第28話 突き放す

文字数 2,044文字

 そこに広がっていたのは、どこまでも空虚な空間。空と同じ色をしている。アイザワ君はなんにも言わず、ありもしない底を見つめ続けている。
「地面の下にあるもうひとつの地面は、人の高さほどしかない。だから落ちることはないだろうな」と言う 彼の声に、自信はない。
「仮説ではね。それを実証しよう」
「どこまでも落ちたらどうなる」
「おかしなことを言うね。このゲームには落下ダメージはないし、無理そうならリセットすればいいじゃないか。飛ぼう」
「まるで、自殺みたいだ」
 アイザワ君は気が進まないらしい。「サクラさんは飛び降りたよ」と言いそうになる。
 ぼくらは同時に、世界の外に足を踏み入れた。すると一体どうなったか、一瞬画面がぎゅわんと縮むように暗くなった。暗闇。どこまでも暗闇。
 そして気づく。ぼくらは山にいる。溢れ出す水の上に、ぼくは立っている。「成功だ」と同時に声をあげた。見たことがない場所だったが、少し川を下ってみると、例の広場に出た。サクラさんはいない。間に合ったのか、まだ状況はわからない。
 しかしすぐにがさがさと音がした。
 生い茂る植物のあいだから、アイザワ君とサクラさんが現れた。二人は手を繋いでまるで厳かな儀式でもするみたいに、こっちに歩いてくる。
 サクラさんは怯えていた。
「ここはおれたちが友達になった大切な場所だ。そうだよな」
「うん、そうだよ。アイザワ君……」
 二人は向かい合い、見つめ合った。ぼくの真横にいるアイザワ君は、呆然として、ただその様子を見つめている。
 これはアイザワ君にとって、初めて見る光景のはずだ。しかし幼いアイザワ君は今まさにその体験をしている。不思議なことだ。誰かを〈撃つ〉ことで何もかもが変わってしまうなら、アイザワ君はこの記憶を持っているのではないか。それとも、改変に関わった人間だから、その影響を受けないのか。ぼくがノノハラさんのことを覚えているように。
 彼がいま、どんな表情をしているのかぼくにはわからない。たとえ横を見たって、彼の操作するキャラが見えるに過ぎない。ぼくは彼のことを、何も知らない。
「どうして、最近無理ばかりしてるんだ?」
「無理って、なにが……」
「ノノハラと話してたじゃないか。本当はそんなことしたくないんだろ。それに、前にも話したじゃないか。友達っていうのは、無理をしてつくるものではないって。自然にできるものなんだって」
「無理をしてるわけじゃないよ」
「うそつけ。苦しそうな顔をしているくせに。おれが言ったことを、おまえは前に分かったって言ったはずだ。それなのにおまえは友達をつくろうとして無理ばかりしている。おれはおまえが無理をしているのを見るのがつらいんだ。つらいめにあうのがつらいんだ」
「でも、わたしは!」
 女の子は圧力を高めるように、むっと口を固くむすんでから、叫んだ。
「わたしは友達が欲しいの!」
 だがその叫びは彼に届くことはない。まったく間を置かず、彼は「裏切り者!」と怒鳴り、彼女の頬を強く打った。サクラさんは呆然として、それから腰を抜かして座り込む。体が震えている。恐怖が色濃くなっていく。
「おまえはおれのことが嫌になったんだろ。だからそういうことを言うんだ。わかってるんだからな。そうやって少しずつ、おれから遠ざかっていく計画だってことは」
 彼はサクラさんに詰め寄った。彼女はすっかり怯え切って、逃げるように体をそらす。それを見て、彼は眉をさらに鋭くした。「くそ、くそ」と言いながら地団駄を踏む。サクラさんは頭を抱えて小さくなる。
「死ね。死んでしまえ。飛び降りて死ね。それがおれに対する誠意を見せることだ。友達のあかしだ。死んでしまえ!」
 彼はサクラさんの腕を掴む。
「ごめんなさい。許して。許して」
 彼は聞かない。そのまま、あの滝のほうへ引きずられていく。「飛べ!」荒々しく流れる水の中を溺れるように進み、彼はサクラさんに命令した。「罰だ」と彼は言った。「罰を受けることが大事なんだ」
 サクラさんは泣きながら、滝つぼを見下ろしている。「わかった。わかったから」今、彼を殴りつけて止めてくれる人は誰もいない。ここにはもうノノハラさんはいない。
 そのときだった。
 どちらの手が緩んだのか、サクラさんが水に押し流された。二人とも、驚いて目を丸くしていた。事故だ。少なくともこれは二人が選んだタイミングではなかった。
 必死に伸ばした手は一瞬触れ合って、しかし、繋がらない。サクラさんはふわりと浮かんで、滝つぼに叩きつけられた。
 姿が見えなくなる。それから、ぷかぁっと浮かんで来た。他のゴミと一緒に下流のほうに進み、すぐに大きな岩にぶつかって止まった。細く、血が糸のように漏れて行く。
 そして、画面が真っ青になった。
「覚えているかい」とぼくは訊いた。
「覚えているはずがないだろう」
 アイザワ君はまじめな声で言った。そしてこう続ける。「これは本来、おれが体験した出来事じゃないんだからね」
 突き放すような言い方がぼくは不満だった。
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