第26話 消滅の秘密
文字数 1,608文字
ぼくの正体を知っても、彼女はぼくから離れなかった。帰るまで居続けるつもりかもしれない。「そろそろ暗くなってきましたね」という女性の言葉は、早く帰れという意味だ。それぐらい、ぼくにもわかる。
「昔はあそこに扉があったんです。すぐそばが昇降口で」とぼく。
「私は今年に赴任してきたので」
女性は困ったように笑う。ぼくはなんだか申し訳ない気持ちになってきた。ここで粘っても、意味はない。「それじゃあぼくはそろそろ」と言って、グラウンドに戻った。女性はぱたぱたと足音をたてて、校舎に戻っていく。
意味がないといえば、この小学校を訪ねること自体、意味がないことだ。ぼくは校門に停めてある自転車にまたがった。帰ろうと思ったが、まだ気が晴れない。ぼくはもう一度、猫のおじいさんを訪ねてみることにした。
商店街のトンネルをくぐり、道を折れる。次第に人気が少なくなってきて、あの建物が見えてきた。空っぽのショーウィンドウ。やはりおじいさんも、猫もいない。自転車を停めて、ぼんやりと見つめる。
おじいさんは奥さんを亡くしてから、ずっとここに座っていた。無気力で、虚ろな瞳を思い出す。その姿が今の自分と重なった。
だが、同時に、こうも思った。
おじいさんとノノハラさんは違う。
ぼくはノノハラさんの痕跡をひとつも見つけることができないのに、おじいさんにはなぜかお店が残っている。
だがそれは変ではないか。
もし銃で殺されると、
存在そのものが消滅するなら、
建物が残っているのは不自然ではないか?
目がちかちかした。まさか。いや、しかし。
確信はできない。奥さんが一人で経営していたこともありうる。二人で経営していたとはいえ、別の旦那さんがいれば代役は可能だ。
代役? 代役だって? ありえない。
ぼくは自転車にまたがった。大急ぎで小学校に引き返していく。
グラウンドにいた人たちは、もう帰り支度を始めていた。ぼくは自転車を放り出して、中庭に走っていく。ノノハラさんが教えてくれた、昇降口そばに繋がるあの扉を目指した。だがもちろん、もう扉はない。校舎は建て直された。
今こそ、ノノハラさんに言って欲しい。
『あんた、イカれてんの?』と。
自分でもどうかしていると思う。ぼくはすっかり変わり果ててしまった庭の土を手で掘り始めていた。
扉のあった場所の、すぐ近くの土。
上靴のままで立ち入れるところ。
手あたり次第。
小学一年生の女の子が掘れる、浅い穴。ノノハラさん。ノノハラさん。ぼくには彼女の声が聞こえる。『もし次の機会があれば——』
ぼくは探している。ノノハラさんの姿を、ぼくは探している。彼女がサクラさんに渡さないことにするであろう、星のペンダントを探している……。地面に急に雨粒が落ちる。いや、ぼくが泣いていた。
「何をしてる?」
声が聞こえた。ぼくははっとして顔をあげた。薄く白髪の生えたおじいさんだった。
ぼくは彼を無視して掘り続けた。
「あんたか、さっき学校に来てたっていう不審者は。おれの仕事には関係ねえけどよお、いちおう見回り任されてんだ。通報するぞ?」
「ぼくは、この学校の卒業生です」
「んじゃ、今は部外者ってことだ」男はふんとため息をついた。「しかしこんな変なやつを見るのは初めてだよ。なんで掘ってる?」
「ノノハラさんがいるから」
「死体でも埋まってんのけ」
ぼくは男を睨みつける。彼はやさしい声で言った。
「もう帰んな。世間で色々事件があって、この頃は小学校も敏感なんだわ。警察沙汰ってこともあるで。人生棒に振ったらあかん」
ぼくはそれでも掘っていた。しかしだんだん怖くなってきた。ゆっくり動作が遅くなり、とうとう止まり、立ち上がる。男は満足そうに頷いた。
「どんなネタ掴んで来たか知らんけども、行き過ぎはあかんわな」
「ネタ?」
「ノノハラって言うたら、あんた、あの子のファンの人と違うのか。ほら、作家の……この小学校の卒業生で……」
「昔はあそこに扉があったんです。すぐそばが昇降口で」とぼく。
「私は今年に赴任してきたので」
女性は困ったように笑う。ぼくはなんだか申し訳ない気持ちになってきた。ここで粘っても、意味はない。「それじゃあぼくはそろそろ」と言って、グラウンドに戻った。女性はぱたぱたと足音をたてて、校舎に戻っていく。
意味がないといえば、この小学校を訪ねること自体、意味がないことだ。ぼくは校門に停めてある自転車にまたがった。帰ろうと思ったが、まだ気が晴れない。ぼくはもう一度、猫のおじいさんを訪ねてみることにした。
商店街のトンネルをくぐり、道を折れる。次第に人気が少なくなってきて、あの建物が見えてきた。空っぽのショーウィンドウ。やはりおじいさんも、猫もいない。自転車を停めて、ぼんやりと見つめる。
おじいさんは奥さんを亡くしてから、ずっとここに座っていた。無気力で、虚ろな瞳を思い出す。その姿が今の自分と重なった。
だが、同時に、こうも思った。
おじいさんとノノハラさんは違う。
ぼくはノノハラさんの痕跡をひとつも見つけることができないのに、おじいさんにはなぜかお店が残っている。
だがそれは変ではないか。
もし銃で殺されると、
存在そのものが消滅するなら、
建物が残っているのは不自然ではないか?
目がちかちかした。まさか。いや、しかし。
確信はできない。奥さんが一人で経営していたこともありうる。二人で経営していたとはいえ、別の旦那さんがいれば代役は可能だ。
代役? 代役だって? ありえない。
ぼくは自転車にまたがった。大急ぎで小学校に引き返していく。
グラウンドにいた人たちは、もう帰り支度を始めていた。ぼくは自転車を放り出して、中庭に走っていく。ノノハラさんが教えてくれた、昇降口そばに繋がるあの扉を目指した。だがもちろん、もう扉はない。校舎は建て直された。
今こそ、ノノハラさんに言って欲しい。
『あんた、イカれてんの?』と。
自分でもどうかしていると思う。ぼくはすっかり変わり果ててしまった庭の土を手で掘り始めていた。
扉のあった場所の、すぐ近くの土。
上靴のままで立ち入れるところ。
手あたり次第。
小学一年生の女の子が掘れる、浅い穴。ノノハラさん。ノノハラさん。ぼくには彼女の声が聞こえる。『もし次の機会があれば——』
ぼくは探している。ノノハラさんの姿を、ぼくは探している。彼女がサクラさんに渡さないことにするであろう、星のペンダントを探している……。地面に急に雨粒が落ちる。いや、ぼくが泣いていた。
「何をしてる?」
声が聞こえた。ぼくははっとして顔をあげた。薄く白髪の生えたおじいさんだった。
ぼくは彼を無視して掘り続けた。
「あんたか、さっき学校に来てたっていう不審者は。おれの仕事には関係ねえけどよお、いちおう見回り任されてんだ。通報するぞ?」
「ぼくは、この学校の卒業生です」
「んじゃ、今は部外者ってことだ」男はふんとため息をついた。「しかしこんな変なやつを見るのは初めてだよ。なんで掘ってる?」
「ノノハラさんがいるから」
「死体でも埋まってんのけ」
ぼくは男を睨みつける。彼はやさしい声で言った。
「もう帰んな。世間で色々事件があって、この頃は小学校も敏感なんだわ。警察沙汰ってこともあるで。人生棒に振ったらあかん」
ぼくはそれでも掘っていた。しかしだんだん怖くなってきた。ゆっくり動作が遅くなり、とうとう止まり、立ち上がる。男は満足そうに頷いた。
「どんなネタ掴んで来たか知らんけども、行き過ぎはあかんわな」
「ネタ?」
「ノノハラって言うたら、あんた、あの子のファンの人と違うのか。ほら、作家の……この小学校の卒業生で……」