暮らし
文字数 2,963文字
タマモの動きが止まったのを感じたゆうきはその後ろ足からそっと顔を出した。眼前に広がった藁葺き屋根の自宅に、ゆうきは駆け寄る。
そのままゆうきは引き戸を引いて、タマモとのぞみを自宅へと招いた。古めかしい家の見た目にタマモが訝しがるように鼻をヒクつかせる。
「まぁ、とりあえず中にどうぞ?」
ゆうきの促しに、タマモは体を大型犬ほどのサイズに縮めて玄関をくぐった。のぞみがそのあとに続く。
「人間というものは、岩を粉にして練り固めた、コンクリートだとかいうもので自宅を構えていたと思ったが」
側にあった土壁を前足でボロボロと剥がしながらタマモが言った。
「あぁ、そんな時代もあったらしいね。でも、コンクリートって自分で手入れするには手に余るだろ?」
ゆうきはタマモの前足を優しく手で制止して答えた。大きな瓶から水を汲み、大皿とマグカップに注いだ。それをタマモと、のぞみそれぞれに手渡す。
「電気も通ってないのか。随分と前時代な暮らしをしているのだな」
タマモはなおも興味深そうにあたりを見渡し、明かりを取るためのろうそくをみて鼻を鳴らした。
「そうか、僕にとっては何世紀も前の話でも、タマモにとってはつい最近のことみたいに感じるんだね」
ゆうきは一人で納得し、説明を始めた。
「まず、電気や水道、ガスといった……ライフラインと呼ばれるものを維持するにはそれを管理する人が必要なんだけど。知っての通り人類は今や希少だからね。町の方で暮らせばまた事情がかわるんだけど、辺鄙な場所で暮らすならこのぐらいの生活スタイルが楽だよ。自家発電機とかもあるにはあるけど、定期的な点検が必要だし。それなら僕は別のことに時間を使いたい。電気がなくたって自分一人を養う程度なら得に不便はないよ」
ゆうきは言いながら川で洗った着物を外にある物干し竿に干し始めた。両手をひろげ、とおせんぼするみたいな着物が風にはためく。
ゆうきはそれを満足げに眺め、頷いた。家の中にもどって、箪笥から新たに灰色の着物を出して着替える。そのついでといわんばかりに、のぞみにも若草色のものを一枚差し出した。
「着替えの一つもあった方がいいだろうから、あげるよ。多少大きくても何とかなるだろう」
「ありがとう」
受けとったのぞみは照れたように笑うと、その場で着ている着物の帯を解こうと、結び目に手をかけた。
「ストップ」
ゆうきはその動きを制して、体ごとのぞみから目を逸らした。
「女性はそう気安く男性の前で脱ぐものじゃないんだよ」
「ゆうきの方こそ、さっきまで下着姿だったのに?」
のぞみの不思議そうな声が背中から返ってきて、ゆうきは言葉に詰まった。
「男は良いの。女はダメ。覚えて」
ゆうきは乱暴にそう言って話を切り上げる。
「おい小僧、腹が減った」
二人の会話をぷつりと両断するように、あくび混じりのタマモの声がしてゆうきは思わず振り返った。のぞみの裸体がゆうきの目前に広がる。のぞみが脱いだ着物から手を離し、柔らかな布が落ちる音がした。慌てて目を閉じ、両手を顔に覆い被せたゆうきは、直前に知覚した光景を思い出して疑問を口にする。
「のぞみ、君、胸が……」
柔らかな二つの丘があるはずの場所には白く靄がかかっていた。ゆうきはのぞみから顔を逸らした状態で目を開く。
「タマモに心臓をあげたから」
事もなげにのぞみは言うと、若草色の着物に袖を通していく。その様子がゆうき視界の端に映った。
「どういうこと?」
ゆうきは、のぞみがきちんと帯を締めたのを確認してから向き直り、問い掛けた。
「小僧、何もかもを知っているようなことを言いながら、その実何も知らぬのだな」
のぞみの後ろでタマモが小馬鹿にしたように言い、鼻でタマモ自身の胸を差した。
「聞いて見ろ」
タマモの口調にゆうきはカチンと来たものの素直に従う。木の繊維を細く裂いたような毛の手触り。脚のうち側と胸側での感触の違いにゆうきは驚いたが、それを口にするとまた馬鹿にされそうなので口を閉ざしておく。
タマモの胸元に、ゆうきが耳を押し付ける。すると、速さの違う心臓の鼓動が二つ分聞こえてきた。
「村長と戦った後、のぞみが回復の遅い私を気遣かって、心臓を分けてくれただけのことだ。……それで?食い物はないのか?」
タマモは前足で器用にゆうきを突き飛ばしてから言った。
「えっと、心臓がなくてのぞみは大丈夫……なんだよね?」
ゆうきはカゴの中から干し肉をいくつか取り出してタマモに渡す。若草色の着物を来て嬉しそうにくるくる回っていたのぞみはその動きをぴたりと止める。
「あげたいと思った人にあげたらそこが白く光るだけ」
のぞみは、ジッとゆうきを見て、細かく頷く。
「そういうものなんだ?体のつくりどうなってるの?」
ゆうきは首を傾げた。
「ゆうきは自分の体のつくりを人に説明できる?」
のぞみはゆうきを人差し指で指してから、自分の胸を指差した。
「いや……」
ゆうきは首を振った。切り傷や発熱等に関する知識はあっても、自分の体のすべてを説明はできない。
「そう、残念。私も、私の体のことを説明できない。説明できる人に出会えれば、何か解るのかもしれないけれど」
のぞみが淡々と語る言葉に耳を傾けながら、ゆうきは干し肉と水、日干しにしてあった野菜を鍋に入れる。カセットコンロの上に鍋をおいて火を付けた。のぞみのお腹が催促するように小さな音を出す。
「炊いた方が食べやすいから、ちょっと待ってね」
ゆうきはのぞみの腹の虫に向かって微笑むと手早く味付けしていく。
「小僧」
タマモの声に、ゆうきは干し肉を追加して渡した。
「食べた分はちゃんと捕ってきてくれよ?」
「問題ない」
タマモはガジガジと硬い肉を歯で噛みながら答えた。
ゆうきは、しばらくして炊き上がった料理を器に注いでのぞみに手渡す。吹き冷ましながら食べるのぞみを見て、ゆうきも自分の分を注ぎ、食べはじめた。
「で、どうするつもりだ」
一足先に腹が満ちたタマモが、ゆうきに聞いた。
「僕は、不幸なのぞみを連れ出しただけで、その先のことを決めるつもりはないよ」
ゆうきは口に入った食材を飲み込んでから答えた。
「随分と無責任なんだな」
タマモが責めるような調子で呟く。
「むしろ、何も知らない娘の未来を僕が勝手に決める方が無責任だろ。まあ、普通に考えれば人に混ざって生活すると楽だろうなぁとは思うけれど。すこしずつ協力すれば一人で生きるよりずっと多くのものを享受できるよ」
ゆうきは肩をすくめて食べ進めながら言った。のぞみは二人の会話が聞こえていないかのように一生懸命具材を吹き冷ましては、口に運んでいる。
「力無き者の行く末を導くのが力ある者の務めではないのか」
タマモは噛み合わない価値観に諦めたような声を出した。
「それは、力無い者が決めることでしょ」
ゆうきは最後の一口を食べ終えると、手を合わせて食事を終える挨拶をする。
「それでは、力無い者は生きられぬでは無いか」
タマモの呟きにゆうきは答えなかった。
その時を待っていたかのように、「ごめんください」と玄関から声がした。
タマモが警戒するように金色の瞳を玄関に向け、ゆうきはいまだ手入れのできていない猟銃をチラリと見てから、玄関のすぐ脇に立てかけてある鍬を手にして、玄関ドアを開ける。
そのままゆうきは引き戸を引いて、タマモとのぞみを自宅へと招いた。古めかしい家の見た目にタマモが訝しがるように鼻をヒクつかせる。
「まぁ、とりあえず中にどうぞ?」
ゆうきの促しに、タマモは体を大型犬ほどのサイズに縮めて玄関をくぐった。のぞみがそのあとに続く。
「人間というものは、岩を粉にして練り固めた、コンクリートだとかいうもので自宅を構えていたと思ったが」
側にあった土壁を前足でボロボロと剥がしながらタマモが言った。
「あぁ、そんな時代もあったらしいね。でも、コンクリートって自分で手入れするには手に余るだろ?」
ゆうきはタマモの前足を優しく手で制止して答えた。大きな瓶から水を汲み、大皿とマグカップに注いだ。それをタマモと、のぞみそれぞれに手渡す。
「電気も通ってないのか。随分と前時代な暮らしをしているのだな」
タマモはなおも興味深そうにあたりを見渡し、明かりを取るためのろうそくをみて鼻を鳴らした。
「そうか、僕にとっては何世紀も前の話でも、タマモにとってはつい最近のことみたいに感じるんだね」
ゆうきは一人で納得し、説明を始めた。
「まず、電気や水道、ガスといった……ライフラインと呼ばれるものを維持するにはそれを管理する人が必要なんだけど。知っての通り人類は今や希少だからね。町の方で暮らせばまた事情がかわるんだけど、辺鄙な場所で暮らすならこのぐらいの生活スタイルが楽だよ。自家発電機とかもあるにはあるけど、定期的な点検が必要だし。それなら僕は別のことに時間を使いたい。電気がなくたって自分一人を養う程度なら得に不便はないよ」
ゆうきは言いながら川で洗った着物を外にある物干し竿に干し始めた。両手をひろげ、とおせんぼするみたいな着物が風にはためく。
ゆうきはそれを満足げに眺め、頷いた。家の中にもどって、箪笥から新たに灰色の着物を出して着替える。そのついでといわんばかりに、のぞみにも若草色のものを一枚差し出した。
「着替えの一つもあった方がいいだろうから、あげるよ。多少大きくても何とかなるだろう」
「ありがとう」
受けとったのぞみは照れたように笑うと、その場で着ている着物の帯を解こうと、結び目に手をかけた。
「ストップ」
ゆうきはその動きを制して、体ごとのぞみから目を逸らした。
「女性はそう気安く男性の前で脱ぐものじゃないんだよ」
「ゆうきの方こそ、さっきまで下着姿だったのに?」
のぞみの不思議そうな声が背中から返ってきて、ゆうきは言葉に詰まった。
「男は良いの。女はダメ。覚えて」
ゆうきは乱暴にそう言って話を切り上げる。
「おい小僧、腹が減った」
二人の会話をぷつりと両断するように、あくび混じりのタマモの声がしてゆうきは思わず振り返った。のぞみの裸体がゆうきの目前に広がる。のぞみが脱いだ着物から手を離し、柔らかな布が落ちる音がした。慌てて目を閉じ、両手を顔に覆い被せたゆうきは、直前に知覚した光景を思い出して疑問を口にする。
「のぞみ、君、胸が……」
柔らかな二つの丘があるはずの場所には白く靄がかかっていた。ゆうきはのぞみから顔を逸らした状態で目を開く。
「タマモに心臓をあげたから」
事もなげにのぞみは言うと、若草色の着物に袖を通していく。その様子がゆうき視界の端に映った。
「どういうこと?」
ゆうきは、のぞみがきちんと帯を締めたのを確認してから向き直り、問い掛けた。
「小僧、何もかもを知っているようなことを言いながら、その実何も知らぬのだな」
のぞみの後ろでタマモが小馬鹿にしたように言い、鼻でタマモ自身の胸を差した。
「聞いて見ろ」
タマモの口調にゆうきはカチンと来たものの素直に従う。木の繊維を細く裂いたような毛の手触り。脚のうち側と胸側での感触の違いにゆうきは驚いたが、それを口にするとまた馬鹿にされそうなので口を閉ざしておく。
タマモの胸元に、ゆうきが耳を押し付ける。すると、速さの違う心臓の鼓動が二つ分聞こえてきた。
「村長と戦った後、のぞみが回復の遅い私を気遣かって、心臓を分けてくれただけのことだ。……それで?食い物はないのか?」
タマモは前足で器用にゆうきを突き飛ばしてから言った。
「えっと、心臓がなくてのぞみは大丈夫……なんだよね?」
ゆうきはカゴの中から干し肉をいくつか取り出してタマモに渡す。若草色の着物を来て嬉しそうにくるくる回っていたのぞみはその動きをぴたりと止める。
「あげたいと思った人にあげたらそこが白く光るだけ」
のぞみは、ジッとゆうきを見て、細かく頷く。
「そういうものなんだ?体のつくりどうなってるの?」
ゆうきは首を傾げた。
「ゆうきは自分の体のつくりを人に説明できる?」
のぞみはゆうきを人差し指で指してから、自分の胸を指差した。
「いや……」
ゆうきは首を振った。切り傷や発熱等に関する知識はあっても、自分の体のすべてを説明はできない。
「そう、残念。私も、私の体のことを説明できない。説明できる人に出会えれば、何か解るのかもしれないけれど」
のぞみが淡々と語る言葉に耳を傾けながら、ゆうきは干し肉と水、日干しにしてあった野菜を鍋に入れる。カセットコンロの上に鍋をおいて火を付けた。のぞみのお腹が催促するように小さな音を出す。
「炊いた方が食べやすいから、ちょっと待ってね」
ゆうきはのぞみの腹の虫に向かって微笑むと手早く味付けしていく。
「小僧」
タマモの声に、ゆうきは干し肉を追加して渡した。
「食べた分はちゃんと捕ってきてくれよ?」
「問題ない」
タマモはガジガジと硬い肉を歯で噛みながら答えた。
ゆうきは、しばらくして炊き上がった料理を器に注いでのぞみに手渡す。吹き冷ましながら食べるのぞみを見て、ゆうきも自分の分を注ぎ、食べはじめた。
「で、どうするつもりだ」
一足先に腹が満ちたタマモが、ゆうきに聞いた。
「僕は、不幸なのぞみを連れ出しただけで、その先のことを決めるつもりはないよ」
ゆうきは口に入った食材を飲み込んでから答えた。
「随分と無責任なんだな」
タマモが責めるような調子で呟く。
「むしろ、何も知らない娘の未来を僕が勝手に決める方が無責任だろ。まあ、普通に考えれば人に混ざって生活すると楽だろうなぁとは思うけれど。すこしずつ協力すれば一人で生きるよりずっと多くのものを享受できるよ」
ゆうきは肩をすくめて食べ進めながら言った。のぞみは二人の会話が聞こえていないかのように一生懸命具材を吹き冷ましては、口に運んでいる。
「力無き者の行く末を導くのが力ある者の務めではないのか」
タマモは噛み合わない価値観に諦めたような声を出した。
「それは、力無い者が決めることでしょ」
ゆうきは最後の一口を食べ終えると、手を合わせて食事を終える挨拶をする。
「それでは、力無い者は生きられぬでは無いか」
タマモの呟きにゆうきは答えなかった。
その時を待っていたかのように、「ごめんください」と玄関から声がした。
タマモが警戒するように金色の瞳を玄関に向け、ゆうきはいまだ手入れのできていない猟銃をチラリと見てから、玄関のすぐ脇に立てかけてある鍬を手にして、玄関ドアを開ける。