第30話 さいしょでさいごの殺人

文字数 2,344文字

 翌日から、ぼくたちは話さなくなった。
 講義では、一番遠い席に座ったし、目も合わせなかった。ぼくはとぼとぼと一人きりで教室棟を出て、一人きりで食堂へ歩く。途中、ノノハラさんがいたあの建物を横目に見ながら、自分は正しかったのだろうかと考えた。
 ぼくは大学生協の本屋で、ノノハラさんが書いた小説を買った。彼女は別の大学に進学している。高校生のときに文学賞をとり、いまは二作目を雑誌で連載しているところだ。受賞したときの写真を見たが、ぼくの知っているノノハラさんとはやはりどこか違っていた。彼女を二度失った気分だ。ぼくの知っているノノハラさんは、もういない。「友人として、彼のそばに」ノノハラさんの言葉が蘇る。ぼくは務めを果たせただろうか。
 どれくらい経ったか、わからない。
 時間の感覚はもはやない。最初からそうだ。ぼくはゲームばかりやってきた。今がいつか、季節はなんなのか、自分がいま何年生なのか、なにもわからない。試験を何度乗り越えたのか、ここがゲームなのか、あるいは現実なのか。ノノハラさんが死んだのが、何日前なのか。今が昼なのか、夜なのか。
 サクラさんは今日も死ぬ。
 ぼくは彼女の死を見続ける。たった一人で。
サクラさんは死ぬ。死んだらまた一時間歩いて、死ぬところを見に行く。そして、ああ、死んでいる、と思う。
 ぼくが川の中を歩いていると、黒い影が横にいた。電話がかかってくる。つなげると、アイザワ君の声がした。「君を待ってたんだ」と彼は言った。「ぼくはずっといたよ」とぼくは言った。
 二人でサクラさんが死ぬのを見た。
「おれは嘘をついた」と彼が言う。
「知ってるよ」
「いや、そうじゃない。さっきおれは君を待っていたと言ったけれど、本当は待っていなかった。いなくなるのを待っていたんだ。君がずっといるものだからね。本当は一人でやるつもりだった」
「ぼくは、いないほうがいい?」
「いや、今は居て欲しいよ」
 そして、サクラさんがまた死んだ。
 画面が真っ青になる。表示されるエラー。「不具合を送信しますか?」というメッセージ。もちろん答えはノー。送信されてたまるか。
 そしてまた二人で歩き出す。「行こうか」声が震えていた。ぼくは自分が泣いているのをようやく自覚した。ずっと泣いていたみたいだ。
 何度もサクラさんが死ぬのを見ていて、気づいたことがある。あのときだ。彼女が救いを求めて伸ばした手を、アイザワ君がつかめなかったとき――その必死に空振った手の爪が、サクラさんの指に小さく一筋の傷をつけていた。
「おれはサクラを救いたいと思っていた。でもそれも嘘なんだ。自分を救いたいだけだ。あれは自分が悪かったんじゃないって、言いたいだけだ」
 広場にたどりついた。
 少し待つと、サクラさんと幼いアイザワ君が草むらをかき分けて現れた。ぼくは、隣にいるアイザワ君が銃を構えているのを見た。狙いはまっすぐに幼い彼に向かっている。
 わかるよ。アイザワ君。
 ぼくはそれを止めることなく、じっと見ている。ぼくは彼の友人として、正しいことができているだろうか。
「本当は、最初に見た時から気づいていたんだ」と彼の声がする。「これが、すべきことだ。お別れだよ」
「また会えるよ」ぼくは知っているんだ。
 アイザワ君は〈撃った〉。
 小学生の彼の頭に風穴が空いた。
 それとまったく同時に、
 アイザワ君と、
 サクラさんが、
 人形のように崩れ落ちた。
 ぼくは叫び声をあげた。それこそ、山を震わせようってぐらい。画面が真っ青になる。エラーか? 違う。
 【ミッションクリア】。
 何もかもが変化していく。何もかもがぐちゃぐちゃに崩れて、頭の上に地面があり、下にも地面があり、その円の真ん中でぼくが浮かんでいる。世界は螺旋階段のようにねじれ、細長いチューブになった。急に感じた重力に、体がぐんぐんと引き寄せられ落ちて行く。チューブの中をずんずん落ちて行く。
壁にはぼくが貼りついていた。「また会えるよ」とぼくは言った。「お別れだよ」アイザワ君が言った。どこまでも、落ち続ける。「友人として」ああ、ノノハラさんの声がする。「そばにいて」
「ねえアナタ聞いた? 自由にさせるのはいいけど、最近物騒だから、心配よねえ……」
 おばさんたちの世間話。
 重力の向きが、変わる。
 すぐそばの家からサクラさんが出て来た。「行ってきます」と彼女は言った。ぼくは手を伸ばしたが、届かない。サクラさんは、バスに乗ってキャンプ場に向かう。アイザワ君と共に。彼女は死んだ。棺に入れられた星のペンダント。「あんたのせいよ」ノノハラさんは言った。アイザワ君の襟を掴み、壁に追い詰め、泣いた。大声で泣きじゃくった。
 どこまでも、どこまでも落ちて行く。アイザワ君が仏壇の前に座っている。向かい側には知らない女性がいる。彼は手をつき、深く長く頭を下げた。それでぱっと景色が暗くなって、それから、……
はっとした。
 汗をかいている。天井が見える。ぼくは布団のなかにいた。スマートフォンが時刻を告げる。引っ越し用の段ボールが積まれた部屋のなかに、ぼくはいた。
「どうして」
 ぼくは溢れてくる涙をおさえられなかった。
 なにか、夢を見ていた気がした。大切な夢だ。記憶が崩れて行く。きれいな女性と、いつもそばにいた友人の顔だけが最後に残った。でもだんだん、顔が消え、輪郭だけになって、性別しかわからなくなった。やがて、二人だったか、一人だったか、わからなくなった。輪郭だけが、残った。しかしそれもすぐに、消えた。でもなぜか、それでいいと思えた。
 ぼくはこれからの大学生活で、たくさんの人と会うだろう。大切な友人ができ、素敵な女性を好きになる。そうしたいと思う。ぼくがそうする。
 それが四月のことである。
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