お別れ
文字数 1,921文字
「タマモ、ついて来てくれる?」
のぞみが、タマモの目を見て、問い掛けた。
「お望みのままに」
頭を垂れ、目を伏せてタマモが答える。日差しがタマモの体毛を縁取り輝かせる。その頭をのぞみの革袋をしたままの右手が撫でた。ちらりとのぞいた手首の光がタマモの毛色に溶け込むような錯覚を覚える。二人の間に流れる絆がそうさせたように感じて、ゆうきは二人に声をかけるのを躊躇った。
「俺、行こうか?」
カッパが自分を指差して首を傾げた。皿の水は凍ったまま、水音をさせないその表情が妙に大人びて見える。
「ごめんね。ウチには、多分、カッパを養うのは無理。……やから」
のぞみが、ゆうきの目を見た。
「カッパを、お願い」
「僕も、さおりと一緒に行こうか?」
のぞみが、タマモにだけ、一緒に共に行く意志を確認したその意味が分からないゆうきではない。それでも、言葉にして問い掛ける必要があった。
「さおりさんを助けるのか、問い掛けた時にね。ウチすごく酷いことを考えてた。さおりさんじゃなくて、ウチを、選んでほしいって」
のぞみの、薄黄色の瞳が潤んでいた。何と返事をしたものか、ゆうきが返事に迷っていると、のぞみが安心させるように微笑んで言葉を続けた。
「ウチ、トト様とカカ様と一緒にあの村で暮らしてたらきっとこんな身体にはならんかったんよね」
とっさに、謝罪の言葉を言おうとするゆうきの唇を、のぞみの刺すように冷たい左手の人差し指が封じた。反射的にのけ反ったゆうきの様子に目を細めるのぞみ。
「それでもね、ウチ、この身体、案外嫌いやないんよ。人の望みを叶えてきた証やもん。良いことばかりじゃなかったけど。でも、ゆうきがウチに望むのは、ウチが何も失わずに得るばかりの身でいることやろ?……ゆうきが思い描く幸せを、ウチは欲しいと思えんのよ。……やから、ここで別れよう?」
「寂しい」
カッパが呟いたのを、さおりが静かに抱き寄せた。
ゆうきは言葉を探して、ようやく「海岸まで、送る」とだけ言った。
海岸までの道を無言のままで進む。
カッパの大きな靴がカポカポと鳴る。
磯の匂いに気づいたゆうきが耳を済ませると、潮騒より先にヒシャクユウレイの「ひしゃくをくれぇ~」という合唱が聞こえてきた。
「ごめんね。もう、あげられるものがないの」
のぞみの耳にもヒシャクユウレイの声が届いたのだろう。小声で、そう返事するのぞみ。
ゆうきは底を抜いたヒシャクを渡すのだと、本で読んだ知識を伝える。
「でも、それは、ヒシャクユウレイの欲しいものじゃないやろ?」
のぞみが悲しげに笑う。
「まさか」
ゆうきは、のぞみが海に沈むつもりなのかと想像して身を固くした。底のついたヒシャクをヒシャクユウレイに渡してしまえば、あっという間に何百という手が舟を沈めてしまう。
「何も、あげられんよ」
のぞみはゆうきの目を見て、首を振る。ちゃんと海を渡るつもりがあるんだよな?と問い掛けることは、のぞみを侮っているように聞こえる気がしてできなかった。
海についた一行は、舟に詰め込めるだけの荷物をすべて積み込んだ。その間に小型犬程の大きさになったタマモとのぞみが滑り込む。
波が遠ざけていく背中を見送りながら、ゆうきは何でもないことのように、さおりに話題を振る。
「カッパは、連れていきますね」
ザシキワラシがキチンと話を付けられていれば、さおりがこれ以上不便な旅につき会う必要はない。別れは一気に済ませてしまいたかった。
「あたしのファーストキス、持ち逃げするつもり?」
さおりが、ちゃかすような声をあげる。
「それは、どうやって返せば良いんですか?」
ゆうきは必死に頭を回転させ、適切な答えを探す。
「嫁にしたら良いと思うよ」
さおりが笑った。
「何かいろいろ飛ばしすぎじゃありませんか?」
どうやら、さおりとの別れはないらしいと分かってゆうきはホッとしたような心苦しいような気持ちになった。
「一人はもう、嫌。何があっても、ゆうきのことを手放す気はないから」
「……タイミング」
ゆうきが苦笑いしたのをカッパが不思議そうに覗き込んだ。
「……15歳の冒険にしちゃ、重たい体験が詰まっちゃったでしょ」
さおりが、ゆうきの胸元に握りこぶしを当てた。
「独りで悩む辛さを、ゆうきは知らなくて良いよ」
さおりはそう言って、もう点のようにしか見えないタマモとのぞみが乗った舟に向かって手を振った。
「君らも、一人で悩む必要ないよー」
「僕はなんだかもう、何も考えたくないよ」
ゆうきの漏らした本音を、さおりは大きく頷いて受け止めた。
「むむぅ、難しい」
カッパがオニビの入ったランプをジッと覗き込んで悩ましげな声をあげる。
オニビは、ただチロチロと燃えていた。
のぞみが、タマモの目を見て、問い掛けた。
「お望みのままに」
頭を垂れ、目を伏せてタマモが答える。日差しがタマモの体毛を縁取り輝かせる。その頭をのぞみの革袋をしたままの右手が撫でた。ちらりとのぞいた手首の光がタマモの毛色に溶け込むような錯覚を覚える。二人の間に流れる絆がそうさせたように感じて、ゆうきは二人に声をかけるのを躊躇った。
「俺、行こうか?」
カッパが自分を指差して首を傾げた。皿の水は凍ったまま、水音をさせないその表情が妙に大人びて見える。
「ごめんね。ウチには、多分、カッパを養うのは無理。……やから」
のぞみが、ゆうきの目を見た。
「カッパを、お願い」
「僕も、さおりと一緒に行こうか?」
のぞみが、タマモにだけ、一緒に共に行く意志を確認したその意味が分からないゆうきではない。それでも、言葉にして問い掛ける必要があった。
「さおりさんを助けるのか、問い掛けた時にね。ウチすごく酷いことを考えてた。さおりさんじゃなくて、ウチを、選んでほしいって」
のぞみの、薄黄色の瞳が潤んでいた。何と返事をしたものか、ゆうきが返事に迷っていると、のぞみが安心させるように微笑んで言葉を続けた。
「ウチ、トト様とカカ様と一緒にあの村で暮らしてたらきっとこんな身体にはならんかったんよね」
とっさに、謝罪の言葉を言おうとするゆうきの唇を、のぞみの刺すように冷たい左手の人差し指が封じた。反射的にのけ反ったゆうきの様子に目を細めるのぞみ。
「それでもね、ウチ、この身体、案外嫌いやないんよ。人の望みを叶えてきた証やもん。良いことばかりじゃなかったけど。でも、ゆうきがウチに望むのは、ウチが何も失わずに得るばかりの身でいることやろ?……ゆうきが思い描く幸せを、ウチは欲しいと思えんのよ。……やから、ここで別れよう?」
「寂しい」
カッパが呟いたのを、さおりが静かに抱き寄せた。
ゆうきは言葉を探して、ようやく「海岸まで、送る」とだけ言った。
海岸までの道を無言のままで進む。
カッパの大きな靴がカポカポと鳴る。
磯の匂いに気づいたゆうきが耳を済ませると、潮騒より先にヒシャクユウレイの「ひしゃくをくれぇ~」という合唱が聞こえてきた。
「ごめんね。もう、あげられるものがないの」
のぞみの耳にもヒシャクユウレイの声が届いたのだろう。小声で、そう返事するのぞみ。
ゆうきは底を抜いたヒシャクを渡すのだと、本で読んだ知識を伝える。
「でも、それは、ヒシャクユウレイの欲しいものじゃないやろ?」
のぞみが悲しげに笑う。
「まさか」
ゆうきは、のぞみが海に沈むつもりなのかと想像して身を固くした。底のついたヒシャクをヒシャクユウレイに渡してしまえば、あっという間に何百という手が舟を沈めてしまう。
「何も、あげられんよ」
のぞみはゆうきの目を見て、首を振る。ちゃんと海を渡るつもりがあるんだよな?と問い掛けることは、のぞみを侮っているように聞こえる気がしてできなかった。
海についた一行は、舟に詰め込めるだけの荷物をすべて積み込んだ。その間に小型犬程の大きさになったタマモとのぞみが滑り込む。
波が遠ざけていく背中を見送りながら、ゆうきは何でもないことのように、さおりに話題を振る。
「カッパは、連れていきますね」
ザシキワラシがキチンと話を付けられていれば、さおりがこれ以上不便な旅につき会う必要はない。別れは一気に済ませてしまいたかった。
「あたしのファーストキス、持ち逃げするつもり?」
さおりが、ちゃかすような声をあげる。
「それは、どうやって返せば良いんですか?」
ゆうきは必死に頭を回転させ、適切な答えを探す。
「嫁にしたら良いと思うよ」
さおりが笑った。
「何かいろいろ飛ばしすぎじゃありませんか?」
どうやら、さおりとの別れはないらしいと分かってゆうきはホッとしたような心苦しいような気持ちになった。
「一人はもう、嫌。何があっても、ゆうきのことを手放す気はないから」
「……タイミング」
ゆうきが苦笑いしたのをカッパが不思議そうに覗き込んだ。
「……15歳の冒険にしちゃ、重たい体験が詰まっちゃったでしょ」
さおりが、ゆうきの胸元に握りこぶしを当てた。
「独りで悩む辛さを、ゆうきは知らなくて良いよ」
さおりはそう言って、もう点のようにしか見えないタマモとのぞみが乗った舟に向かって手を振った。
「君らも、一人で悩む必要ないよー」
「僕はなんだかもう、何も考えたくないよ」
ゆうきの漏らした本音を、さおりは大きく頷いて受け止めた。
「むむぅ、難しい」
カッパがオニビの入ったランプをジッと覗き込んで悩ましげな声をあげる。
オニビは、ただチロチロと燃えていた。