第6話 ひとつの不自由

文字数 1,269文字

 アイザワ君は言った。
「そうは言い切れないね。過去であることはほぼ間違いないが、どの時点かまでははっきりしていない」
 つまり彼は気が進まないらしかった。だがぼくはとても興味があった。この話を続けるべきか迷ったが、ぼくの好奇心は強かった。
「それを確かめるためにも、行ってみようよ」
「君は簡単に言うけどね」
 と、アイザワ君はため息をつく。
「過去の自分なんて、不気味だよ」
「まあでも、いないかもしれないし」
「いや、おれは本当は察しがついてるんだ。おれは既に生まれていると思う」
「察しがついてる? 推理したの? いつ?」
「まあ、この町に来てすぐかな」アイザワ君は困ったように言う。
「すごい。さすがアイザワ君だ」
 ぼくはとても感心した。彼は苦笑する。
「褒められることじゃないんだけどね」
「家まで案内してくれたら、ぼくが確認しに行くよ。それならいいでしょ」
 彼は嫌そうだった。だが最後には許してくれた。気は進まないけれど興味深いテーマであることは、彼も認めてくれた。
 ぼくは彼に案内されて、猫のおじいさんの家のそばにあった坂道をのぼった。
視界がひらけて、ずっと先のほうまでよく見えた。屋根より高い場所に立つと、この世界がいかに広いかがわかる。ずっと向こうまで伸びて行く線路があって、ぼくはその先に目をやった。いったい、どこまで続いているんだろう。
 不思議なことに、ぼくのすぐ足元に川が流れていた。こんなに高い位置を水が流れているのは非現実的な気がしたけれど、アイザワ君によれば、これは「天井川」という現実でも見られる構造らしかった。天井川とは、つまり、屋根よりも高い場所を流れる川である。この町を二分割する壁のような土手がずっと向こうの湖まで続いているという。
「商店街でくぐったトンネルの上は川だったのだね。本当に不思議だなあ」
 ぼくは感動しきりだった。
そばの橋を渡ってしばらく進み、階段を下りる。一段ずつが高いのか、下りるというより落ちている。
「堤防沿いに住んでいると、家の裏にこういう階段を作る人がいる。これはずいぶん昔に作られて、今はそれが生活道路として使われているんだね」
「ぼくら不法侵入してるね」
「いや、違うよ。堤防自体がそもそも公共のものなんだ。そこに無断で階段を作ったわけだよ」アイザワ君は面白そうに笑った。
 下りるたびにガクンと体が揺れる。足の上げ下げができないぼくらにはひどい悪路である。階段を下りた後、アイザワ君は言った。
「本当はマシな階段が少し先にあるんだ。だけどちょっと実験したくてね」
「なるほど。実験は好きだ」
「見てて」
 アイザワ君はどすどすと階段にぶつかった。最初は何をしているのか理解できなかった。でもだんだんわかってきた。それからぼくも一緒になって階段に体をぶつける。
 アイザワ君は言った。
「おれたちは段差がきついと、階段をのぼることができない。できて当たり前と思っていることも、ほとんどできないだろうね」
 ぼくは小学校の正門が開けられなかったことを思い出す。徐々に明らかになるこの世界の仕組みに、ぼくはわくわくした。
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