノハラさんはぼくに代わって夢中でやり始める。あっという間に操作に慣れて、町中を歩き回った。ぼくは銃の扱いによく注意をした。今回は一人プレイなので、ぼくは銃を所持している。
 銃についての説明は自然にこれまでの経緯に繋がる。ノノハラさんは相槌も打たなかったが、最後にはこう言ってくれた。その声は明るく、しかし重い。そこには一種のあきらめがあった。
「よろしい。君の話を信じましょう」
 だがぼくはそれがどういう一種なのかを、ちっとも理解してはいなかった――実のところ、ノノハラさんはもう自分に残された時間が少ないことに気が付いていたのだと思う。
「君は原因を知って、どうしたいの?」
 その問いかけは、なんとなくぼくを戸惑わせた。事実を知ることばかりに気が急いていた。だが理由ははっきりしている——もうそれで、犠牲が出ないから。
 正直に告白しよう。
 ぼくはもう、サクラさんをあきらめている。ただ、アイザワ君を説得したい。この試みを、もうやめさせたいだけなのだ。
「でもそれを、君の意思として、彼に告げられない。だから一人でここに来ることにしたのだね」
 ノノハラさんはゴーグルをちょっと上げて、にやりと笑った。まるでぼくの全生涯を射抜かれてしまったように、ぼくは動けなくなった。畏敬、という言葉の意味をはじめて実感した。ぼくは今後どれだけ勉強しても、彼女に追いつくことは決してできないとさえ思った。
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