迷い子
文字数 2,846文字
「どうして、ゆうきは喜んでくれないの?」
のぞみがそう疑問を口にした時、ゆうきの耳に別の声が聞こえた。その場にいる誰の声でもない、ともすれば木々のざわめきに紛れそうな程、細い声。
「助けて、お願い。ここから出して。お願い。出して」
声の出所を探して辺りを見渡すゆうきに、さおりが静かに指差した。
「助けを求める声でも聞こえたかい?きっとあそこからだよ」
さおりが指差した先に、家があった。タマモの体躯よりも大きな門構えの家。かなりの資産を持っている人が住んでいるであろうことは、説明されなくてもわかる。
「助け?」
二人の会話を聞いていたのぞみが口を開いた。そのまま耳に左手を当て周囲の音を注意深く拾うように目を閉じる。
「閉じ込められているのね。助けなきゃ」
静かに呟いたのぞみ。ゆっくりと開いた瞳には強い意思がこもった。
「うーん……あまり、関わりたくないかな」
さおりが人差し指で頬を掻いて、右口角だけを上げる。
「でも、助けてって」
のぞみが食い下がるようにさおりを見た。
「……ザシキワラシの声だと思うのよ」
のぞみの視線を受けたさおりは嘆息して言った。
「家に憑く妖怪だろう?たしか、家に富と繁栄をもたらす」
ゆうきが、先を促すように相づちを打つ。
「ザシキワラシが立ち去った家は、没落する」
さおりは苦々しげに言い、顔を背けた。つまり、ザシキワラシを助けるということは、その家の没落に手を貸すことなのだ。さおりが言わなかった言葉が、ゆうきの中に広がる。
「助けなきゃ」
のぞみは、ゆうきの着物の裾を強く引いた。
「やめときなって。割に合わないよ」
さおりが声を固くして言った。その言葉に含まれた自衛の理屈が、ゆうきの行動を鈍らせる。
「割に合う?」
のぞみが、不思議そうに言葉を返した。
「助けることで被る不利益……えーと」
さおりは、どうかみ砕いて説明しようか迷うようにおでこを掻く。ゆうきは、のぞみのために言葉を探さない。説明してしまうと、卑怯な自分自身の心を認めるようで怖かった。
「あたしは、金儲けのために助けるのであって正義のヒーローとかそういうのはするつもりないんだよ」
結局、さおりは、肩をすくめて投げやりに言う。顔を背けたのはのぞみに対する諦めなのか、それとも、現実に対するものか。
「どうして?助けるだけの力がさおりさんにはないってことなの?」
のぞみが、わからないから教えてほしいと、背けたさおりの顔を覗き込んだ。
「……助けたいのか?」
のぞみの意思を確認するように、タマモが短く問い掛けた。
「うん。ウチにできることなら」
「ならば背に乗れ」
タマモが鼻先を背中に振ってのぞみを背負う。ゆうきが制止する間もなく、タマモは駆け出していた。
「……あーぁ。ねぇ、のぞみちゃんって、結構頑固?」
さおりは額に手を当てて空を仰ぎ見た。
「……いえ……おとなしい子だと思っていました」
ゆうきは動かすべき自分の足が、結論を出すのをいやがって動かないのをごまかすように話を続けた。
「ちょっと事情があって。僕がのぞみを育った村から連れ出したんです」
「へぇ?」
さおりは興味を引かれたように目を細め、辺りをに視線を走らせた。そのまま見つけた手頃な岩に腰かける。日はまだ高く、時間はいくらでもあるように思われた。カッパがさおりの隣に座り、話を期待するように、クリッとした瞳をゆうきに向ける。
ゆうきが出会いの話をするのを、さおりとカッパは黙って聞いた。
「で、のぞみちゃんが幸せに生きられる場所を探して旅にでたと」
さおりが、まとめるように言った。
「えぇ、流されるままにですけれど。でも、村にいて、ただ周囲に搾取されて生きるのが幸福だとは思えない」
ゆうきは自分の判断を肯定してほしくて、さおりに向かって熱っぽく語った。カッパは話が退屈だったのか、こくりこくりと頭を揺らしてうたた寝している。
「んー……」
さおりは下唇を噛んで答えを濁した。
「何か間違ってますか?」
ゆうきは、さおりの顔を不安げに覗き込んで問い掛ける。
「それさ。どこまで、責任を取ってあげるつもり?」
さおりは大きく息を吐いて、ゆうきを見た。
「責任……」
ゆうきが聞き返した言葉にさおりが頭を撫でた。
「まだ、子供だもんねぇ。難しいよね」
「……年齢はそうでも、一人で生きられます」
さおりの手を振り払って不機嫌を隠さずにゆうきは言った。そんな反応を期待していたんじゃないという怒りが胸の内に広がる。
「一人で生きてるつもりになってるから、子供なんだよ」
さおりは、振り払われた手を気にすることなく微笑んだ。
「でもね。あたし、子供が好きよ。純粋で、正しさのために動けるそんな子供が」
壊れ物でも持つかのような手つきで、ゆうきの手を取るさおり。さおりの手は家事仕事で荒れているものの、どこまでも優しさに満ちていた。つい先ほど突き放すような言葉を言ったとは思えないほどに優しい手つき。さおりの気持ちが、ゆうきには分からなかった。ただ、さおりの柔らかな手が、ゆうきの手を撫でる度に痺れるような安らぎがゆうきを襲った。
「す、好きとか嫌いとかじゃなくて」
しばらく惚けていたゆうきは、ハッと我に返った。顔が一気に熱くなるのを感じ、慌てて顔を逸らす。
「ただ、誰かの涙で幸福が得られるなんて。そんな世界が成り立つなんて。そんな世界では、あってほしくないと思う」
さおりは、ゆうきの言葉に口笛を吹いた。風が二人の間を吹き抜けて、ざわざわと木葉が揺れる。
「それで?それで、そうあってほしくないなら、どうするつもりなの?」
風に乱された髪を整えながら、さおりは静かに問い掛ける。
「どうやって生きていくつもりなの?」と。
その答えをゆうきが見つける前に、タマモが、大きな門から飛び出してくる。
その口には見覚えのある着物の女の子がくわえられており、背には誰かが乗っているようだった。
「……だ、よ、ねぇー」
さおりが大きなため息をついてカッパを脇に抱えた。
「ゆうき、走るよ」
さおりは言うなり、一歩を踏み込んだ。そのまま風だけを残してさおりがゆうきの元から遠ざかっていく。
よく見れば、タマモの後ろを大量の紙人形が追いかけて来ていた。そのうちの一枚がタマモのすぐ目の前に飛び出してきて、タマモを制止するように片方の目に張り付いた。
それでもタマモは走りつづける。
「あたしの家に飛び込んだら良いから!!」
ずいぶんと遠くでさおりが声を張り上げる。
タマモが後ろ足に力を込め、地面を蹴る。呆然と目の前で起きる出来事をただ見ていただけのゆうき。その上空をタマモの腹が飛び越えていく。太陽の光を受けて体躯の縁がキラリと輝いた。ゆうきを置き去りにして、タマモはそのまま猛スピードでさおりを追いかけていく。
タマモを追いかけていた白い紙人形のいくつかがゆうきの頬をかすめ、裂いた。温かな液体が頬を伝う。
「何をボサッとしている」
タマモの吠えるような言葉にようやく、ゆうきは一歩を踏み出した。
のぞみがそう疑問を口にした時、ゆうきの耳に別の声が聞こえた。その場にいる誰の声でもない、ともすれば木々のざわめきに紛れそうな程、細い声。
「助けて、お願い。ここから出して。お願い。出して」
声の出所を探して辺りを見渡すゆうきに、さおりが静かに指差した。
「助けを求める声でも聞こえたかい?きっとあそこからだよ」
さおりが指差した先に、家があった。タマモの体躯よりも大きな門構えの家。かなりの資産を持っている人が住んでいるであろうことは、説明されなくてもわかる。
「助け?」
二人の会話を聞いていたのぞみが口を開いた。そのまま耳に左手を当て周囲の音を注意深く拾うように目を閉じる。
「閉じ込められているのね。助けなきゃ」
静かに呟いたのぞみ。ゆっくりと開いた瞳には強い意思がこもった。
「うーん……あまり、関わりたくないかな」
さおりが人差し指で頬を掻いて、右口角だけを上げる。
「でも、助けてって」
のぞみが食い下がるようにさおりを見た。
「……ザシキワラシの声だと思うのよ」
のぞみの視線を受けたさおりは嘆息して言った。
「家に憑く妖怪だろう?たしか、家に富と繁栄をもたらす」
ゆうきが、先を促すように相づちを打つ。
「ザシキワラシが立ち去った家は、没落する」
さおりは苦々しげに言い、顔を背けた。つまり、ザシキワラシを助けるということは、その家の没落に手を貸すことなのだ。さおりが言わなかった言葉が、ゆうきの中に広がる。
「助けなきゃ」
のぞみは、ゆうきの着物の裾を強く引いた。
「やめときなって。割に合わないよ」
さおりが声を固くして言った。その言葉に含まれた自衛の理屈が、ゆうきの行動を鈍らせる。
「割に合う?」
のぞみが、不思議そうに言葉を返した。
「助けることで被る不利益……えーと」
さおりは、どうかみ砕いて説明しようか迷うようにおでこを掻く。ゆうきは、のぞみのために言葉を探さない。説明してしまうと、卑怯な自分自身の心を認めるようで怖かった。
「あたしは、金儲けのために助けるのであって正義のヒーローとかそういうのはするつもりないんだよ」
結局、さおりは、肩をすくめて投げやりに言う。顔を背けたのはのぞみに対する諦めなのか、それとも、現実に対するものか。
「どうして?助けるだけの力がさおりさんにはないってことなの?」
のぞみが、わからないから教えてほしいと、背けたさおりの顔を覗き込んだ。
「……助けたいのか?」
のぞみの意思を確認するように、タマモが短く問い掛けた。
「うん。ウチにできることなら」
「ならば背に乗れ」
タマモが鼻先を背中に振ってのぞみを背負う。ゆうきが制止する間もなく、タマモは駆け出していた。
「……あーぁ。ねぇ、のぞみちゃんって、結構頑固?」
さおりは額に手を当てて空を仰ぎ見た。
「……いえ……おとなしい子だと思っていました」
ゆうきは動かすべき自分の足が、結論を出すのをいやがって動かないのをごまかすように話を続けた。
「ちょっと事情があって。僕がのぞみを育った村から連れ出したんです」
「へぇ?」
さおりは興味を引かれたように目を細め、辺りをに視線を走らせた。そのまま見つけた手頃な岩に腰かける。日はまだ高く、時間はいくらでもあるように思われた。カッパがさおりの隣に座り、話を期待するように、クリッとした瞳をゆうきに向ける。
ゆうきが出会いの話をするのを、さおりとカッパは黙って聞いた。
「で、のぞみちゃんが幸せに生きられる場所を探して旅にでたと」
さおりが、まとめるように言った。
「えぇ、流されるままにですけれど。でも、村にいて、ただ周囲に搾取されて生きるのが幸福だとは思えない」
ゆうきは自分の判断を肯定してほしくて、さおりに向かって熱っぽく語った。カッパは話が退屈だったのか、こくりこくりと頭を揺らしてうたた寝している。
「んー……」
さおりは下唇を噛んで答えを濁した。
「何か間違ってますか?」
ゆうきは、さおりの顔を不安げに覗き込んで問い掛ける。
「それさ。どこまで、責任を取ってあげるつもり?」
さおりは大きく息を吐いて、ゆうきを見た。
「責任……」
ゆうきが聞き返した言葉にさおりが頭を撫でた。
「まだ、子供だもんねぇ。難しいよね」
「……年齢はそうでも、一人で生きられます」
さおりの手を振り払って不機嫌を隠さずにゆうきは言った。そんな反応を期待していたんじゃないという怒りが胸の内に広がる。
「一人で生きてるつもりになってるから、子供なんだよ」
さおりは、振り払われた手を気にすることなく微笑んだ。
「でもね。あたし、子供が好きよ。純粋で、正しさのために動けるそんな子供が」
壊れ物でも持つかのような手つきで、ゆうきの手を取るさおり。さおりの手は家事仕事で荒れているものの、どこまでも優しさに満ちていた。つい先ほど突き放すような言葉を言ったとは思えないほどに優しい手つき。さおりの気持ちが、ゆうきには分からなかった。ただ、さおりの柔らかな手が、ゆうきの手を撫でる度に痺れるような安らぎがゆうきを襲った。
「す、好きとか嫌いとかじゃなくて」
しばらく惚けていたゆうきは、ハッと我に返った。顔が一気に熱くなるのを感じ、慌てて顔を逸らす。
「ただ、誰かの涙で幸福が得られるなんて。そんな世界が成り立つなんて。そんな世界では、あってほしくないと思う」
さおりは、ゆうきの言葉に口笛を吹いた。風が二人の間を吹き抜けて、ざわざわと木葉が揺れる。
「それで?それで、そうあってほしくないなら、どうするつもりなの?」
風に乱された髪を整えながら、さおりは静かに問い掛ける。
「どうやって生きていくつもりなの?」と。
その答えをゆうきが見つける前に、タマモが、大きな門から飛び出してくる。
その口には見覚えのある着物の女の子がくわえられており、背には誰かが乗っているようだった。
「……だ、よ、ねぇー」
さおりが大きなため息をついてカッパを脇に抱えた。
「ゆうき、走るよ」
さおりは言うなり、一歩を踏み込んだ。そのまま風だけを残してさおりがゆうきの元から遠ざかっていく。
よく見れば、タマモの後ろを大量の紙人形が追いかけて来ていた。そのうちの一枚がタマモのすぐ目の前に飛び出してきて、タマモを制止するように片方の目に張り付いた。
それでもタマモは走りつづける。
「あたしの家に飛び込んだら良いから!!」
ずいぶんと遠くでさおりが声を張り上げる。
タマモが後ろ足に力を込め、地面を蹴る。呆然と目の前で起きる出来事をただ見ていただけのゆうき。その上空をタマモの腹が飛び越えていく。太陽の光を受けて体躯の縁がキラリと輝いた。ゆうきを置き去りにして、タマモはそのまま猛スピードでさおりを追いかけていく。
タマモを追いかけていた白い紙人形のいくつかがゆうきの頬をかすめ、裂いた。温かな液体が頬を伝う。
「何をボサッとしている」
タマモの吠えるような言葉にようやく、ゆうきは一歩を踏み出した。