第10話 消える

文字数 1,660文字

 翌日、ぼくらは大学が終わった後、現実の小学校を訪ねた。国道を下ること十五分、やがて見えてきた校舎は聞いていた通り本当にピンク色だった。奇抜である。どっちがゲームだかわからない。
「ぼくは家と大学の往復ばかりしていて、こんな建物があるなんて知らなかった。反省しなければならないね」
「仕方ないよ。用事もないのに来ないだろうし。世界を広げるのには時間がかかるのさ。子どものときを思い出してもわかるだろ。あの時はほんの狭い所が世界のすべてだったし、同じような時間が永遠に続くと思っていたよ」
「そうだね。ぼく、自分が小学校を卒業するときにすごく驚いた覚えがあるよ。ずっと小学生だと思っていたから」
「ああその気持ちわかるな」
「そして今も、自分は永遠に大学生で、永遠に就活しなくていいと思っているよ」
「ああ、めちゃくちゃわかるなそれ」
 アイザワくんはくすくす笑う。
 商店街にも行った。もちろんあの女子高生はいなかった。いま三十歳近い彼女はきっとより魅力的になっていることだろう。経験を重ねた女性は色気がでるものだ。ぼくは様々な年齢層に興味がある者である。
「君は大人しそうな顔をして、女のことばかりだね」とアイザワ君に言われ、ぼくは顔が赤くなるのを感じた。しかしぼくの興味は大学生としてとりわけ異常ではないと考える。
「アイザワ君は色恋に淡白だね」
「おれも人並みに興味はあるよ。ただ正直なところ、好きという気持ちは理解できない」
「好きって難しいものね」
「うん。きっと、ずっと、おれは理解できないのだろうね。おれはこれを寂しいことだと思う。要するにさっきおれが『人並みに興味がある』といったのは、これを寂しいと感じることができるという意味だよ」
 ぼくらは天井川をくぐるトンネルを抜けて、例のおじいさんのところへやってきた。ほとんど人通りがなく、静かだった。過去とあまり様子は変わらない。
 ただひとつ変わっていたのは、
 そこに、
 猫のおじいさんがいなかったことだ。
 いや。そういえば、猫たちの姿もない。
 ぼくははっとした。なにが『様子が変わらない』だ。違う、何もかも変わってしまったじゃないか。あれほど道に溢れかえっていた猫が一匹もいない。
「ありえない」アイザワ君は言った。
 じゃあまさかおじいさんは、とぼくは言いかけて、やめた。ありえない。それこそありえないことだ。
 ぼくはだんだん焦ってきた。建物に近づいて、呼び鈴を鳴らしたり、中の音に耳を澄ませたりした。アイザワ君は立ち尽くして、おじいさんがいたところをじっと見つめている。
「もう一人、殺してみようか」と彼が言う。
「なんだって?」ぼくは驚いた。
「一度だけだと、偶然かもしれない。あと何度か繰り返せば本当にいなくなったかわかる」
 ぼくは慌てて言う。
「そんなことをしなくても、いいと思うよ」
「なぜ」
「まず、道徳的な問題」
「まさか君は、銃を〈撃った〉おれだけに責任を負わせようというんじゃないだろうね。君も賛同していたはずだよ。おれだけが悪いわけじゃない」
 どうも話がおかしい。それに被害妄想だ。
 さすがのアイザワ君もこの状況にひどく混乱しているようだ。ぼくはすぐに、ぼくにも責任があることを認める。
 そのうえで、こう続ける。
「それに、追試は必要ないよ。アイザワ君のお母さんに訊けばいいじゃないか。彼は保護者からも問題視されていた。きっと動向について知っているはずだよ」
 アイザワ君は顔を覆って、「そうか」と納得してくれた。
 彼にかかる重圧を、ぼくは理解しているつもりだ。道徳的な責任とやらを分け合ったところで、実際に引き金を引いたのは彼だ。彼は動揺して当然だ。
 ぼくたちはそのあと、ほとんど何もしゃべれなくなって、なんとなく解散になった。家に帰ってからパソコンをつけてみたけれど、アイザワ君はオフラインだった。ぼくは久しぶりに、早く床に就いた。
 朝起きたぼくは、メールが届いているのに気が付いた。アイザワ君だった。
「母さんはおじいさんのことを知らなかった。保護者会で問題になったこともない」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み