この手
文字数 2,626文字
「人間の友人に、この花を手渡してほしいのです」
ダックスフント犬を細くしたような姿のカマイタチが言った。三角に尖った耳と、猫のような顔を持ち、その足の先には、銀色の刃物がついている。形状は鎌のように湾曲している。足一本につき、鎌のような刃物は2本。その背を地面につけるようにしてうまく立っている。
指し示された花は、雫型の白い花弁が五枚、オレンジ色の子房部分についている。
子房の部分だけを見るとたんぽぽのようにも見えるが、ゆうきは初めて見る花に首を傾げた。
「ここら辺にしか咲かない、切り傷の薬草にもなる花です」
ゆうきの表情を見たカマイタチが、首を後ろに振って説明した。白とオレンジの絨毯がその背に広がっている。カッパとのぞみが、わっと駆けて行き、髪飾りを作りお互いの頭に乗せあい始めた。
さおりは慣れた手つきでカマイタチの指し示した先にある白い花の束をを手に取ると、茎にオレンジ色のリボンをかけた。
「どうして、自分で渡さないの?」
ゆうきの言葉にカマイタチは小さな黒い瞳をゆうきにじっと向けた。
「どうやって?」
カマイタチは右前足を自分の目の前に持ち上げて、寂しげに笑う。そのまま手で近くの花の茎に線を引いて見せ、一瞬遅れて花がはらりと落ちた。残された茎の歪みのない切り口は、カマイタチの鎌がどれほど鋭利なのかを証明している。
「そりゃ、お前が誰かに与えるように産まれついてないからだ」
タマモは呆れた声で「渡そうとすること自体が産まれと反する」と言った。ゆうきがその花を拾いながら聞く。
「カマイタチって、本来、人を傷付けて喜ぶ妖怪だと思ってたんだけど。なんで花?」
「えぇ。いきなり傷ができて、その原因がわからないと畏れるでしょう?私が私らしく生きるために必要なものを、そうやって得てきました。だけど……」
カマイタチは目を伏せた。花で遊ぶのに飽きたのか、のぞみとカッパもタマモの横に来て腰を下ろす。ミントの清涼感とバラの甘さが混ざった香りが六人を包む。
「まーた、昔話かい?何度語っても今以上の改善策はないと思うけどねぇ。あたしは、さっさとこの花束を届けて来るわ」
さおりは嘆息し、その場を離れた。その背中が小さく見えなくなってから、カマイタチが口を開いた。
「私が作る傷はそりゃもう大きくて。深くて。熊を倒せるような大男でさえ赤子のように泣いてしまうもんなんです。……もちろん、人間は血を流しすぎたら生きられないと知ってますから、人間が傷に気づいたらすぐ、その花を煮詰めた薬を塗ってぴたりと閉じてやるんですよ」
カマイタチがゆうきの手の中にある花に視線をやる。
「ちょいと、しみますがね。気絶するほどの痛みじゃありません。それがまた畏れを増幅させてくれるんです」
カマイタチは自分の鼻をペロリと舐めて鼻先を湿らせた。カッパが自分の頭に乗せた花をそっとゆうきの足の擦り傷に乗せようとするのがゆうきの視界に入った。
「何している?」
カッパの肩に両手を置いたゆうきが威圧的に笑うと、カッパは即座にのぞみの背中に隠れた。
カマイタチはそんなやり取りを気にする様子もなく、なめらかに語りつづける。
「あの日もいつも通りに、切って、塗っておしまい。そう思ってました。なんせ、やってきたのは、そこのカッパぐらいの大きさの人の子」
カマイタチは右前足で器用にカッパを指差した。急に指差されたカッパが背筋をピッと伸ばしたせいで皿の水がタマモの口に散った。不愉快そうにそれを舐めとるタマモ。
「その子供は泣かなかった。傷を作った私よりも、傷を親に見られることを畏れた。そこらの葉を傷口に押し付けて隠そうとしているのを私が慌てて止めた。私が塗る傷薬に、可愛らしい笑顔でお礼を言われた。傷薬が染みるよりも、私に手当をしてもらう事の方が嬉しかったらしい」
カマイタチはそこまで言うと、ほぅーと息を吐いた。冷えた空気がその息を白く浮かび上がらせる。
「子供は何度もここへ通って来るようになった。私が切って、傷薬を塗り、笑顔で帰ってく。その関係を知ったその子の親が、この山に悪い妖怪がいると言い出したらしい。その子は、ここへは来なくなった」
カマイタチはそう言って、空を見上げた。空に過去の映像が浮かんでいるかのように目を細めてじっと見つめる。
「子供は手当が嬉しいと言った。傷薬を人に渡すのは最大の禁忌だが、花は禁止されてない。切り付ける場所も仲間内で決まっていて、人の子がここへ来なくなった以上私には治す理由がない。だけど、人の子の笑顔がないことがどうしようもなく寂しい。それで、さおりさんに頼んでいるんだよ。仲間には私がどこか病んでいると笑われるんだがね」
カマイタチは右前足の鎌をジッと見つめる。太陽を反射してその刃がキラリと輝いた。
カマイタチが話し終わって最初に動いたのは、のぞみだった。
「例えば。鎌でなく、花を渡せる手をもてたら、嬉しい?」
カマイタチの目の前にしゃがみ込み、視線を合わせてのぞみが問い掛けた。
「出来るのなら」
強く頷いたカマイタチのおでこに、のぞみが、おでこを重ねた。風の吹き抜ける音と、火の爆ぜる音がのぞみの口から溢れる。のぞみの右腕を白い光が包む。その段階になって、ようやくのぞみがやろうとしていることに気づいたゆうきが止めようと一歩踏み出した。その襟首をタマモがくわえて引き止める。
「何すんだよ!」
振り向いたゆうきの睨みに、タマモが冷たい目を返した。
「のぞみが決めたことだ」
「いや、そんなこと言ったって」
ゆうきがタマモと言い争っている隙に、のぞみの右腕から光がカマイタチへと移った。カマイタチの右前足から鎌が消えている。変わりに小振りな指が五つ、ついていた。
カマイタチは自分の左前足とのぞみを交互に見た。
「これは?」
「必要な所に必要なものがあることが正しいと思うから」
のぞみは微笑み、ふらりとその身が揺らいだ。地面に衝突する前にタマモがその身を受け止める。微かにのぞみの口がお礼の形に動いたのがゆうきに見えた。
「手が!!手が!!」
ゆうきの耳に大騒ぎするカッパの声がどこか遠く聞こえる。
のぞみが望む未来のために連れ出したつもりだった。与え、守るつもりはあっても、何かを失わせるつもりはなかった。ゆうきは、喜ぶカマイタチと、のぞみを守るように腹のうちに押し込めたタマモ、その場でカポカポと足を鳴らしているカッパをどこか夢の出来事のように眺めた。
ダックスフント犬を細くしたような姿のカマイタチが言った。三角に尖った耳と、猫のような顔を持ち、その足の先には、銀色の刃物がついている。形状は鎌のように湾曲している。足一本につき、鎌のような刃物は2本。その背を地面につけるようにしてうまく立っている。
指し示された花は、雫型の白い花弁が五枚、オレンジ色の子房部分についている。
子房の部分だけを見るとたんぽぽのようにも見えるが、ゆうきは初めて見る花に首を傾げた。
「ここら辺にしか咲かない、切り傷の薬草にもなる花です」
ゆうきの表情を見たカマイタチが、首を後ろに振って説明した。白とオレンジの絨毯がその背に広がっている。カッパとのぞみが、わっと駆けて行き、髪飾りを作りお互いの頭に乗せあい始めた。
さおりは慣れた手つきでカマイタチの指し示した先にある白い花の束をを手に取ると、茎にオレンジ色のリボンをかけた。
「どうして、自分で渡さないの?」
ゆうきの言葉にカマイタチは小さな黒い瞳をゆうきにじっと向けた。
「どうやって?」
カマイタチは右前足を自分の目の前に持ち上げて、寂しげに笑う。そのまま手で近くの花の茎に線を引いて見せ、一瞬遅れて花がはらりと落ちた。残された茎の歪みのない切り口は、カマイタチの鎌がどれほど鋭利なのかを証明している。
「そりゃ、お前が誰かに与えるように産まれついてないからだ」
タマモは呆れた声で「渡そうとすること自体が産まれと反する」と言った。ゆうきがその花を拾いながら聞く。
「カマイタチって、本来、人を傷付けて喜ぶ妖怪だと思ってたんだけど。なんで花?」
「えぇ。いきなり傷ができて、その原因がわからないと畏れるでしょう?私が私らしく生きるために必要なものを、そうやって得てきました。だけど……」
カマイタチは目を伏せた。花で遊ぶのに飽きたのか、のぞみとカッパもタマモの横に来て腰を下ろす。ミントの清涼感とバラの甘さが混ざった香りが六人を包む。
「まーた、昔話かい?何度語っても今以上の改善策はないと思うけどねぇ。あたしは、さっさとこの花束を届けて来るわ」
さおりは嘆息し、その場を離れた。その背中が小さく見えなくなってから、カマイタチが口を開いた。
「私が作る傷はそりゃもう大きくて。深くて。熊を倒せるような大男でさえ赤子のように泣いてしまうもんなんです。……もちろん、人間は血を流しすぎたら生きられないと知ってますから、人間が傷に気づいたらすぐ、その花を煮詰めた薬を塗ってぴたりと閉じてやるんですよ」
カマイタチがゆうきの手の中にある花に視線をやる。
「ちょいと、しみますがね。気絶するほどの痛みじゃありません。それがまた畏れを増幅させてくれるんです」
カマイタチは自分の鼻をペロリと舐めて鼻先を湿らせた。カッパが自分の頭に乗せた花をそっとゆうきの足の擦り傷に乗せようとするのがゆうきの視界に入った。
「何している?」
カッパの肩に両手を置いたゆうきが威圧的に笑うと、カッパは即座にのぞみの背中に隠れた。
カマイタチはそんなやり取りを気にする様子もなく、なめらかに語りつづける。
「あの日もいつも通りに、切って、塗っておしまい。そう思ってました。なんせ、やってきたのは、そこのカッパぐらいの大きさの人の子」
カマイタチは右前足で器用にカッパを指差した。急に指差されたカッパが背筋をピッと伸ばしたせいで皿の水がタマモの口に散った。不愉快そうにそれを舐めとるタマモ。
「その子供は泣かなかった。傷を作った私よりも、傷を親に見られることを畏れた。そこらの葉を傷口に押し付けて隠そうとしているのを私が慌てて止めた。私が塗る傷薬に、可愛らしい笑顔でお礼を言われた。傷薬が染みるよりも、私に手当をしてもらう事の方が嬉しかったらしい」
カマイタチはそこまで言うと、ほぅーと息を吐いた。冷えた空気がその息を白く浮かび上がらせる。
「子供は何度もここへ通って来るようになった。私が切って、傷薬を塗り、笑顔で帰ってく。その関係を知ったその子の親が、この山に悪い妖怪がいると言い出したらしい。その子は、ここへは来なくなった」
カマイタチはそう言って、空を見上げた。空に過去の映像が浮かんでいるかのように目を細めてじっと見つめる。
「子供は手当が嬉しいと言った。傷薬を人に渡すのは最大の禁忌だが、花は禁止されてない。切り付ける場所も仲間内で決まっていて、人の子がここへ来なくなった以上私には治す理由がない。だけど、人の子の笑顔がないことがどうしようもなく寂しい。それで、さおりさんに頼んでいるんだよ。仲間には私がどこか病んでいると笑われるんだがね」
カマイタチは右前足の鎌をジッと見つめる。太陽を反射してその刃がキラリと輝いた。
カマイタチが話し終わって最初に動いたのは、のぞみだった。
「例えば。鎌でなく、花を渡せる手をもてたら、嬉しい?」
カマイタチの目の前にしゃがみ込み、視線を合わせてのぞみが問い掛けた。
「出来るのなら」
強く頷いたカマイタチのおでこに、のぞみが、おでこを重ねた。風の吹き抜ける音と、火の爆ぜる音がのぞみの口から溢れる。のぞみの右腕を白い光が包む。その段階になって、ようやくのぞみがやろうとしていることに気づいたゆうきが止めようと一歩踏み出した。その襟首をタマモがくわえて引き止める。
「何すんだよ!」
振り向いたゆうきの睨みに、タマモが冷たい目を返した。
「のぞみが決めたことだ」
「いや、そんなこと言ったって」
ゆうきがタマモと言い争っている隙に、のぞみの右腕から光がカマイタチへと移った。カマイタチの右前足から鎌が消えている。変わりに小振りな指が五つ、ついていた。
カマイタチは自分の左前足とのぞみを交互に見た。
「これは?」
「必要な所に必要なものがあることが正しいと思うから」
のぞみは微笑み、ふらりとその身が揺らいだ。地面に衝突する前にタマモがその身を受け止める。微かにのぞみの口がお礼の形に動いたのがゆうきに見えた。
「手が!!手が!!」
ゆうきの耳に大騒ぎするカッパの声がどこか遠く聞こえる。
のぞみが望む未来のために連れ出したつもりだった。与え、守るつもりはあっても、何かを失わせるつもりはなかった。ゆうきは、喜ぶカマイタチと、のぞみを守るように腹のうちに押し込めたタマモ、その場でカポカポと足を鳴らしているカッパをどこか夢の出来事のように眺めた。