申し出

文字数 2,563文字

 空がオレンジ色に染まる頃になってようやく、のぞみの前に列を成していた人だかりが無くなった。その間にゆうきができたことといえば、昼食の買い出しと、他のみんなが昼食を取取っている旨を客人に説明することぐらいだった。

「あー、疲れたわねぇ」
 さおりがお金でパンパンに膨らんだポーチを満足げに鳴らしてにんまりと笑った。

「のぞみ、大丈夫か?」
 タマモが気遣うようにのぞみを見る。のぞみはトロンとした目でタマモを見つめ、その耳の後ろを掻くように撫でた。その動きの緩慢さが、のぞみが今にも寝入ってしまいそうになっているのを現していた。
 少し離れたところでは遊び疲れたカッパとザシキワラシがいびきをかいている。その腹には客の一人から提供された子供用の毛布。実に幸せそうに目をへの字に曲げて何やら寝言まで呟いているカッパ。雪の積もるような寒さも、カッパにとっては皿の水を気にせず陸地で眠るための幸運らしい。その世界を味方につけているかのような様子にゆうきは、嫉妬した。今日、一番の役立たずはゆうきだ。誰もそんな言葉を発してはいないのに、耳をふさいでも繰り返し聞こえてくる言葉がゆうきを追い詰めた。

「宿、探さないといけませんね」
 ゆうきはカッパから無理に視線を外して、言った。言ってしまってから、他の人が働いている間に宿を探すことこそ、ゆうき自身がすべきことであったのに気づいて俯く。

「そうねぇ、どうしましょうか」
 さおりは人差し指を唇に当てて夕焼けを見上げる。夕日に照らされたカラスは迷い無く巣に帰って行くのだろう。ゆうきは何かを殴りつけたいような衝動が湧いてきたことに気づき、それを必死に押さえ込む。下唇を噛んでいるゆうきをさおりが心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫?」

 その時、雪の落ちるような冷たく静かな声が、ゆうきとさおりの耳に届いた。
「宿をお探しでしたら、家に来ますか?」
 雪と見分けの着かないほど白く、唇だけがいや赤い女性が、ゆうきの数歩先で首を傾げていた。
 ゆうきは、さおりを突き飛ばさずにすんだ右手を素早く左手で隠して、その女性に向き合う。
 黒々とした髪を三つ編みにして、その先を唇と同じ赤いゴムで結んでいる。

「でも急にご迷惑じゃありませんか?」
 ゆうきの問い掛けに、その女性は微笑んだ。
「宿と夕飯を提供します。……その代わりに聞いてほしい話があるのです」
 女性の視線は、のぞみの、革の手袋をした右手へと注がれていた。

「あんた、人間じゃないよね?」
 さおりが、ゆうきよりも一歩、その女性に近づいて挑むような声を出した。
「うふふふ。あなたたち、半分以上が人間じゃないのに、今更そんなことを気になさるのですか。……ユキオンナの自宅とは言え、人間が生命活動を維持できる程度に環境を整えてありますよ。何もとって食おうってつもりもありません。どうぞ。こちらへ」

 ゆうきとさおりは視線を交わす。
「この気候じゃ、渡りに舟なのは違いない。いざとなったら、あたしが囮になるよ」
 トンと、胸を叩いてさおりがウィンクをした。ゆうきは、言葉を返せないまま、ユキオンナの後をついて行くために、広げた道具をリアカーに積み込んだ。
 いびきをかいたままのカッパとザシキワラシもついでに乗せてゆく。子供のような体格をしている割に体が軽い。
「やっぱり、人間とは違うんだよな」
 ゆうきがポツリと呟いた。
「人間とは違う方が都合いいでしょう?」
 ゆうきにお姫様抱っこをされたまま、ザシキワラシが口の端で笑った。
「起きてるなら、自分でリアカーに乗れよ」
 ゆうきの抗議に、ザシキワラシは再びタヌキ寝入りをはじめた。

「あぁ、仲の良いことですね」
 やり取りを見ていたユキオンナが微笑ましそうに言う。
「本当、賑やかで良いぞ」
 さおりが、ユキオンナに向かって頷いた。

 ユキオンナの自宅も町から少し離れた場所にあるという。オニビの照らす道を黙々と一行が歩いていく。見えてきた小さな家は瓦屋根の一軒家だった。

「たくやさん、帰りましたよ」
 引き戸を開けたユキオンナが家の奥に向かってそう声をかける。
「おかえり、お客さんかな?珍しいね」
 クマのような図体の無精髭を生やした男が玄関に表れた。

「えぇ、困ってらしたから」
 ユキオンナは、先に家の中にはいるようにと、さおりに道を譲った。
「えっと……」
 家の中に入ったさおりは、促されるままに囲炉裏の近くへと座った。しかし、落ち着かない様子でキョロキョロと家の中を見渡している。さおりの後を追うようにゆうきやタマモ、のぞみも続く。

「尻小玉!相撲するか?」
 昼寝から目覚めたカッパが飛び上がるようにしてたくやと呼ばれた男性を指差す。
「コラ、人を指差すのは失礼。まずは自己紹介」
 ザシキワラシがカッパの手をパシッと叩いて制止する。

「あらあら、さすが良い物を着てるだけあるのねぇ」
 自己紹介をし会う様子を見たユキオンナが、嬉しそうに言った。人数分のお茶をそれぞれの前に差し出していく。お茶がみんなの手に渡ったのを確認すると囲炉裏から離れ、キッチンに近い透明な座布団の上に正座した。
「お茶、冷たいから囲炉裏の火でしっかりと温めてから呑んでくださいね」
 ユキオンナの忠告を聞く前にお茶を飲み干したカッパが、ケロリとしておかわりを要求する。川に生きる妖怪にとって水の温度は大した問題にならないらしい。
 好奇心に駆られたゆうきが自分の目の前に置かれたお茶に触れると痛むような冷たさを感じた。よく見ると中のお茶もシャーベット状に所々凍っている。

「あの、たくやさんは見たところ人間のようですが……」
 おずおずと、さおりがそう切り出した。

「……そう。俺は人間で、恋人はユキオンナ」
 何か問題でもあるだろうかと言いたげにたくやは胸を張って答えた。
「昔話では……」
 ゆうきは、言いかけて、自分の口を慌てて両手で押さえた。ユキオンナは好いた男を氷付けにしてしまうのだと、そう本で読んだことがある。しかし、それをこの場で言ってしまうのは正しくない。

「あぁ、その昔話のおかげで、俺達は駆け落ちしてここで暮らしてる。人間とユキオンナでは幸せになれないってね」
 たくやは豪快に笑って気にするなと言うようにゆうきの頭をワシワシと撫でた。
「不便ではあるけど、共に暮らせないことはないんだよ」
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