拠り所

文字数 2,416文字

「正しいかどうか考えることは、どう生きるべきなのかを考えることでしょう?」
 ゆうきはさおりの言葉をどう受け止めようか迷って、聞いた。焚火に照らされたさおりの髪がちらちらと燃えるように輝いている。
「……お湯が湧いたよ」
 さおりがグツグツと煮えた鍋を指差した。ゆうきはその鍋から自分のコップにお湯を入れる前に、さおりのコップへと手を伸ばす。
「さおりさんの分も温くなってませんか?」

「ありがとう。……本当に君は、愛されて生きてきたんだな」
 さおりはそう微笑んで、ゆうきが白湯を足したマグカップを愛おしそうに両手で包んだ。

「どうでしょうね。……僕が家族の元を立ち去った日、もしかしたら家族は笑っていたかもしれなくて」
 ゆうきはコップの中で湯気を立てる白湯に目を凝らした。夢で見たのが事実なのかどうかを湯気の中に探したけれど、見つかる訳がないのは分かっていた。
「まぁ、僕の目が普通と違うことで家族にも迷惑がかかってましたから。笑っててもおかしくはないんです。厄介者が立ち去ってくれた、って」
 何でもないことのように平淡な声で言い切るゆうき。そしてそのまま、ゆうきは焚火の奥の暗闇に視線を移した。喉の奥が締め付けられるような痛みが心臓に降りて行くのをやり過ごす。

「……やっぱ、家族とは別れたくなかった?」
 さおりが、ゆうきの気づいて欲しくなかった痛みを癒すように背中をさする。

「一緒にいることで、不幸にするのは間違っているでしょう?離れて、幸せを願うのが正しいでしょう?」
 ゆうきは、込み上げてきた涙が焚火の熱で消えてしまえばいいのにと思いながら、上を向いた。涙で滲んだ夜空を見上げ、かろうじて瞳の中に閉じ込める。
「……抱きしめてあげようか?」
 さおりがマグカップを脇において、両手を広げた。

「な、なんで急にそういうことになるんですか」
 ゆうきは首をブンブンと振り、その動きに紛れ込ませて涙を拭った。

「だって、ゆうき。泣きそうな顔してたでしょ。他人の温もりってリラックス効果あるのよ。泣き顔見ないであげるから、泣いたらどう?」

「あははは」
 ゆうきは曖昧に笑い、コップに口をつけた。まだ熱い白湯がゆうきの舌を傷つけ、思わず舌を出す。

「ま、こう言われて泣けるんなら今日まで抱えて生きたりはしないよね」
 さおりもぺろりと舌を出して、ゆうきの行動を真似る。

「生き方を正しさに委ねたらしんどいよ。だって正しさなんてものは見る角度でいくらでも変わるんだもん」
 さおりは空を見上げて、流れ星でも探すようにゆっくりと見渡した。金髪の細い髪が音もなく流れ、細い首があらわになる。オレンジがかった首筋のなめらかさにゆうきはドギマギと視線を逸らす。

「例えばザシキワラシの一件にしたって。金持ちからしたらただの泥棒でしょうに」
 さおりが空から目を離さないまま発した言葉に、ゆうきが反論する。

「だけど、助けてって言ってた」

「妖怪が人のようにその存在の権利を保証されないことぐらいは、知ってるでしょうに。ゆうきは、よその家にいる家畜を家主に無断で連れ出したのよ」
 鼻の頭にしわを寄せ、さおりは口にするのも嫌だといいたげな表情で言い切る。

「そんな、家畜だなんて」
 さおりの選んだ言葉に対してゆうきは嫌悪と怒りを込めて言った。妖怪相手によろず屋をしてきたさおり。ゆうきと同じように、妖怪達と分け隔てなく接しているのは、この短い付き合いでもわかっているつもりだった。だからこそ、さおりが選んだ言葉が許せない。社会がどうであれ、さおりにはそういう表現をしてほしくなかった。ゆうきは不快感を流し込むようにコップをあおった。飲み込めるぎりぎりの温度の白湯が喉をピリッと焼いていく。

「あるいは、家電とか、旧式ロボットとか?あたしだって嫌な例えだと思うけど、でも。事実よね」
 さおりは右の口角だけをあげて辛そうに笑う。
「正しく生きたいのなら、ゆうきはザシキワラシをあの金持ちの家に届けるべきなのよ。今からでもね」

 さおりの提案に、ゆうきは言葉を無くした。その話はもうすでに終わったじゃないか。ザシキワラシがあの家に居たくないと言っていた顔を思い出す。その気持ちを聞かないで家に帰すのが正しいとはどうしても思えない。でもそれは、再び取り出されたさおりの主張を覆すには足りないように思えた。

 ゆうきの頭をさおりが撫でる。

「あぁ、私が家を出る時に、ゆうきが側にいてくれたらどんなに心強かっただろうねぇ。社会やルールや決まり事じゃなく、感情のままに救い出してくれたなら。あたしは、のぞみちゃんに嫉妬しちゃうよ」
 のぞみちゃん、という言葉にゆうきは自分の行動を振り返る。ザシキワラシは助けてと手を伸ばしていた。のぞみは言っていない。ただ、ゆうきに「間違っている」と言われて、ついて来ただけだ。「誰かのために自分が不幸になる必要はない」だなんて格好良いことを言った気になって。実際は、ゆうき自身が起こした行動を肯定したかっただけ。そして、ゆうきと離れて暮らすことに安堵した家族を正しかったのだと、そう思い込みたかっただけじゃないか。

 黙り込んだゆうきに、さおりは両手を伸ばした。ゆうきの両頬をその手が包む。指先の冷たさと、手の平の温かさにゆうきの頭の芯が痺れ、思考が止まる。

 ゆうきの唇にさおりの唇が重なった。
 ゆうきが、その唇に熟した柿のような柔らかさを自覚する間に何度かたき火がはぜた。

「今の……」
 ゆうきが右手を唇に当てる。自分の冷えた指先が、さおりの触れた指を思い起こさせた。

「ファーストキスだったかな?まあ、許してよ。あたしもそうだから」
 さおりがあっけらかんと言うその頬が赤みを帯びているのはたき火の炎に照らされているから……だけではないだろう。

「訳わかんないよ」
 ゆうきは考えるべきことを失って、小さくなっているたき火に小枝をくべる。
 ふと見上げた東の空が夜を薄めて夜明けを告げていた。
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