第3話 壁を抜けた先に
文字数 1,221文字
〈壁抜け〉のやり方はシンプルだ。
まず物陰に〈かくれる〉。敵はぼくらを見つけると、外に引きずり出す。この瞬間がキモだ。適切なタイミングで、抜けたい方向に視線を振る。すると何が起こったか、その視線方向に引っ張り出されるのである。
この適切なタイミングというのが難しい。気の遠くなるような練習が必要だ。ぼくらは気が遠くなったので、今は確実に〈壁抜け〉を成功させることができる。
だが反省しなければならない。
ぼくらはあまりにも得意になっていた。だから敵が出てくるとすぐに〈壁抜け〉をしてしまう。つまり、敵が出てくる前のエリアには一度も目が向かなかったのである。
それがアイザワ君の提案する最後の実験だった。ぼくらは敵をゲーム開始地点までおびきよせた。それから廃車の下に〈かくれ〉た。身を屈めた敵と目が合う。
「釣れた!」
とぼくは言った。すかさず、目線を反対に向ける。体がぐっと引き寄せられた。そしてそのまま、ぽんっと外に放り出された。
放り出される?
放り出されるだって?
ぼくははっとした。地面がない。ゲーム世界が上にズレていく。つまりどんどんぼくが落ちている。「落ちてる落ちてる!」ぼくがここまで狼狽するのは、あまりにもVR映像が精巧だからである。本当に落ちている気がして、ぼくは自室の椅子の上でどたどたと暴れた。
「落ち着いて。これはゲームなんだから」
ああ、なんて没入感だろう!
ぼくは、ようやく気づいた。風も加速度も感じない。そう、これはゲームなのだ。実際のぼくは頭にゴーグルをはめ、ボクシング選手みたいにコントローラーを握っている。しかしそれを理解しても視覚情報から脳が作り出した偽りの浮遊感は、まだぼくの心臓を慌てさせている。
急に視界がまっくらになった。「うわっ」と思わず悲鳴をあげる。だが、すぐに周りが明るくなった。目の前に、白いもやが見える。眼下には、……町だ。ぼくはどこかの町の、空にいた。家がある。道路がある。車が走っている。電信柱がある。木が生えている。人がいる。
「大丈夫か。なにがあったんだ。君の姿がおれから見えなくなってしまったよ」
「アイザワくん、わからないけどぼくはどこかの町に出たんだ。こんなの見たことない」
足からゆっくり着地する。当たり前だが痛みはない。ぼくは誰かの家の前にいた。おばさんたちが、ぼくのそばで雑談している。
試みに、ゴーグルを外してみた。ぼくはたしかに自分の部屋にいた。また着ける。今度は町にいる。どちらも現実にしか見えない。
そばのゴミ捨て場に近づくとハエが飛んでいたり、カラスがいたりする。目の前の家の表札にはしっかり名字が書いてあるし、そばにいるおばさんたちの会話はゲームらしくなく、いかにも自由で多様だ。
おばさんの一人が言う。
「ねえアナタ聞いた? 自由にさせるのはいいけど、最近物騒だから、心配よねえ……」
まるでおばさんたちが本当に生きていて、そこで会話を楽しんでいるみたいだった。
まず物陰に〈かくれる〉。敵はぼくらを見つけると、外に引きずり出す。この瞬間がキモだ。適切なタイミングで、抜けたい方向に視線を振る。すると何が起こったか、その視線方向に引っ張り出されるのである。
この適切なタイミングというのが難しい。気の遠くなるような練習が必要だ。ぼくらは気が遠くなったので、今は確実に〈壁抜け〉を成功させることができる。
だが反省しなければならない。
ぼくらはあまりにも得意になっていた。だから敵が出てくるとすぐに〈壁抜け〉をしてしまう。つまり、敵が出てくる前のエリアには一度も目が向かなかったのである。
それがアイザワ君の提案する最後の実験だった。ぼくらは敵をゲーム開始地点までおびきよせた。それから廃車の下に〈かくれ〉た。身を屈めた敵と目が合う。
「釣れた!」
とぼくは言った。すかさず、目線を反対に向ける。体がぐっと引き寄せられた。そしてそのまま、ぽんっと外に放り出された。
放り出される?
放り出されるだって?
ぼくははっとした。地面がない。ゲーム世界が上にズレていく。つまりどんどんぼくが落ちている。「落ちてる落ちてる!」ぼくがここまで狼狽するのは、あまりにもVR映像が精巧だからである。本当に落ちている気がして、ぼくは自室の椅子の上でどたどたと暴れた。
「落ち着いて。これはゲームなんだから」
ああ、なんて没入感だろう!
ぼくは、ようやく気づいた。風も加速度も感じない。そう、これはゲームなのだ。実際のぼくは頭にゴーグルをはめ、ボクシング選手みたいにコントローラーを握っている。しかしそれを理解しても視覚情報から脳が作り出した偽りの浮遊感は、まだぼくの心臓を慌てさせている。
急に視界がまっくらになった。「うわっ」と思わず悲鳴をあげる。だが、すぐに周りが明るくなった。目の前に、白いもやが見える。眼下には、……町だ。ぼくはどこかの町の、空にいた。家がある。道路がある。車が走っている。電信柱がある。木が生えている。人がいる。
「大丈夫か。なにがあったんだ。君の姿がおれから見えなくなってしまったよ」
「アイザワくん、わからないけどぼくはどこかの町に出たんだ。こんなの見たことない」
足からゆっくり着地する。当たり前だが痛みはない。ぼくは誰かの家の前にいた。おばさんたちが、ぼくのそばで雑談している。
試みに、ゴーグルを外してみた。ぼくはたしかに自分の部屋にいた。また着ける。今度は町にいる。どちらも現実にしか見えない。
そばのゴミ捨て場に近づくとハエが飛んでいたり、カラスがいたりする。目の前の家の表札にはしっかり名字が書いてあるし、そばにいるおばさんたちの会話はゲームらしくなく、いかにも自由で多様だ。
おばさんの一人が言う。
「ねえアナタ聞いた? 自由にさせるのはいいけど、最近物騒だから、心配よねえ……」
まるでおばさんたちが本当に生きていて、そこで会話を楽しんでいるみたいだった。