第14話 物理学科のノノハラさん

文字数 1,084文字

 ぼくらはお母さんに調査を委託した。たいへん助かる。このところゲームばかりで、授業が頭に入らなかった。そろそろ勉強に専念しなければならない。つい忘れそうになるがぼくらは大学生なのだ。
 講義のあとは食堂へ行って黙々と本をにらみ、たまに休憩がてら散歩に出かけた。そうやって一日を過ごす。時折、なんだか不安になって夜にゲームをすることがあったけれど、なにせ片道四時間もかかるのでキャンプ場に行くことはなかった。別になんの目的もなしに、商店街をぶらぶらと歩くぐらいだ。ただし、そこそこで切り上げた。実際は夜なのに、あの世界では燦燦と太陽が照っているので、あんまりやると眠れなくなってしまう。
「アイザワ君はサクラさんが好きだったの?」
 キャンパスを散歩しているとき、ぼくは質問した。彼はこう答えた。
「言っただろ。おれには好きとかそういうことはわからないって。それにあまりサクラのことは覚えていないんだ」
 アイザワ君は自分のことと同じぐらい、サクラさんについて話したがらない。ぼくはそれ以上、追及できなかった。彼の目が虚ろになっている。何も受け入れない目――つまらなそうな顔。
 ぼくは話を逸らすことにした。だがいちおう、念のため、これは聞いておこう。
「サクラさんって可愛い?」
「だから、覚えていないよ」アイザワ君は困った顔をした。「君は本当に女が好きだね」
 ぼくらはメインストリートを歩くうち、物理学の研究棟の前を通った。ノノハラさんがいるところだ。
 ノノハラさんはぼくの尊敬する女性である。この灰色の建物のなかで、彼女は今日も宇宙物理学の研究をしているだろう。ぼくはこの施設の横を通るたびに、ちらっと目を向けてしまう。彼女がいるかもしれない。ぼくはいまだに彼女を写真でしか見たことがなかった。
「アイザワ君はノノハラさんをどう思う?」
「また女の話?」彼は呆れた。
「ノノハラさんを尊敬しないかい」
「知らない人だ」
「でもすごいとは思うよね」
「すごいさ。でも尊敬とは関係ない」
 アイザワ君は非常に淡白に言って、それから笑った。
「おれはね、誰かを尊敬するという気持ちがわからないんだ。尊敬と崇拝はどう違うんだい。悪いところを批判するのが、先ではないのかな」
 ぼくはそれを聞いて、少し寂しく思った。
 尊敬と崇拝はたしかに異なる。だが、尊敬するために相手が完全無欠である必要もない。彼の言うことはもっともらしいけれども、ぼくには粗探ししているようにしか見えなかった。でもさすがに、こんなことは彼にも言えない。心のなかで思っただけだ――でもほんの少しだけ、アイザワ君と一緒にいるのが怖くなった。
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