第24話 みっつめの殺人

文字数 2,007文字

 坂道をのぼると、やがてあの広場が見えてきた。
「ここへ遊びに来ることは、アイザワも知っていたんだ。もともと彼と二人で約束をしていたところ、私が割り込んだのだからね」
「でも、今はいません。帰ったんですか」
「私がぶん殴ったから、逃げたの」
「殴ったって、なぜ?」
「ウザかったから」
「え……」
「裏切り者」とノノハラさんが静かにそう呟いた後、いきなり怒鳴りだした。「薄情者。不誠実。お前は本当の友達じゃない。罰を受けろ。報いだ。あそこから今すぐに飛び降りろ。死ね!」
 ぼくは自分でも驚くぐらい、きょとんとした。想定外のことが起きると、人はこうなるらしいと身をもって知ることができた。きょとん、という言葉はまさにぴったりの響きだ。
「だから殴ったの」
 サクラさんは、幼いノノハラさんに肩をさすられながらぼろぼろと泣き続けている。ノノハラさんは深く、長いため息をついた。
「馬鹿な話だよ。一番大切な友達に、死ねだなんてさ……」
「サクラさんはそれで、飛び降りた?」
「死ぬつもりなんかなかったのさ。もちろん、殺すつもりもね。でも死んだし、結果として死に追いやった。もっと殴ればよかったね」
 サクラさんは、自分を慰める友人の手を振りほどいて死に場所へ駆けて行く。シナリオ通りだ。そしてあとには、幼いノノハラさんが残された。「もし次の機会があれば、ペンダントは砕いて中庭に埋めるよ。本当は、あの日、昇降口で迷ったんだ」幼い彼女は、ぼとぼとと涙をこぼしていた。「変よね。葬儀のときには涙も出なかったのに」とノノハラさんが言う。
「行かなくちゃ……」
 ノノハラさんが、サクラさんを追いかけようとして動き出す。そのときちょうど、プレイ画面の右下に着信が入った。
 アイザワ君だ。ノノハラさんがぼくの肩に手をやる。任せた、という意味だ。それから通話をはじめた。ぼくはノノハラさんのゴーグルに耳を近づけた。
「簡単なことだったんだ」
 とアイザワ君は言った。
ぼくはかすかに音を感じた。銃を構える時に必ず鳴るシステム音。がしゃりという、重い音。「まさか」と思った。
 ノノハラさんは音に気づけない。彼女はこのゲームの経験が少なすぎる。銃を構えるわずかな音は、たいてい環境音にかき消されてしまう。
「そこにいるの。アイザワ君」
 ぼくはノノハラさんの頭を手で挟み、音の方向に誘導する。
 そこには、真っ黒な人影があった。輪郭はノイズが走って細かく震えている。時折その隙間を縫って、細く黒い煙を噴いた。
「なんなのこいつ!」
 ノノハラさんが銃を構える。「待ってください。彼は……」という途中で、彼女は銃を乱射した。
 初心者の狙いでは、的に当てることも難しい。それに、当たっても効果はない。銃弾はすべて黒い影を通り過ぎていく。「なぜ」ノノハラさんの手が震えている。ぼくは説明した。「このゲームでは、プレイヤーキャラクターを〈撃つ〉ことはできません」
「誰かと一緒にいるみたいだな」
 アイザワ君はそう訊きながらも、興味はぼくにはなかった。黒い触手のようなものが、幼いノノハラさんに伸びている。うまく表示されていないが、あれは銃だ。「化け物」とノノハラさんが言った。
「アイザワ君、ぼくはいまノノハラさんと一緒にいるんだ。彼女から話を聞いた。彼女は犯人ではない。早まったことはしないでほしい」
「容疑者二人のうち、一人が死んだ――」
 と彼が呟く。ぼくはすぐに反対した。
「違う! 犯人はいないんだ!」
 次に彼がなんと言うか、わかっていた。
「――残りの一人が、犯人だ」
 ノノハラさんは「ちくしょう」と言って、ゴーグルをはずした。そして通話を切る。彼女は机を飛び越えて、ぼくの両肩を掴んだ。「何をすればいいか、あんたにわかるか?」
 ぼくの体はぶるぶると震えている。わかるわけがない。わかるわけがない。ぼくはノノハラさんの目を見ながら、気づいた。

 わかってるよ。本当は。
 もしサクラさんを救うことを望むなら、
 アイザワ君を殺すしかない。

「アイザワは、歪んだ関係のつくり方しか知らないんだ。相手が変わってしまうことが恐ろしくて、お手製の籠のなかに閉じ込めようとする。そういう風な関係のつくり方しか知らないんだよ」
「どうすればいいんですか。ぼくはどうすれば……」
「もし、私が消えても、まだサクラさんが助からないなら」とノノハラさんは声を振り絞る。その言葉は、ぼくにとって意外だった。「友人として、彼のそばに」
 そして、ノノハラさんは動かなくなった。人形みたいに力なく崩れ落ちて、そしてパッと姿が消える。
マグカップも消える。台所のコーヒーが消える。実験機材も配置が変わる。何から何までが、一瞬のうちに変化していく。ぼくはその変化のなかにいながら、何も変わらずにいた。これは、そう、ぐるぐると目を回しているのに似ている。すべての景色が溶け合って、横向きにいくつもの筋が見える。ぼくはその円の中心にいる。
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