誰が為
文字数 3,127文字
まるで小さな子が母親の胸にすがって泣くようなゆうきの姿を、さおりはただ受け入れた。ゆうきはピタリと動きを止め、ユキオンナの家に戻ろうと提案する。さおりは、ゆうきの顔をしばらくじっと見つめた後、パッと歯を見せて笑った。そして、それまでの母親のような抱擁を1度解いて、再び抱き着く。兄弟がじゃれついてきたような、そんな軽い抱擁にゆうきはそっとさおりの背を抱きしめた。
ユキオンナの家のドアを開けるとまず、肌を包み込む暖気と、焦げる手前の鍋の臭いが出迎えてくれた。ゆうきの肩を抱くようにしていたさおりの肩から力が抜ける気配を感じる。寒かったのだろう。ゆうきは、さおりにバレないように顔を見上げ、心の中で謝った。
「……お見苦しいところを見せて申し訳ありません」
大きく息を吐いて姿勢を正したゆうき。家にいたみんなに向かって下げた頭をザシキワラシが撫でる。
「そうか、人は見た目通りの人生経験しかないのだものなぁ」
幼い見た目で大人びたことを言うザシキワラシ。その可笑しさを、ゆうきは笑う気になれない。
「美味しいぞ」
カッパが湯気の立つ椀をゆうきに差し出す。カッパの腹はボールと見間違うほど丸く膨らんでいて、その言葉が嘘でないことを物語っていた。ゆうきは変わらないカッパのその行動にどこか救われたような気持ちになりながら一歩踏み出した。
「……外は寒かっただろう、もっと火の近くにどうぞ」
たくやは、ゆうきではなく囲炉裏の火を見ながら言った。
罵ったところで、何になるというのだ。ゆうきの理性がそう、頭の中で諭す。ユキオンナの左腕を見ないようにして、席に着いた。
「食べないのか?」
タマモの言葉に、ゆうきが箸を持つ。
「おいしい!!」
妙に甲高い声でさおりが言った。
無かったことにするつもりだ、とゆうきは思った。話し合ったところで結果は出ていることだ。それが正しいし、それが一番波風が立たない。
ゆうきは首を振って、無心で器に注がれた豆腐を箸で掴んだ。こんなに最悪な気分でも、出汁にしっかりと染まった豆腐は美味しい。
どこか、演劇をしているようなギクシャクした空気のまま、時間が過ぎていく。
「ふとんで寝てみたい!!」
食事の片付けが終わり、順番に風呂も入り終わった頃になってカッパが手を挙げた。
「お皿の水……」
のぞみが気遣かった言葉にカッパは手でピースを作って返す。
「凍らせて!」
歌い出しそうなほど上機嫌にカッパが言い、のぞみが頷いた。
「川の中みたい」
ザシキワラシとのぞみに挟まれて横たわるカッパが嬉しそうに言う。
「こういう寝方を人は、川の字で寝ると言うのだったな」
タマモがのぞみを寒くないようにしっぽで覆いながら返す。
「まぁ、人の体温って妙に安心するよな」
気恥ずかしさに逃げようとするゆうきをがっしりと掴んでさおりが返事をする。背中に当たる胸と、鼻先をくすぐるタマモの毛がゆうきを悩ませた。
「……こんなに賑やかな食卓はいつ振りだろうなぁ」
たくやが呟いた。
「君達さえよければ一緒に……いや、この両隣空き家なんだけどどうだろうか?」
ゆうきは聞こえなかったふりをして、目を閉じた。
翌朝、ゆうき達を起こしたのはニワトリの鳴き声ではなかった。まるで滝がドアを打ち付けるような轟音。
「何だ??」
たくやが、眠そうな目で玄関ドアを開けようとした。その手をザシキワラシが止める。
「きっと、私の追っ手です」
「やっぱなぁ……今までが平和過ぎたよね」
腕を組んで、さおりがあきらめたような声を上げた。
「準備は良い?」
さおりの号令にゆうきは土間に置いてあるリアカーの持ち手へと体を滑り込ませた。
「せまいー」
カッパが荷台に乗り込み文句を垂れる。
「お礼です」
ユキオンナが簡潔に荷台の荷物が増えた理由を説明した。
カッパが乗り込むとザシキワラシの分のスペースしか残らない。
「ありがとう」
のぞみはお礼を言うとタマモの背に乗った。
「オニビ、焼き払っちゃって」
さおりの号令の5秒後。音が鳴り止んだのを見計らってゆうき達一行はユキオンナの家を飛び出した。
玄関の周りに黒くすすけた紙人形が散らばっているのを踏んで東に向かう。
ヒュッとゆうきの耳元で音が鳴った。遅れてきた右頬の痛みに手をやる。見れば指の先に血が付いていた。
「わーお、1枚焼き漏らしてるわよ」
さおりがチラリとランタンに入ったオニビを見た。オニビは申し訳なさそうに小さくなったかと思うと、ランタンを飛び出した。
ブーメランのようにゆうき目指してかえってこようとしている紙人形をその炎で握り潰すように燃やした。
「ありがとうね」
さおりの言葉に、ランタンへと戻ったオニビは胸を張るかのように大きく膨らむ。
「ウチ、ずっと考えてたんよ」
紙人形の追撃がないことを確認したのぞみが言った。
「何を?」
ずっしりと重たくなったリアカーを引いてゆうきが聞き返す。
「ゆうきは、トト様とカカ様が間違っているって言ってたけど。ウチにはどこが間違ってるんか、分からんのよ。間違ってるんはゆうきの方じゃないん?」
のぞみの言葉にゆうきは思わず足を止めた。タマモの背に座るのぞみの瞳をじっと見つめる。薄黄色の瞳はどこまでも透き通っていた。
「のぞみは、村の花嫁になりたかったの?」
ゆうきはようやくそれだけを搾り出すように舌先にのせた。
「トト様とカカ様、それに村の皆が喜ぶのは嬉しい」
のぞみが首を傾げる。
「のぞみは、どうやって生きるのが幸せ?」
ゆうきは質問を重ねながら、目の前の少女を思い通りの答えに誘導しようとしているのを自覚した。ゆうきが間違っていたと認めることはこの旅を無意味な物にしてしまう。二人の始まりがゆうきの独善ではなく、のぞみにとっても意味があったのだと結論を出してほしかった。
「ウチはね、周りの皆が嬉しそうにしてたら幸せなんよ」
のぞみの返答は、ゆうきの願いを打ち砕くように無邪気に響いた。
「のぞみちゃん。例えばね。皆が肉まんを食べてる中で、タマモだけ肉まんを貰えてなかったら、のぞみちゃんはどんな気持ちになる?」
助け舟を出すように、さおりが口を挟んだ。
「ウチの肉まんを半分こする」
のぞみは傾げていた首を反対側に倒して答える。
「そしたら、のぞみちゃんの肉まんは、半分になってしまうでしょ?のぞみちゃんは肉まんをまるごと一個食べるのと、半分だけ食べるのとどっちが幸せ?」
さおりは微笑んで言葉を続けた。
「一個しかないならタマモと食べるのが良いよ」
のぞみがそう答える。
「近くに肉まん屋さんがあったら、どうする?」
さおりは焦ることなく、例え話を重ねる。
「も一個、買う」
のぞみはそう答えてから、「でも、」と不安げに言った。「お金が無かったら、半分子でも大丈夫」と。
さおりはゆっくりとまばたきをして、のぞみを見た。それからさおりは、ゆうきを見て、話の流れが間違っていないか確認するように首を傾げた。ゆうきが卯なづいて見せると、さおりは安心したように微笑んで、のぞみに向き直った。
「手元にある肉まんを分けるだけじゃなくて、増やせば、もっと笑顔になるんじゃないかな?」
さおりのまとめようとする言葉に、のぞみは納得しない。
「でも、一つしかない物を分けたって、ウチ、幸せじゃない訳じゃない」
「周りの人は肉まんをまるごと一つ食べてるのに?」
さおりの声が高くなった。先ほどの余裕は消え、どこか高圧的な響きが混じる。
さおりに言い返そうと、のぞみが口を開いた時、女性の声が割ってはいった。
「さすが、私の娘。良くしつけられてるわね。母親の顔が見てみたい」
進行方向から、黒いロングドレスを来た女性がゆったりと歩いて来るのが見えた。
ユキオンナの家のドアを開けるとまず、肌を包み込む暖気と、焦げる手前の鍋の臭いが出迎えてくれた。ゆうきの肩を抱くようにしていたさおりの肩から力が抜ける気配を感じる。寒かったのだろう。ゆうきは、さおりにバレないように顔を見上げ、心の中で謝った。
「……お見苦しいところを見せて申し訳ありません」
大きく息を吐いて姿勢を正したゆうき。家にいたみんなに向かって下げた頭をザシキワラシが撫でる。
「そうか、人は見た目通りの人生経験しかないのだものなぁ」
幼い見た目で大人びたことを言うザシキワラシ。その可笑しさを、ゆうきは笑う気になれない。
「美味しいぞ」
カッパが湯気の立つ椀をゆうきに差し出す。カッパの腹はボールと見間違うほど丸く膨らんでいて、その言葉が嘘でないことを物語っていた。ゆうきは変わらないカッパのその行動にどこか救われたような気持ちになりながら一歩踏み出した。
「……外は寒かっただろう、もっと火の近くにどうぞ」
たくやは、ゆうきではなく囲炉裏の火を見ながら言った。
罵ったところで、何になるというのだ。ゆうきの理性がそう、頭の中で諭す。ユキオンナの左腕を見ないようにして、席に着いた。
「食べないのか?」
タマモの言葉に、ゆうきが箸を持つ。
「おいしい!!」
妙に甲高い声でさおりが言った。
無かったことにするつもりだ、とゆうきは思った。話し合ったところで結果は出ていることだ。それが正しいし、それが一番波風が立たない。
ゆうきは首を振って、無心で器に注がれた豆腐を箸で掴んだ。こんなに最悪な気分でも、出汁にしっかりと染まった豆腐は美味しい。
どこか、演劇をしているようなギクシャクした空気のまま、時間が過ぎていく。
「ふとんで寝てみたい!!」
食事の片付けが終わり、順番に風呂も入り終わった頃になってカッパが手を挙げた。
「お皿の水……」
のぞみが気遣かった言葉にカッパは手でピースを作って返す。
「凍らせて!」
歌い出しそうなほど上機嫌にカッパが言い、のぞみが頷いた。
「川の中みたい」
ザシキワラシとのぞみに挟まれて横たわるカッパが嬉しそうに言う。
「こういう寝方を人は、川の字で寝ると言うのだったな」
タマモがのぞみを寒くないようにしっぽで覆いながら返す。
「まぁ、人の体温って妙に安心するよな」
気恥ずかしさに逃げようとするゆうきをがっしりと掴んでさおりが返事をする。背中に当たる胸と、鼻先をくすぐるタマモの毛がゆうきを悩ませた。
「……こんなに賑やかな食卓はいつ振りだろうなぁ」
たくやが呟いた。
「君達さえよければ一緒に……いや、この両隣空き家なんだけどどうだろうか?」
ゆうきは聞こえなかったふりをして、目を閉じた。
翌朝、ゆうき達を起こしたのはニワトリの鳴き声ではなかった。まるで滝がドアを打ち付けるような轟音。
「何だ??」
たくやが、眠そうな目で玄関ドアを開けようとした。その手をザシキワラシが止める。
「きっと、私の追っ手です」
「やっぱなぁ……今までが平和過ぎたよね」
腕を組んで、さおりがあきらめたような声を上げた。
「準備は良い?」
さおりの号令にゆうきは土間に置いてあるリアカーの持ち手へと体を滑り込ませた。
「せまいー」
カッパが荷台に乗り込み文句を垂れる。
「お礼です」
ユキオンナが簡潔に荷台の荷物が増えた理由を説明した。
カッパが乗り込むとザシキワラシの分のスペースしか残らない。
「ありがとう」
のぞみはお礼を言うとタマモの背に乗った。
「オニビ、焼き払っちゃって」
さおりの号令の5秒後。音が鳴り止んだのを見計らってゆうき達一行はユキオンナの家を飛び出した。
玄関の周りに黒くすすけた紙人形が散らばっているのを踏んで東に向かう。
ヒュッとゆうきの耳元で音が鳴った。遅れてきた右頬の痛みに手をやる。見れば指の先に血が付いていた。
「わーお、1枚焼き漏らしてるわよ」
さおりがチラリとランタンに入ったオニビを見た。オニビは申し訳なさそうに小さくなったかと思うと、ランタンを飛び出した。
ブーメランのようにゆうき目指してかえってこようとしている紙人形をその炎で握り潰すように燃やした。
「ありがとうね」
さおりの言葉に、ランタンへと戻ったオニビは胸を張るかのように大きく膨らむ。
「ウチ、ずっと考えてたんよ」
紙人形の追撃がないことを確認したのぞみが言った。
「何を?」
ずっしりと重たくなったリアカーを引いてゆうきが聞き返す。
「ゆうきは、トト様とカカ様が間違っているって言ってたけど。ウチにはどこが間違ってるんか、分からんのよ。間違ってるんはゆうきの方じゃないん?」
のぞみの言葉にゆうきは思わず足を止めた。タマモの背に座るのぞみの瞳をじっと見つめる。薄黄色の瞳はどこまでも透き通っていた。
「のぞみは、村の花嫁になりたかったの?」
ゆうきはようやくそれだけを搾り出すように舌先にのせた。
「トト様とカカ様、それに村の皆が喜ぶのは嬉しい」
のぞみが首を傾げる。
「のぞみは、どうやって生きるのが幸せ?」
ゆうきは質問を重ねながら、目の前の少女を思い通りの答えに誘導しようとしているのを自覚した。ゆうきが間違っていたと認めることはこの旅を無意味な物にしてしまう。二人の始まりがゆうきの独善ではなく、のぞみにとっても意味があったのだと結論を出してほしかった。
「ウチはね、周りの皆が嬉しそうにしてたら幸せなんよ」
のぞみの返答は、ゆうきの願いを打ち砕くように無邪気に響いた。
「のぞみちゃん。例えばね。皆が肉まんを食べてる中で、タマモだけ肉まんを貰えてなかったら、のぞみちゃんはどんな気持ちになる?」
助け舟を出すように、さおりが口を挟んだ。
「ウチの肉まんを半分こする」
のぞみは傾げていた首を反対側に倒して答える。
「そしたら、のぞみちゃんの肉まんは、半分になってしまうでしょ?のぞみちゃんは肉まんをまるごと一個食べるのと、半分だけ食べるのとどっちが幸せ?」
さおりは微笑んで言葉を続けた。
「一個しかないならタマモと食べるのが良いよ」
のぞみがそう答える。
「近くに肉まん屋さんがあったら、どうする?」
さおりは焦ることなく、例え話を重ねる。
「も一個、買う」
のぞみはそう答えてから、「でも、」と不安げに言った。「お金が無かったら、半分子でも大丈夫」と。
さおりはゆっくりとまばたきをして、のぞみを見た。それからさおりは、ゆうきを見て、話の流れが間違っていないか確認するように首を傾げた。ゆうきが卯なづいて見せると、さおりは安心したように微笑んで、のぞみに向き直った。
「手元にある肉まんを分けるだけじゃなくて、増やせば、もっと笑顔になるんじゃないかな?」
さおりのまとめようとする言葉に、のぞみは納得しない。
「でも、一つしかない物を分けたって、ウチ、幸せじゃない訳じゃない」
「周りの人は肉まんをまるごと一つ食べてるのに?」
さおりの声が高くなった。先ほどの余裕は消え、どこか高圧的な響きが混じる。
さおりに言い返そうと、のぞみが口を開いた時、女性の声が割ってはいった。
「さすが、私の娘。良くしつけられてるわね。母親の顔が見てみたい」
進行方向から、黒いロングドレスを来た女性がゆったりと歩いて来るのが見えた。